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ボニーとクライドはルイジアナ州で警察隊によって射殺されている。一体何が、二人を、そうさせるのか分からない。

車を使って逃走するのも、犯行現場から離れていく距離感を想像してしまう。

 

多くの犯罪者は、親から虐待される環境で育っているらしい。

 

犯罪者には被害者に対する同情心が欠けている。

 

中東でパレスチナ人が殺されても、住居が破壊されても、ベンヤミン・ネタニヤフは、かわいそうとは感じてない。

 

ユダヤ人の選民思想は、ユダヤ教徒だけが救われるという教えで、他宗教の信者は救われないという思想らしい。

 

ベンヤミン・ネタニヤフにはパレスチナ人との距離感がない。彼らが、すぐ側にいることが耐えられないのかも知れない。

 

ユダヤ人に学者や芸術家が多いのも現実から離れて、その先を空想しているからかも知れない。

 

日本の偏差値大学からイノベーションが生まれてこないのは、それとは逆に偏差値を守りたくて、現状維持を願って、未来を空想することが無いからかも知れない。

 

ボニーとクライドは犯行現場から、どんどん離れていく。

 

映画『俺たちに明日はない』も『明日に向かって撃て』も、彼らは未来に行くためには、現実を破壊して、そこから離れていくしかないのかも知れない。

 

[負のエネルギー]しか感じられない。

 

「自閉症」で検索すると。

 

自閉症は流動知能は高いけど結晶化する知能は低いという記述がある。

 

流動化するのは脳の異常反応かも知れない。

[負の感情]は、ほめられたことではないけど。

しかし!

それは、誰にでも、できる方法かも知れない。

 

まず!

現実の否定があって「こうなら良いのに。」という思いがあると、そんな風に思えてくる。

 

「イノベーションは、誰にでも起こる現象じゃないの。」

 

「現実に囚われているから空想できないんじゃないの。」

 

現実がイヤで、そんな[負の感情]は歪んだ感情で、ほめられたことではないけど。

現実を壊して、距離をおこうとしている。

そんな時!

なんらかの先入観をもっていると、そう見えるじゃない。

むしろ!

気付かないのは、答えを決めてないからで。

なんの先入観もなく見ているからで。

 

正解を求めると・・・。

正解は現状維持でしかなく。

結晶化してしまう。

 

正解のようなものではなく。

 

気付きは[プランA]から[プランB]に変化していく流動化で、それは脳の異常反応を利用した学習法かも知れない。

 

医学が進歩して自閉症の治療が可能になった時、望む[ひらめき]を得る学習法も確立しているのかも知れない。

そして!

そこからヒントを得て生成AIも進化していくと、そんな流動化現象は、過去の知識から「なるほど!」と気付いて、それは生成AIが過去から未来に繋がっていく瞬間かも知れない。

 

 

群れて飛ぶ鳥は、一瞬で上下左右に方向転換して、けっしてぶつかることはない。

 

ヨーロッパの、ある教授が歩道でワザとぶつかる実験をした結果、日本人だけ、なぜか避けてぶつからなかったという。彼は「日本人は忍者か!」と言っている。

 

それとは反対に、ラサール石井が「左側が崖の道路を運転していて、左側にハンドルをきりたい衝動と戦っている。」言ってけど、それは左側の崖を見ているからで。

 

何もない広場で、向こうから自転車が来て「あ~、ぶつかる⁉」と思っていると、本当にぶつかってしまうのも。

それは!

こちらに来る自転車を見ているからで。

 

人は太古の昔、まだ動物だった頃の古い脳が残っていて、見ている獲物を追跡する、見ている方向に体が動いてしまうからかも知れない。野球でも投手が「あそこに投げてはいけない。」と思っていると、そこに投げてしまうのも同じように、そこを見ているから、太古の古い脳が働いて、その方向に向かって投げてしまう。

それなら!

投げたい方向を見ていれば良いのかも知れない。

 

ヨーロッパの、ある教授が歩道でワザとぶつかる実験をした結果、日本人だけ、なぜか避けてぶつからなかったという。

 

群れて飛ぶ鳥も、急な方向転換しても決して、ぶつかることはない、一瞬で同じ方向を向くのは。

もしかして

群れる動物には“テレパシー”のような不思議な超能力があるのかも知れない。

 

ぶつかることもなく、離れることもない、一定の距離感を保ってる。

車を運転しても車線から外れないように運転したり、車間距離を保ったり、人にも常に一定の距離感を維持する能力が備わっているのかも知れない。

 

ドッペルゲンガーは自己認識のズレという記事を読んだことがある。

 

女性は車を運転して、狭い道で対向車と、すれ違うのが苦手なのは距離感の認識力に問題があるのかも知れない。

男は狩りで家を離れることはあっても、女性は家庭から離れるという選択肢はなく、人間関係でも距離感が近い。

独特の距離感が原因して対向車との離合が苦手なのかもしれない。

 

歩道で日本人以外は、ぶつかってしまう?

