大鐘 稔彦のブログ -153ページ目
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その189

私が野茂英雄に惹かれる理由はたぶんに情緒的なものです。マウンドに立った彼の後姿が、起立した生徒のように律儀でどこか初々しいのです。打たれて監督からボールを奪われるときの半分唇をかみ締めた顔、マウンドからベンチに引き上げるときのうなだれた歩き姿、皆が目を逸らす中で一人寂しく帽子を脱ぎ汗を拭い、おもむろにベンチに腰を下ろしてしばらくうつろな視線をグラウンドにやる、その一挙手一投足がなんとも言えず切ないのです。多くの選手は、不甲斐ない投球でノックアウトされてベンチに引き下がってくると、己の至らなさを棚に上げ、まるで他人が悪いと言わんばかりにグラブをダッグアウトの壁に投げつけたり、床のバケツか何かに足蹴を食らわせたりします。

しかし、野茂君は一切そうしたこれ見よがしのパフォーマンスには及びません。味方の貧打故に、あるいは誰かのエラーやリリーフ投手が打たれたために勝利投手の権利を逃しても、彼は決して人を責めないのです。そのストイックな姿勢、内なる感情を押さえ込める自制心の強さが清清しい、反面、なんともいじらしいのです。だから、彼が悲惨な状況に陥ったときの試合は見るにしなびないものがありました。朝、出勤前にそんな試合を見るともう駄目です。そんな日に限って余り歓迎すべからざる愚痴っぽい患者が来たりして、気分は最悪になったものです。

私がさほどに野茂君に惹かれるもうひとつの理由は、彼を見ると決まって不肖の息子を思い出すからです。息子は親の期待を見事に裏切ってくれました。中学の後半から問題児となり、高校はついに中退で終わりました。私が手塩にかけて育てた病院から追われ最も苦しかった平成6年の春から夏に掛けて、親の悩みなどはどこ吹く風邪、悪童らと遊び回り、夜中も彼らとたむろして騒ぎ回り、私の不眠をいや増してくれました。時に取っ組み合いとなり、私は眼鏡を割られて負傷、娘たちが止めに入ってくれなければ翌日からの手術に支障をきたしたでしょう。私が家を出て遠くに離れる決意をした理由の一つがこうした息子との葛藤にあります。

しかし、野茂君を見ると、そんな息子も許そうという気になるのです。どことなく二人は似ているからです。童顔で、ことに笑ったときの顔が。

マスコミから姿を消して2年、野茂君が帰ってきました。39歳、なお大リーガーに固執する彼のひたむきさは、切なく、しかし、心惹くのです。

過日、不肖の息子から思いがけなく電話が入りました。「お父さん、家を出ることにしたよ。調理師の修行に出るよ」と。息子の顔が、そして野茂英雄の顔が思い浮かびました。二人とも頑張れよ!

その188

奈良のお水取りも終わり、伝承の如く、漸く春が訪れたようです。ついこの前、一年の6分の1が終わってしまった、とどこかに書いたと思ったら、もう3分の1が過ぎようとしております。いつしかプロ野球の開幕を迎えました。日本でもアメリカでも。それにつけても嬉しかったのは、ここ2年ほどさっぱり消息の途絶えていた野茂英雄の姿を久々に見ることができたことです。日本人大リーガーのパイオニアとして敢然とアメリカに渡り、日本で挙げた78勝と併せて200勝を達成、その間にはノーヒットノーランも2回やってのけるなど、栄光に包まれた野茂君も、腕の酷使で肘や肩を傷めて2度の手術を受け、その影響で往年の急速が失せていました。球は遅くても絶妙のコントロールでコーナーを使い分ける技術があればまだしも、ご存知のように彼は三振か四死球という荒れたピッチングしか出来ない、必然、球が遅くなれば打たれて四死球で出したランナーを返される、という不甲斐ない結果に終わる試合が多くなり、見ていられなくなりました。敗戦投手が確実となる4回以前に早々と交代を告げられることもしばしば。憮然たる面持ちでベンチに引き下がる姿はなんとも痛々しく、もう200勝を挙げたのだから引退したらどうかと思いました。日本では抜群の勝率を誇っていたのですが、アメリカでは負け数もかなりこんできて、このまま行ったら勝ち数とどっこいどっこいになりかねない、下手すれば負け数のほうが多くなってしまうかもしれない、それでは折角の200勝も値打ちが半減してしまう。相撲でもボクシングでも、選手の評価はやはり勝率にあるからです。二度ばかり、野茂君に手紙を書きました。最初はドジャースから解雇され、万年最下位のブルワーズにトレードされた時です。ストレートとフォークボールだけではもはや生きていけないだろう、ぜひともスライダーなどもう一種球種を覚えたほうがいいとサジェストしたのです。なしのつぶてでしたが、その後彼がスライダーを交えた投球をするようになったと解説者の話しているのを聞き、頑固一徹の野茂君も人のアドバイスに耳を傾ける度量ができたかと喜んだものでした。その年彼は12勝(8敗)を挙げて復活を強く印象付けました。更にレッドソックスから古巣のドジャースに帰って3年間で45勝(30敗)を挙げました。しかし、彼の栄華はそこまででした。後はどんどんしりつぼみになっていき、黒星を重ねて、勝ち負けの差は20以下となりました。もう黙っておれなくなって2度目の手紙を送ったのです。イチローのチームメートであるジェイミーモイヤー(わたしはこの人が大好きです。ジョンウエインとゲイリークーパーを足して2で割ったような渋い二枚目もさりながら、漂々と投げるその投球態度がなんとも魅力的なのです)のような緩急自在の投法に変えるしかない、それができないならば引退したほうがよい、と。やはりなしのつぶてでしたが、それっきり彼の姿はブラウン管から消えたのです。相前後して、「野茂秀雄と私」という100枚ばかりの短編を書いていました。彼への餞別にしたいと念じて。なぜそこまで野茂君にこだわるのか、いくつかの理由があります。次回にそれを書いてみたいと思います。(前回、ブログに転じた「診療所便り」にパソコンの先生岡鼻あかねさんが載せてくれた写真は、遅ればせながら、その前に書いた「診療所便り」にちなんだものです。ご照覧下さい)

