生成AIにマニュアルについて尋ねると。
マニュアルと手順書、説明書の違いは?
マニュアルと同様に業務の流れや作業手順、ツールの操作方法を説明する書類として用いられるのが「手順書」や「説明書」といった書類です。一見同じようなものにも見えますが、これら3種には役割などの違いがあります。
マニュアル通り作業することで、ファーストフードではアルバイト学生でも、一定の基準を満たすことが可能になっている。
日本人の管理主義から「決められた通りやりなさい。」と作業をマニュアル化してしまう。そしてマニュアル通りできていれば安心してしまう。しかしマニュアル化は個人の問題提起もアイデアも求めてはいない。まして個人的な変更はもってのほかで労働者はロボット化して、何時まで経っても何も変わらない。進化や進歩は止まってしまう。
マニュアルは進化や進歩には向いていない。
元プロ野球選手の動画を見てると、バッティングでのタイミングの合わせ方に「2のー3」という間延びや[ゆっくり感]がある打法に違和感は感じないみたいで、バッティンに間延びがあることを、どう説明するんだろう?
どうやら!
そこは悩むところではないらしく、なんの問題もなく受け入れている。
しかし!
そこは悩むべきところかもしれない。
あのリズム感で、ボールがゆっくり見えたり、間延びのあるリズム感で見ると幅に広がりがあってタイミングが合わせやすいみたい。
そんな[錯覚]から、ピッタリと合わせやすい状態が作れる。
[錯覚]することで[正確]に合わせることができる。
矛盾している。
「2のー3」の様な間延びのあるリズムで錯覚する。
そこまでなら!
途中までなら、役に立つのかも知れない。
肝心なタイミングを合わせる作業は、自分でやるしかない。
元プロ野球の選手の動画を見てると、どうやら「2のー3」という間延びのあるリズム感に違和感は感じないらしい。
打つ直前!
どこかが動いていることに違和感はないらしい。
リズムはボールが、ゆっくり見えたり、長く感じるためのマニュアルとしては役に立っけど。
しかし、そこまで!
理解する方法としては効果的で、そこまでなら役に立っけど、実戦で、そのリズムで捉えようとすると振り遅れてしまう。
理解する方法!そこまでなら効果的で。
もしかして!
理解すれば忘れても良いのかも知れない。
英語は文法的に結論を言ってから、その説明をするので、話の途中での変更はできないけど。
その点、日本語は[あいまい]で考えるためには便利な言語かも知れない。
日本は「教科書は正しい」と結論が出て終了しているけど、むしろ!教科書は学者の仮説で、終わったのではなく、始まりで、空想の様な非科学的な世界で、そんな学者の空想に便乗して、その話をヒントに、その先を自由に創作すれば良い。
空想は膨らんでいく。
英語の文法は結論から話始めてから、その説明をしているので、分かりやすい。
その点、日本語は結論がハッキリしない。
「うん?」
「なに!」
そして俳句のように空想は膨らんでいく。
そして多くの日本人は、その広がりを埋める言葉が必要になって[ひらめき]を得ることができるのかも知れない。
[ひらめき]や気付きを得るために、非科学的な空想は効果的で、俳句は、そんな空想を誘う。
たしかに日本語は、結論はハッキリしないけど空想を共有する。
そこまでなら、日本語に優位性があるのかもしれない。
日本語は思考の入口に適応力があって。
そして!
理解すると、バッティングのリズム感や、非科学的な空想のように、もう忘れても良い。
進化していくためにも、むしろ忘れた方が良いのかも知れない。