1年5カ月ぶりに出前本舗を復活し長々と不快な思いをさ
せてしまいましたが素晴らしい名医のリレーで当初、治験
が中途半端で成否は不明という見立てから幾多のアクシデ
ントをくぐり抜けるに従い免疫力と新薬の効用とが相まっ
て腫瘍が小さくなるという奇跡が起こりつつあるという、
有難いことになっています。苦闘日記のおしまいにあたり
年寄りを見捨てずご尽力頂いたS先生。それに崔先生の

ご指示で緊急事態に備えて訪問看護で見守って頂いている
天使のような看護士さん。さらに友人やネット上でご縁の
ある方に励まして頂いたことに対し心から御礼申し上げま
す。海外で出稼ぎ中の長男夫妻は藁をもすがる思いで現地
から日本の祈祷師に親父の危機を伝え偶然といわれるかも
わかりませんが、そのことが知らされたとたん腫瘍の動き
がストップしたり数々の奇跡的な現象に私は必死で父親を

助けたいという思いが、いじらしいと思いました。長女は
フライトで来博した時は各地の珍味を持参しててくれまし
た。スマホを導入したのも長女でした。孫たちなは、やつ
れた姿を見せたくありませんから快気祝いまで再会はお預
けです。トリはやっぱり、かみさんです。幾多の危機を迎
えても私の悲観した愚痴を聞きながら常に前向き変換して
伴走してくれて病人扱いはしませんでした。ありがとう!

 平常時はバラバラだと思っていましたが非常事態
 になるとびっくりするほど絆とやらを実感しまし
 た。読者各位には私の恥ずべき話にお付き合い頂
 き有難うございました。重ねて御礼申し上げます。
  命を失いかけて命の尊さを知った ぐっさんハイ

 

私には自覚症状は全くなかったのですが脈拍が1分間に34
、5しかないというんです。夜間測定器をつけてみました
が30そこそこでした。これでは治療中に身体(心臓)が
持たないということで心臓外科でペースメーカーを着装す
る手術を受けることになりました。S先生は型破りの患者
を冷静によく診てあると感心しました。救急治療室(IC
U)に収容され状態を観察され2週間で血液内科の病棟に

移され腫瘍の治療が再開されました。心拍数は60で標準
泊数になり気のせいか、化学療法も楽になりました。化学
療法の最終回、私は”最強の抗がん剤を使ってください。
納得のいく形で終わりたい”と懇願しました。先生は”目
一杯治療しています。これ以上は無理です”と言われまし
た。で、苦闘日記の最初のようにS先生から”やれること

は全てやりました。あとはホスピスを紹介するしかりませ
ん”と乾いた声で言われその後、劇的な話が舞い込み今日
に至ったという次第です。ご覧頂いたようにS先生も一生
懸命ベストを尽くして頂きました。そのうえ沢山の患者(
候補者)の中から、おいぼれを推挙して頂いたことが韓国
姓の名医とめぐり逢い、また皆さんに報告させて頂く喜び
を噛みしめています。

  お世話を受けなかった看護士さんが涙ぐみながら
  突然、病室に現れ”Oさんの生きようと懸命に行
  動される姿に感動しました。ほかの患者さんもそ
  うあって欲しいと思いました”と言って深々と頭
  をさげて去って行きました(寿退職の方でした)          
                  ぐっさんハイ
     

 

担当医が額に皺を寄せながら”残念ながら、また再発した
ようです。このまま放置したら最悪の状態になります。だ
からといって最強の化学療法で死滅しなかった腫瘍ですか
ら強敵で、完治するかどうか保証できません”と遠くで聞
こえるような話でした。二人は鉛を飲んだようになりまし
た。先生は”よく考えて返事をしてください”と追い打ち

されました。座して死を待つより1%でも望みがあるなら
と腹を決め2度目の化学療法に全てを託すことになりまし
た。入院と同時に外科に回され手術を受けることになりま
した。理由は最初の化学療法で腫瘍が変質して同じ療法で
治療が出来るかどうか腹部を切開して細胞を摘出するとい
うものでした。ここまで来たらやるっきゃないと腹を決め

ました。切開の結果、幸いというか同じ型のままでした。
また化学療法が行われました。前回よりもっとすごい痛み
や妄想に襲われました。人によってはギブアップして治療
を断念するのもこのへんだそうです。私は”死んでたまる
か!”と口にしながら点滴金具を杖代わりに病棟を這いず
り周りました。3度目の化学療法にはいるまえ担当医が思
いもよらぬことを言いました。

  事前に割腹する話があったんですが、生きたい
  一心で外科手術を受けた    ぐっさんハイ