その187


慌ただしく日が過ぎていきます。

3月に入ってからは殺人的なスケジュールに追われています。久々に上京したとき、「緋色のメス」の最終ゲラをどさっと幻冬舎の編集者から渡されました。これを5日以内にチェックして送り返してください、と。600枚近い原稿を一から読み直しです。折悪しく、中旬に締め切りの原稿が二つ重なり、更に、毎月の短歌の締め切りも12日と迫っていて、てんやわんやの状況でした。いや、すっかり失念していたことがもうひとつありました。かつて主宰していた「日本の名歌愛唱会」の機関紙「ハーモニー」への寄稿です。これが奇数月ごとにめぐってくることを忘れていたのです。月初めに催促の電話を係りの方から受け、何とかします、と返事したことも忘れ去っていました。はっと気付いたのは8日です。慌ててお詫びの電話を入れると、まだ間に合いますからよろしく、と。じゃ、今回は諦めます、と言ってくれることを密かに期待していたのですが。

この機関誌に書いているのは「診療所便り」に似たもので、「島だより」と銘打っています。

掲示板に思いがけず「どさいたま」さん(どなたかはわかりませんが)が投稿して下さり、昔やっていたことを懐かしく思い出させられた次第ですが、「名歌愛唱会」もそのひとつでした。私の後を、ハーモニカの名手でこちらで一度その腕前を披露して下さった元埼玉県教育長の竹内先生と、私が関東に出て最初に責を担った病院があった(今も健在です)大宮市のこちらも教育長を務められた町田先生が継いでくれています。この会の特徴は、アコーデオンとピアノの生伴奏で歌えることです。アコージョの清水さんとピアノの岩崎さんは今でも変わらず伴奏に来て下さっている由。清水さんは今や世界的バイオリニストとなった清水和音さんの父親です。長い間、浅草オペラの草分けで一世を風靡した田谷力三さんの伴奏を務めておられました。田谷さんは、亡くなられる数年前でしたが、私の「出版記念パーテイ」においで下さり私のリクエストに応じて「恋は優しき野辺の花よ」を朗々と歌って下さいました。その時一緒に来られた清水さんのアコーデオンを聞いているうちに、はたと「愛唱会」を思いついたのです。清水さんにこの思いつきを話すと、それはいいですねー、ぜひお役に立ちたいです、と言ってくれました。

岩崎京子さんは、清水さんからの紹介で知り合ったと記憶しています。東京芸大を出たソプラノ歌手で、清水さんが勤めるドイツ式のビアガーデンでアルバイトに歌っておられました。何年か、私は岩崎さんに声楽とピアノを習いました。全く出来の悪い生徒でものになりませんでしたが、声の質がいい、天性のものだから磨けばものになりますよ、と言って下さったことばだけは嬉しい思い出です。

さて、3月に入ってやたら忙しくなったもう一つの理由は、とんだアクシデントのせいです。1日の夜、打ち合わせを兼ねて幻冬舎の3人のスタッフと一献傾けていた際、イワシの丸干しをかじった途端、上の切歯がパリっと音を立てて割れてしまったのです。たかが前歯一本と思いきや、何とうどんも噛み切れぬ有様、帰って早々になじみの歯医者さんに駆け込みました。爾来、一日おきに通うこととなりましたが、その時間のやりくりにも一往生、全くいやはやです。今週の火曜日にようやく新しい歯が入りました。

悪いことは重なるもので、その2日前の日曜日、夜原稿を書いていたらなんとなく右の眼が重く感じ、ゴミでもはいったのかと鏡を見に行って、仰天、兎の眼さながら真っ赤になっているではありませんか!以前にも一度、白目の半分ほどをやられましたが、34日で引いたので、今回もそのうちにと思っていましたが、5日目の今に至っても赤のコンタクトを入れたみたいです。いささか憂鬱な日々ではあります。


 


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