 

日本人の集団志向性には、ぶつからないという不思議な超能力が潜んでいるのかも知れない。

 

イスラエルとアラブの戦争は終わらない。

 

一神教は違う神様を受け入れない。

 

キリスト教もイスラム教も、ルーツは同じユダヤ教なのに、戦争は激しくなっている。

 

ユダヤ人には芸術家も学者も多いのに、どうして、ぶつかってしまうんだろう?

 

丁度良い距離感が保てない

 

才能は周囲を出し抜く能力なのか

 

一神教は結果論かも知れない。

 

日本では高度の管理社会が機能しているのも、ぶつかることがないのも、不思議な超能力が働いているのかも知れない。

その能力は!

急な方向転換をする時に表れてくる。

 

日本では「教科書は正しい。」と教えて、何も付け足してはいけない。何も削り落としてもいけないと教えて、変化を認めない。

 

記憶力は変化しない能力で、イノベーション能力とは矛盾している。

 

AIの進化で、記憶力や模範解答を速答する能力はAIに丸投げすれば良い。

やっと!

矛盾から卒業できて、むしろ日本人には急な変化にも、とりあえず、ついていく超能力があって、ついていくと、そのうち分かる。

大丈夫!

イノベーションは急な変化でも、日本人は、ちゃんと、ついていける。

むしろ!

「教科書は正しい。」と教えると、日本人の思考は停止する。

しかし!

急な方向転換すると。

むしろ日本人は覚醒するのかもしれない。

 

 

訓練された犬や馬は、人の指示通り動いている。指示通り動くのを見て「賢い犬だ!」と関心しているけど

 

主体的な判断ができなくなっている。

しかも!

訓練された犬や馬は命令に忠実で、指示が最優先で、自力で考えることができなくなっている。

なのに!

指示通り行動する犬を見ている人も「訓練された犬は判断力を失くしている?」と疑問に思うことができなくなっている。

むしろ!

主体的に行動できない犬を見て「頭の良い犬だ。」と思っている。

 

「なにか、おかしくない⁉」

 

「主体性]で検索すると。

 

仕事においては、「目的や課題を自ら設定して、その実現のために考え行動し、結果に責任をもって取り組む力」を指します。

 

訓練された犬は、多くの能力を失っている。

 

日本人は昔から「右に打て!」と言う。

しかし、どうしてかは分からない。そして、どうすれば、できるのかも分からない。

納得できる説明はないのに、感化され、影響されて、やがて価値観にまでなっていく。

 

主体性ではなく、従属性で考えている。

しかし!

それが考える共通の基盤になって、誰かが、フィっと思い付くと、ヒントも共有して、同じものを積み重ねながら理解は進んでいく。

 

一人ではなく皆で考えている。

それは!

自分だけ置いていかれるのが怖い日本人は、とりあえず、ついていく。

やがて!

それが考える共通の基盤になって、ヒントも共有しながら、そんな過程を共有できることで、ちゃんと理解できている。

価値観が、ひっくり返るような変化も、ちゃんと理解できている。

 

とりあえず、ついていく、主体性のなさは、学習能力にもなっている。

そして!

群れて飛ぶ鳥のように、一瞬で上下左右に方向転換をしている。

 

日本人は他力本願で主体性がない。

 

主体的に行動しない。

そんな周囲に影響されてしまう欠点が学習能力に繋がっている。

 

「それなら、それで良いんじゃないの。」

 

群れて飛ぶ鳥は、必ず!群れと同じ行動をしないと、ぶつかって危険

 

群は同じ方向転換をしながら飛んでいる。

それは!

主体的な判断をしないのではなく。

群に従うという判断をしている。

 

群れる動物は、群に従う方向で、脳は覚醒して、仲間外れは不安で、なによりも!群と違う行動をすると生きてはいけない。

 

主体性を失って、テレパシーのような能力を進化させている。

 

「主体性]で検索すると。

 

仕事においては、「目的や課題を自ら設定して、その実現のために考え行動し、結果に責任をもって取り組む力」を指します。

 

訓練された犬は、多くの能力を失っている。

なのに!

この犬は賢いと思っている。

 

「なにか、おかしくない?」

 

それらは群れる動物のDNAで説明できるのかも知れない。

 

日本人のイノベーション能力を言う時、もっと群れる動物の行動を考慮すべきなのかも知れない。