そんな人気女優とニアミスをして、一気にイクのかと思いきやそのとき
ばかりは極楽トンボのような寅さんは一般人の分別のある、おっさんに
なってしまい腰が引けてしまって各地を流転の末、風まかせのふたりが
めぐりあう、、。そんなリリーが一番、寅さんにはピッタリでしたねえ。
で、数多くの男遍歴のなかでも寅さんの「男はつらいよ」の一番おいしい
ところをみなさんに出前してみたいと思います。「この連載も終盤に近づ
くと湿っぽい話が多くなる。リリーという当たり役をもらった山田洋次,

監督の「男はつらいよ」シリーズ。「忘れな草」(73年)「相合い傘」
(75年)「ハイビスカスの花」(80年)と出演し、4度目の「紅の花」
が公開されたのは、95年12月のこと。同年1月17日に阪神大震災、
3月20日に地下鉄サリン事件が次々に発生するなど“世紀末”に、向かっ
て世の中が騒然とした時代。シリーズ48作目にあたる同作品が寅さん役
を務めてきた渥美 清さんの遺作となってしまった。3度目から15年も
経過しており、当初は断ろうと思っていたが、松竹からどうしてもと頼ま

れたので出演することにしたのだ。だが、久しぶりにお会いした渥美さん
には全く元気がなかった。ガンがすでに肝臓から肺に転移しお医者さまか
ら”撮影はむずかしい”と忠告されていたらしい。顔は青白く、やせ衰え、
与太を飛ばして見栄を張るいつもの、ひょうきんで明るい寅さんではなか
った。あいさつに行くと辛そうにベッドで寝ていた。そうして私の姿をみ
るとこういった。”リリーさんお久しぶりです、お世話になります”。声に
力がなく、かすれて目の奥が、くぼんでいた。端からみていても痛々しい

ぐらいの衰弱ぶりだった。”リリーさんはお元気でいいですねえ”と渥美さ
んがつぶやいた。言葉が重く響いた。映画ではリリーが奄美群島に買った
家に寅さんが居候しているという設定。デイゴの赤い花が咲く浜辺、詩情
あふれる南国の島には、ゆったりとした時が流れている。でも寅さんは体
が思うように動かない。山田監督が即興の掛け合いを期待してカメラを回
し続けるが結局なにもできなかった。ファンから声援を送られても笑顔を
みせることさえできずにいた。渥美さんは病名を一切公言せず、ひそかに

抗がん治療を受けながら撮影に臨んでいたようだ。私は意を決して山田監
督に直訴した。”山田さんお願いします。寅さんとリリーをどうか結婚さ
せてください”。二度と共演できないかもしれないという予感があった。
山田監督もよくその意味を分かっていた。だが、シリーズを50作目まで
続けたいという意向もあり台本は変えられなかった。もし、マドンナに振
られ続けられていた寅さんが結婚したらシリーズは終わってしまう。最後
の共演シーンはたわいない言い争いで東京・柴又の団子屋を飛び出し奄美
の自宅に帰ろうとするリリー。そとあとの台詞が泣かせましたねえ。

  お前もいずれ、恋をするんだなぁ ああ 可哀想に 車 寅次郎                    
                       代読 ぐっさんハイ

おはようございます。まだ辛うじて生きています。私は血液のガンで
胃がんなどの外科手術で患部を切除して、さようならというわけには
いかず、患部のがん細胞をせん滅することと血液を入れ替えるという
作業があり入退院を繰り返しながら骨髄でつくりあげた自前の血液に
チェンジしたことが確認されて娑婆に戻れるという息の長い治療を受
療中であります。でありますから桜の花が咲くころ、ひょっとしたら
散ってしまうかもわかりませんが、首尾よくキーが叩けるようになり
ましたら出前本舗を再開したいと存じます。取り敢えず、年末のひと

とき旦那もスッピンを拝んだことがないと噂のあの方に登場していた
だきます。確か女優としては有馬稲子、佐久間良子についで3人目だ
と思いますが、日経新聞の「私の履歴書」に登場していた浅丘ルリ子
さんが今回の主役です。ルリ子は、九死に一生の末、タイはバンコッ
クの収容所から日本に帰国。満州の新京市(現・長春)に生まれ、終
戦後、引き揚げ東京神田に育つ。昭和29年、千代田区立今川中学校
在学中に『緑はるかに』のヒロイン役のオーディションに応募し、約
3000人の中から選ばれて美少女女優としてデビュー。学校を長期

