現代では弱者の味方とばかりにマスコミが精一杯声援を送っています。
ある雑誌を眺めていましたら江戸時代は歴然とした「格差社会」であっ
たと書いてありました。つまり江戸時代は「士農工商」という身分差は身
分・階層の中で人々の経済力には大きな差があり、そのうえ飢饉による
餓死や人身売買のほか傷病人の遺棄なども珍しくなく現代でいう「絶対
的貧困」と隣り合っていた。時代が流れるに従い武士から町人に経済力
が移っていったが幕藩体制は約260年続き元禄文化など経済力を身に
つけた庶民文化が花開いたのであった。なぜ「格差の時代」ともいえる
江戸時代に日本が成長・発展を遂げたのか?という疑問が湧いてくる。
現代と単純な比較はできないが現代の「格差解消論」とか格差を”悪い
もの”という前提でのみ捉えることに違和感を禁じえない。現代、「正社
員」と「非正規雇用」の賃金対比から「格差」を語られることが多いが、
江戸幕府が武家政権すなわち軍事政権であったこともあって、現在で
いう「非正規労働者」ないしは「派遣社員」のよって支えられていた。
大名・旗本屋敷の中間・小者には江戸時代の初めから「一季居」といって
雇用期間を1年の奉公人が充てられることが多く、その後、一季居の足
軽や用人クラスまで現れた。余談ですが安政七年の「桜田門外の変」で
は正社員の戦闘員が少なくて井伊大老は討ちとられたという笑いたくなる
ような側面が浮かびあがるとありました。さて武家、町人でも長男相続が
原則で次男以下は長男に万一のことがない限り一生部屋住みとして生き
なければならず、妻帯もできなかったが能力があれば他家「養子」になろ
という救済処置があった。従って次男、三男は学問や武芸に必死で取り
組んだとありました。町人や百姓の場合でも店借や水呑クラスまで子弟
の教育には熱心で、商家での丁稚奉公を振り出しに競争しな手代・番頭
と責任を負う立場を経て店の支配人まで昇進したり主家から暖簾を分け
てもらえる「出世」が可能だったのである。そのほか出世の手口として”妹
のおかげで馬におぶっさり”という川柳まであるように大名か大身の旗本
の屋敷に女中奉公にあがった妹に当主の「御手」付いたおかげで兄も、
士分に取立てられたという超ラッキーなケースは置いといて、歴然とした「
格差社会」から抜け出さんものと必死でチエを出し、独力でのし上がろう
としたのが江戸時代だったと筆者は訴えておりました。このように武家も
町人の次男、三男は学問所や寺子屋に血道をあげていたそうですな。
少子化の現代でも、そうですから孫どもの悪なき闘いには同情を禁じえ
ませんな。江戸時代ではこのような学問を重ねることで就職が有利にな
ったそうですよ。なお江戸は全国一の消費都市として発展し将軍や幕臣
参勤交代で浪費を強要される大名やその家臣は都市市民として大きな
消費需要をもたらしたそうですな。それによる婦女子のファッションや化
粧品の大部分が江戸に集中したとありますが、大坂だって江戸に対抗
意識をむき出しに奢侈禁止令に歯向かったようですな。HNKの大河ドラ
マ「花燃ゆ」でも大奥に倹約をお願いに行って”長州の面子を損なうよう
なことは相成らぬ!”と奥方(松坂慶子)に拒絶されたじゃありませんか。
本音と建前が目に見えるようですな。
どうも老兵にはマスコミのヘンにやさしい報道のおかげで
弱い立場と称されるひとが、ソノ気になって自分で”なんと
かする”という気迫というかヤル気を置き忘れているんじゃ
ないかと誤解したくなるような世相ですな。 ぐっさんハイ