恒例の中洲ジャズフェスティバルがあるというのでカミさんとダンス仲間
のレディの3人で繰り出しました。5時半からの開演でしたが、腹ごしら
えをして会場に着き、6時を回ったところで”すみません、まえのほうで
座らせてください”と折りたたみの座椅子を片手に前の方にすすみました
丁度、先発のバンドが入れ替わるときで、幸いなことに座席を確保する
ことができました。中西圭三と同じステージでジャズピアニストの田中菜
緒子が先陣を切って登場。ジャズシンガーらしい雰囲気を会場に拡散し

ていました。続いて栄養が行き届き過ぎた中西圭三が、会場に現れEXI
ELのChoo Choo TRAINを熱唱。会場は一気に熱気を帯びてまりました。
お別れは「蘇州夜曲」をしっとりと歌い込んでいました。と、こんな感じで
キーを叩いていますとムード満点のジャズ会場みたいに思われてしまい
ますが、この会場はアクロスの隣の公園の中の特設会場で会場の真ん
中に通路があって、そこを行き来しますので”止まらずに歩いてください
!”とか”写真撮影は出演者の妨げになります!”という怒号が入り混じ


ったステージと相成ります。もちろん、歩道を歩くひとは立って歩いてい
ますからステージは想像の彼方で聞くことになり、座ってみれてラッキー
と思ったのは束の間で、俯きながらのコンサートというのが本当のところ
でした。お目当ての宇崎竜童は雑音と怒号入りでのステージだと諦めて
いましたら奇跡が起こったんです。つまり通行するひとが居なくなったん
です。目玉の登場では大混乱になるとして通路を一方通行で制限してく
れたおかげでたっぷりとコンサートを堪能することができました。よく通る

ひとをみたらなんども行ったり来たりするひとがいました。さて、そのお目
当ての宇崎竜童とギタリストの横田明紀男のステージは実物が登場する
めから大騒ぎ。年を置き忘れたかのようにカミさんとともだちもミーハー族
になっていました。いやあ、生でみるのはいいですな。生はいい(ちょっと、
おじさんがいうとヘンなこと想像しちゃうよ)。サビの効いた声、意外と高音
もイケるんですな。何曲か熱唱して相棒のヨコチンこと、横田明紀男
を紹介。因みに古田というマネージャーのことを”フリチン”といって、

女性軍からヤンやの喝采を浴びていました。宇崎は名手横田の素晴ら
しいギターの演奏中どこかへ消えたと思っていましたら手にコップを持ち
口に水を含んで登場。いきなり会場に向かって吹きかけました。また、
女性軍の嬌声が起こって”こっちにも!”という声のほうでまたひと吹き
最後に熱演中の横田にも吹きかけで爆笑をとっていました。もしも仮に
ですよ、あたしがそんなことをしたらブーイングどころか警備員につまみ
出されて始末書ぐらい書かさせるのがオチでしょうが有名人って一般人

を夢中にさせるんですねえ。最後は「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」を
全員で合唱して帰宅する予定が、カミさんと仲間のふたりは最後まで居
座って、お医者さんと兼業の歌い手が現れてオリジナルや南米のリズミ
カルな歌にノリノリでした。私の隣りにいた80ぐらいの紳士は疲れたよう
な顔をして途中で姿を消してありましたが、あたしだってその御仁に負け
ないぐらい、きつかったのですが男に意地で踏ん張りました。カミさんた
ちは”手拍子で手が腫れちゃった”といいながら陽気に会場をあとにして
いましたとさ。
 
  いやあ昔の映画ではチンピラ役がピッタリの軽い感じの芸能人
  って思っていたんですが 阿木燿子とコンビを組んでからヒットを
  連発 中年の落ち着いたエンタテーナーとして業界のビッグにな
  りましたねえ 三浦・百恵とも親交が厚く、憧れのひと健さんとも
  映画「駅STAITHON」の音楽を担当していましたね ぐっさんハイ

