群れて飛ぶ鳥は、一瞬で上下左右に方向転換して、けっしてぶつかることはない。
ヨーロッパの、ある教授が歩道でワザとぶつかる実験をした結果、日本人だけ、なぜか避けてぶつからなかったという。彼は「日本人は忍者か!」と言っている。
それとは反対に、ラサール石井が「左側が崖の道路を運転していて、左側にハンドルをきりたい衝動と戦っている。」言ってけど、それは左側の崖を見ているからで。
何もない広場で、向こうから自転車が来て「あ~、ぶつかる⁉」と思っていると、本当にぶつかってしまうのも。
それは!
こちらに来る自転車を見ているからで。
人は太古の昔、まだ動物だった頃の古い脳が残っていて、見ている獲物を追跡する、見ている方向に体が動いてしまうからかも知れない。野球でも投手が「あそこに投げてはいけない。」と思っていると、そこに投げてしまうのも同じように、そこを見ているから、太古の古い脳が働いて、その方向に向かって投げてしまう。
それなら!
投げたい方向を見ていれば良いのかも知れない。
ヨーロッパの、ある教授が歩道でワザとぶつかる実験をした結果、日本人だけ、なぜか避けてぶつからなかったという。
群れて飛ぶ鳥も、急な方向転換しても決して、ぶつかることはない、一瞬で同じ方向を向くのは。
もしかして⁉
群れる動物には“テレパシー”のような不思議な超能力があるのかも知れない。
ぶつかることもなく、離れることもない、一定の距離感を保ってる。
車を運転しても車線から外れないように運転したり、車間距離を保ったり、人にも常に一定の距離感を維持する能力が備わっているのかも知れない。
ドッペルゲンガーは自己認識のズレという記事を読んだことがある。
女性は車を運転して、狭い道で対向車と、すれ違うのが苦手なのは距離感の認識力に問題があるのかも知れない。
男は狩りで家を離れることはあっても、女性は家庭から離れるという選択肢はなく、人間関係でも距離感が近い。
独特の距離感が原因して対向車との離合が苦手なのかもしれない。
歩道で日本人以外は、ぶつかってしまう?
日本人の集団志向性には、ぶつからないという不思議な超能力が潜んでいるのかも知れない。
イスラエルとアラブの戦争は終わらない。
一神教は違う神様を受け入れない。
キリスト教もイスラム教も、ルーツは同じユダヤ教なのに、戦争は激しくなっている。
ユダヤ人には芸術家も学者も多いのに、どうして、ぶつかってしまうんだろう?
丁度良い距離感が保てない⁉
才能は周囲を出し抜く能力なのか⁉
一神教は結果論かも知れない。
日本では高度の管理社会が機能しているのも、ぶつかることがないのも、不思議な超能力が働いているのかも知れない。
その能力は!
急な方向転換をする時に表れてくる。
日本では「教科書は正しい。」と教えて、何も付け足してはいけない。何も削り落としてもいけないと教えて、変化を認めない。
記憶力は変化しない能力で、イノベーション能力とは矛盾している。
AIの進化で、記憶力や模範解答を速答する能力はAIに丸投げすれば良い。
やっと!
矛盾から卒業できて、むしろ日本人には急な変化にも、とりあえず、ついていく超能力があって、ついていくと、そのうち分かる。
大丈夫!
イノベーションは急な変化でも、日本人は、ちゃんと、ついていける。
むしろ!
「教科書は正しい。」と教えると、日本人の思考は停止する。
しかし!
急な方向転換すると。
むしろ日本人は覚醒するのかもしれない。