momochanchiさん、わが家も次回から別の先生にお願いしましたよ!
 
というわけで、何度かに亘って書いてきた主治医交代の話は、病院は変えずに曜日を変え、別の先生に受け持っていただく形でとりあえずまとまった。
 
これまで現主治医への不満について、あれこれ書いてきたため、不快に思った方も多いだろうと思う。関係者が見ていないとも限らないし、何より自分の中でも罪悪感がある。あまり悪口ばかり書いていてはまずいなと反省するところもある。
 
しかしもうひとつだけ書いておきたいことがある。難病患者と家族に医師がどのくらい説明すべきかという話だ。
 
またしても長くなると思うので、前置きはこのくらいにして本題に入る。
 
昨年10月、大学病院の筋電図検査で、妻は、ALSの可能性が高いと診断された。
その数日後に、現主治医のいる総合病院に移り、以後現在まで定期的に診察を受けている。
 
診断から半年以上が過ぎているが、実は主治医は、ALS確定とはいまだに言っていない。診察のなかでも「ALS」という単語をほとんど使わないでいる。
 
最初の頃は繰り返し、
 
「まだ決まったわけじゃないからアルファベット3文字にとらわれるな。」
 
と仰り、僕がネットで調べたことを聞こうとすると、
 
「ご主人はアルファベット3文字にこだわり過ぎだ、あまり調べるな、とらわれるな。」
 
と止められた。
特定医療費支給認定申請のときも、
 
「病名をつけないといけないから、一応『筋萎縮性側索硬化症』と書いておくよ。」
 
という言い方をされた。「一応」といって、病名については保留され続けた形だ。
 
一方、これまでに、リルテックとラジカットの処方を受け、胃ろうを造設し、夜はバイパップを使っている。これがALSでなくて何なのかという状態だ。
 
訪問医、訪問看護師、入院のときの担当医、通院でラジカットを処方してくれた先生など、他の方は診断が確定したものとしてALSと言われるが、主治医だけは、いまだにそこをぼやかしている。
 
問題は、予後についての説明をする素振りがないことだ。主治医から気管切開の話を聞いたことは一度もないし、そういうことを考えるべきという説明もない。
 
いざその段になったらさすがに説明があるだろうが、差し迫るまでおそらく触れるつもりがないのだろう。
 
前にも一度触れたが、職場の友人のお母様がALSを患っていて、その方の場合、最初に会議室に家族一同を集めて、予後と治療について詳しく説明されたそうだ。
 
わが家の場合にはそれがなかったので、僕が調べたことを家族、親族1人1人に電話などで説明している。その都度、
 
「それ先生が言ったこと?」
「いえ、僕が調べたことです」
 
といったやりとりを繰り返している。
 
何故主治医はしっかりした説明をしてくれないのだろうと、ずっと不思議に思っていた。
 
月曜日に診察を受けたあと、相談窓口であれこれ話した中で、その話を持ち出してみた。以前からずっとお世話になっている担当の方は、主治医の人となりもよくご存じだ。
 
「私もそのことは気になっていて、何故話さないのか先生に聞いてみたんです。」
 
と仰られた。その担当の方の話によると主治医は、ALSの予後について患者に説明しない「信念」なのだそうだ。
 
ALSは、病態が患者ごとに大きく異なり、急速に進行する方もいれば緩徐な方もいる。症状の出る部位も順番もバラバラだ。だから、無用な心配を煽らないよう説明しないことにしているらしい。
 
僕は一瞬で血圧が上がったように感じた。
 
相手に合わせるべきではないのか。中には認知症で理解できないなど、対応を考えなければいけない相手もあるだろう。誰も彼も、子細に説明するのが常に正しいとは思わない。しかし一律に説明しないのもまた、乱暴ではないか。
 
この相手にはどこまで説明するか、この相手にはやめるかを考えるべきだろう。それを「信念」という言葉に置き換えて考えるのを放棄するのはどうなのか。
 
こちらは、子育てもこれからで、生活をどう組み立てるか考えていかねばならない世帯だ。ネットには情報が溢れていて調べずにはいられない。
 
患者は無知でいろ、必要なときにはこちらから情報を与えるという姿勢は、30年前ならともかく、ネットが普及した現代ではさすがに適切でないだろう。
 
こちらが期待するのは、ネットに溢れる情報をどう読み、どう取捨選択するか、素人には難しいそのあたりのアドバイスだ。
 
大体、主治医から勧められたのでなく、こちらから頼んで進めたことがあまりに多い。
 
胃ろう造設に関しても、主治医から全く説明がないので、別の理由で入院していた最中に、入院担当医に相談して決めたという経緯だ。
 
実は胃ろう造設に、主治医は全く関わっていないのだ。今週月曜日の診察で、
 
「いい時期に胃ろうをつけたね」
 
と言われたが、その経緯を思い出して、僕は少しムッとした。
 
その他、訪問看護や介護機器の導入、介護保険申請など、主治医からのアドバイスがなく、こちらが動いて導入したものは多い。
 
悔やまれるのは、診断直後に妻の声を残すようアドバイスして欲しかったということだ。直後であればまだ可能だったと思うが、現在では正直厳しい。僕がマイボイスなどのことを知ったのは、診断直後でなくもう少し遅かった。
 
相談窓口の担当の方に、そう言った気持ちを打ち明けたら、大変同情してくださった。
なにより、こちらが聞く前に、何故説明しないのかと先生に尋ねてくださっていたこと、気に掛けてくださっていたことが嬉しい。
 
先生の「信念」についてとやかく言うつもりはない。色々な経験の上でそういう気持ちを持たれているなら、他人がとやかく言う権利などなかろう。
 
しかし、僕個人としては同意できない。
 
ところで、今週月曜日の診察は、時計で計って5分と、とても短かった。終わり間際に、先生が、
 
「エダラボンはまだ続けてる?」
 
と聞いてきた。ラジカットのことで、主治医でなく訪問医からの処方という形を取っているため、確認してきたのだろう。
 
「はい。」
 
と答えると、
 
「ずっと継続?」
 
と重ねて尋ねてこられた。
 
ラジカットについては、先日の記事に色々なコメントをいただき、気になっていたところだ。
 
カイさんから伺った、2クール目以降は10日間投与がメーカー推奨という話。
 
ましょびさんからうかがった、肝臓の副作用で中断したという話。
 
もしかすると投与量が多すぎれば副作用が大きくなるかもしれない。そもそも、点滴の負担も大きく、ずっと継続していくべきか気になるところでもある。
 
ずっと継続?と聞かれたので、問い返してみた。
 
「訪問医の先生からは、中断などを勧められたことはありませんが、どんなもんでしょうか?中断する選択はあるんでしょうか?」
 
この問いに関して、先生の回答はなかった。
無視だ。
15秒ほど時間を置いて、
 
「次の診察の曜日は…」
 
と言われた。わずか5分の診察のなかでも、こんな思いをさせられるとは。
 
診察室を出たあと、妻は、そう怒るなと言っていたが、僕は許せなかった。
 
実は、主治医が僕の問いかけを「無視」したことは、過去にも何度かあるが、大変な長文になったので、ここには書かない。
 
難病患者の側から医師に求めること。
 
治療ができないのだから、なおのこと説明には力を注いで欲しい。
 
治るのなら、素人に細かい説明は要らない。
治らないからこそ求めるのだ。