*ひとまず本日で姿を消すことになりました。長年お付き合いいただき
 ありがとうございました。またわけのわからない駄文が「ぐっさんのブ
 ログ」に出てきましたら、ご喝采。再見!
それにしても豊臣秀吉が辺地で沼が多く貧しい寒村だった関東に追い
やられた徳川家康ってえ人物は先見の目があり過ぎるぐらいあったん
ですなあ。元祖・公共事業の大将がつぎつぎと沼地を成敗したり、治水
をつくっていったでしょうから、目先の効いた商人や農民が大挙、江戸
へと草木をなびかせていったことでしょう。結果論ですが家康でなくて、
凡将が関東に移封されて、なんら手を付けなかったとしたら、全然違っ
た江戸の街になっていたかもわかりませんな。勢力を削ぐために辺境

の地に飛ばされた家康は恐らく国家、、いや徳川家を未来栄華を存続
させるため、チエを絞ったと思います。しかし家康だけの発想とは信じ
難いようなスケールですから決っと土木治水に長けたその道のプロが
いたんでしょうな。隠れた職人集団が。大名の力を弱めるため江戸の
土木治水の普請と妻子を人質にして勤務地から江戸に「参勤交代」の
システムを考え出したのも著者は経済の活性化と文化の普及には大
いに役に立ったとありました。余談ですが今のような「壁耳」を特技と、

するような瓦版屋はいませんから武家や庶民の嗅覚もさぞかし鋭かった
と思いますよ。だって鼻や耳をそば立てていないと死に直結してしまう、
緊張感があったでしょうからねえ。今みたいに”今日、熱中症に罹った
ひとは何人で病院に搬送されたひとは何人”だなんて余計なことを教え
てくれませんでしょうしね。昔だって日射病に罹ったひとはいたんですよ
でも毎日報道されていると現代人はヤワになったと勘違いしたくなります
な。まあ江戸時代に生きたひとたちは、目や鼻をアンテナにしてストレス

とかうつ病に罹る暇もないぐらい、、いや罹ったと思う暇もないぐらい一生
懸命だったと思います。私がガキのころの終戦のドサクサと同じような環
境だったと思いますよ。でもそんな厳しい環境のなか江戸のセーフティー
ネットはどうであったか。もちろん今の安倍内閣みたいに痒いところに手
が届くようなネットではなかったようですが、例えば万治2年(1659年)に
は江戸市中の老幼・障害者に当時制限されていた振り売りの許可証(免
状)の緩和策をとって生活維持を図ったり寛政3年に設立された「七分

積金」は江戸の庶民向けの備荒貯穀や土地を担保にした低利融資の
原資であり低所得者向けの財源でもあった。この背景には天明の飢饉
に伴って発生した江戸での大規模な打ち壊しに対する幕府の危機感が
あった。農村で貧窮した人々が江戸などの大都市に流入するようになる
と低所得者の集団が出現する。景気が良くなればそうした人々は未熟
練労働者として生きられたが不景気や飢饉、物価上昇に直面すると、
たちまちその日の食にも困るようになる。それが打ち壊しの予備軍とな

った。寛政4年5月になると窮民救済の手続きが町奉行から名主や家主
に伝達され1.高齢者で身体が不自由で扶養する者がいない”2.幼年で
最寄りがない3.若くても貧困で長病に罹って面倒をみる者がいないとい
った者が救済の対象になった該当者が町内に居れば名主・大家が実態
を把握したうえで名主の証明書を大家が町会所に持参して「手当」を請求
受領することになった。当時の法政上「大家=家主といえば親も同然」な
ので家主やそれを監督する名主に「生活保護の支給」の実質的な決定権
を与えたのであった。
  
   ”宵越しの銭は持たねェ” 一般的には江戸っ子の気風の
   良さを謳っていますが 明日は明日の風が吹く みたいな
   切ない世相が伝わってまいります 現代瓦版 ぐっさんハイ