欠席しての撮影だったため、PTAと生徒会が奉祝の花輪を出したこと
で一時物議を醸したとHPにはありました。以後日活の看板女優として
多数の映画に出演し人気を博する。現在までの映画出演本数は150本
以上。日活アクション映画のヒロイン役が多く、小林旭の『渡り鳥』『
流れ者』『銀座旋風児』の三大アクション・シリーズや石原裕次郎のム
ード・アクション・シリーズ(『赤いハンカチ』(64年)、『夕陽の
丘』(64年)、『夜霧よ今夜も有難う』(67年)など、ほとんどの

作品で相手役をつとめた。その後、日活の映画を振り出しに幾多の映画
や舞台などで活躍していました(ちょっと、まだ現役よ)。あら、そう
でしたよね、最近は昔の恋人だった小林旭芸能生活50周年のコンサー
トにゲスト出演をし、今年は一緒に、舞台で全国を巡業中。ルリ子は”
心ときめくひとがいると楽しいし、仕事をやるにしても張り合いが出ま
す”などといけしゃあしゃあと旭との、おのろけを口にしで同年輩の芸
能人と一緒に「無法松の一生(演出・小林旭)」の芝居や歌謡ショーに

も顔を出し元気なところを中高年にみせています。あたしゃ、小林と共
演して大当たりをとった日活の「渡り鳥シリーズ」が印象に残っていま
すが裕次郎や出演した監督などと片っ端から浮名を流し、浅丘の自宅は
合宿所みたいに連日大賑わいだったそうですな。いつでしたかNHKの特
番でゲスト出演した高橋英樹が浅丘の前では直立不動で無名のころ合宿
でドカ食いした話を冷汗を流しながら口にしていたのが印象的でした。
演劇界で蜷川幸雄と聞けば腰が引けてしまうぐらい、すざましい演技指
導で有名な演出家だそうですが、浅丘にも白羽の矢が飛んできてなんど

も断って猛烈指導はしないという条件で「欲望という名の市電」に出演、
グレイドアップしたんだそうですよ。しかし私は、なんといっても寅さん
主役の「男はつらいよ」シリーじで共演したリリー役がはまり役だったと
思っています。山田監督には平凡なありきたりのマドンナの役柄ではヤダ
女フーテンみたいな場末のうらぶれた売れない歌手の役が気に入って、あ
の絶妙なコンビが誕生した役柄が大好きだったと回顧録に呟いていました
っけ。そういえば当時の美形で人気スターを片っ端から画面に登場させた
のもこの映画のウリのひとつでしたよねえ。

   満男”人間は何のために生きてんのかな”。寅さん”難しいこと聞く
   な お前は・・・何と言うかな、あ~生まれてきてよかった。そう
   思うことが何べんかあるだろう。そのために生きてんじゃねえのか” 
   車 寅次郎                代読 ぐっさんハイ

一か月半余の病院生活を終えて帰還しました。その間、断食状態で、抗がん剤による治療が続き
その間、高倉 健 さんの下に逝くのではと思ったことが2度ほどありました。しかしながら
人間とは執念深い動物ですな。みなさんと勝手に約束をした、東南アジアの恥ずかしい行状記を
みていただくまでは生きて帰らねばという思いや、その東南アジアの屋台でハエのたかった飯を
食いたいなど、やり残したことを思い浮かべながら54日の断食に耐え体力の限界に挑み、奇跡
の生還を果たしました。まるで骸骨が動いているような状態で、カミさんの手料理をいただきな
がら英気を養い24日から再度入院して、悪縁ときっぱり縁を切って娑婆に帰ってきたいと切望
しています。悪縁と縁を切るには、あと3、4回入退院を繰り返えさねばならないと医師からは
いわれておりますが、取り敢えず12月の20日前後にご挨拶申し上げたいという願望をいだき
ながら戦いの場に戻っていこうと思っています。まだ、ひょろひょろ状態でうまく日本語が
うまくしゃべれませんのでこの辺で失礼いたします。
                平成26年11月23日 出前本舗 店主 ぐっさんハイ!