エジソン少年は教師から「お前の頭は腐っている。」と言われ、小学校を退学させられている。
たしかに義務教育は、もう覚えるしかなくて、漢字の読み書きも、九九も、知識も覚えるしかない。
小学生にとって記憶力が最も重要な知能だけど・・・。
年をとると記憶力は低下するし、脳に障害があっても記憶力は弱くなる。
しかし!
人には学習能力があって、蓄音機を学んで、そこからヒントを得てレコードプレイヤーが発明されているように、進化は変化で、記憶力とは矛盾している。
記憶力で分かるのは脳の劣化で、思考力を測る“ものさし”としては最悪‼
あえて記憶力という“ものさし”で測るのなら100点満点で70点くらいに望む学習能力をもった生徒は、いるのかも知れない。
大学は義務教育とは違って教科書を書き換える生徒が評価される。
義務教育と大学では求められる能力が正反対で、日本では義務教育から変化することもなく、大学でも、義務教育と同じ教育をしている。
もしも小学校を退学させられたエジソン少年が大学にいくと「天才!」と評価されるのかも知れない。
日本の小学校では「教科書は正しい。」「暗記しなさい。」と教えて、教科書を覚えられない子は、出来の悪い子と酷評されてしまうけど。
しかし!
今日では教室にタブレット端末があって、生成AIが使える環境にあって、学者の生い立ちや背景も知ることができる。
そこは天才達の空想の世界で、科学を超えたディズニーランドのように世界が体験できて楽しいのかも知れない。
天才達の思考の出口は科学でも、思考の入り口はディズニーランドのような空想の世界で、理解ではなく体験すれば良い。
学者の空想の世界を体験することで、記憶は溶けてしまう。
記憶は個体ではなく液体になってしまう。
空想は記憶の液状化現象かも知れない。
小学生の入選作文を読んで感心したことがあって。
読書感想文は美しい文章で、きっと彼のお母さんは会話というキャッチボールが上手で、その子は「もっと、お母さんと話したい。」という思いから、知的好奇心は刺激されて、多くの言葉が記憶され、美しい文章が書ける子に育ったのかも知れない。
きっと会話が、お母さんの胸に響いて言葉は意味を増していったのかも知れない。
スピルバークを批判する人は多い。
役者は漏れなくセリフを伝えようとして一本調子になってしまう。強弱をつけて、後は空想させるような言い方の方が伝わって、スピルバークも小津安二郎のように余韻を残して、何かを連想させる言い方をした方が相手の胸に響いて言葉は意味を増すのかも知れない。
俳句は「古池」や「蛙」のように空想させて連想ゲームに誘うので。
日本語の生成AIは、そんな連想ゲームに誘ったり、余韻を残すことで読者に[ひらめき]や気付きを与えることができる。
アメリカの生成AIは、どこまで表現できるか、スピルバークのように進化して。
それとは違って日本の生成AIは小津安二郎のように、どれだけ余韻を残せるか、そんな方向で進化していくのかも知れない。
日本人は野球でも間(ま)という[あいまい]な概念が好きで、たとえ矛盾していても、ついていくので、思考の出発点(科学を超えた空想)に適応力があって、アメリカ人は思い付かない野球理論が生れている。
人の空想は液状化現象で。
特に日本人は科学者というよりもエッセイストで科学や常識を超えたところに適応力があって[プランB]でもOK!と評価の枠を広げれば良いだけかも知れない。
記憶力や計算力はコンピューターに丸投げして、模範回答を答える能力は生成AIを使えば良い。
AIの進化で!
固体化ではなく[ひらめき]や気付きのように気化していく能力が重要になって、日本の教育の問題点も、すでに解消されているのかも知れない。