*突然ですが体調を崩してしまい。来週から緊急入院となりました
 生還はムリかもわかりませんが、精一杯、抵抗してみます。
現代では弱者の味方とばかりにマスコミが精一杯声援を送っています。
ある雑誌を眺めていましたら江戸時代は歴然とした「格差社会」であっ
たと書いてありました。つまり江戸時代は「士農工商」という身分差は身
分・階層の中で人々の経済力には大きな差があり、そのうえ飢饉による
餓死や人身売買のほか傷病人の遺棄なども珍しくなく現代でいう「絶対
的貧困」と隣り合っていた。時代が流れるに従い武士から町人に経済力
が移っていったが幕藩体制は約260年続き元禄文化など経済力を身に

つけた庶民文化が花開いたのであった。なぜ「格差の時代」ともいえる
江戸時代に日本が成長・発展を遂げたのか?という疑問が湧いてくる。
現代と単純な比較はできないが現代の「格差解消論」とか格差を”悪い
もの”という前提でのみ捉えることに違和感を禁じえない。現代、「正社
員」と「非正規雇用」の賃金対比から「格差」を語られることが多いが、
江戸幕府が武家政権すなわち軍事政権であったこともあって、現在で
いう「非正規労働者」ないしは「派遣社員」のよって支えられていた。

大名・旗本屋敷の中間・小者には江戸時代の初めから「一季居」といって
雇用期間を1年の奉公人が充てられることが多く、その後、一季居の足
軽や用人クラスまで現れた。余談ですが安政七年の「桜田門外の変」で
は正社員の戦闘員が少なくて井伊大老は討ちとられたという笑いたくなる
ような側面が浮かびあがるとありました。さて武家、町人でも長男相続が
原則で次男以下は長男に万一のことがない限り一生部屋住みとして生き
なければならず、妻帯もできなかったが能力があれば他家「養子」になろ

という救済処置があった。従って次男、三男は学問や武芸に必死で取り
組んだとありました。町人や百姓の場合でも店借や水呑クラスまで子弟
の教育には熱心で、商家での丁稚奉公を振り出しに競争しな手代・番頭
と責任を負う立場を経て店の支配人まで昇進したり主家から暖簾を分け
てもらえる「出世」が可能だったのである。そのほか出世の手口として”妹
のおかげで馬におぶっさり”という川柳まであるように大名か大身の旗本
の屋敷に女中奉公にあがった妹に当主の「御手」付いたおかげで兄も、

士分に取立てられたという超ラッキーなケースは置いといて、歴然とした「
格差社会」から抜け出さんものと必死でチエを出し、独力でのし上がろう
としたのが江戸時代だったと筆者は訴えておりました。このように武家も
町人の次男、三男は学問所や寺子屋に血道をあげていたそうですな。
少子化の現代でも、そうですから孫どもの悪なき闘いには同情を禁じえ
ませんな。江戸時代ではこのような学問を重ねることで就職が有利にな
ったそうですよ。なお江戸は全国一の消費都市として発展し将軍や幕臣

参勤交代で浪費を強要される大名やその家臣は都市市民として大きな
消費需要をもたらしたそうですな。それによる婦女子のファッションや化
粧品の大部分が江戸に集中したとありますが、大坂だって江戸に対抗
意識をむき出しに奢侈禁止令に歯向かったようですな。HNKの大河ドラ
マ「花燃ゆ」でも大奥に倹約をお願いに行って”長州の面子を損なうよう
なことは相成らぬ!”と奥方(松坂慶子)に拒絶されたじゃありませんか。
本音と建前が目に見えるようですな。
    
どうも老兵にはマスコミのヘンにやさしい報道のおかげで
    弱い立場と称されるひとが、ソノ気になって自分で”なんと
    かする”という気迫というかヤル気を置き忘れているんじゃ
    ないかと誤解したくなるような世相ですな。  ぐっさんハイ