医学が進歩すれば!
「自閉症という学習障害児が、どうして理数系で才能を発揮できるんだ?」という説明できない、不思議な現象も、もともと才能の豊かな子が自閉症になってしまったと考えて、誰でも納得できて。
もしかして!
医学が進歩すれば「1+1=1」と答える子に対して「この子は、我々が思うよりも賢い子かも知れない。」と感じることができるのかも知れない。
そして!
教科書を書き換える、イノベーション能力を育てることができるようになるのかも知れない。
挫折して!
そこから次の段階があるのかも知れない。
人には感情があって、人が悲しんでいると悲しくなって、もらい泣きをしたり、喜んでいると同じように嬉しくなってくる。
感情は、同じように共鳴してしまう。
人一倍プライドの高いベートーヴェンは聴力を失って、出世欲も名誉欲も失って、美意識だけが残っている。
我々にも感情があって、最後まで残った、ベートーヴェンの純粋な美意識だけを聴くことができる。
ベートーヴェンは挫折したポジションにいる。
無欲で達観して、純粋な美意識だけが残っている。
聴力を失ったことと、彼の作曲した曲には因果関係はあるのかも知れない。
挫折して!
そこから次の段階があるのかも知れない。
我々にも感情はあって、失意のベートーヴェンに共鳴して、次の段階に行くと・・・。
挫折したポジションから見えている風景は、名誉欲に囚われている心理では見えない風景が見えているのかも知れない。
我々にも感情はあって、共鳴してしまう。
「1+1=1」と答える子に対して「この子は、我々が思うよりも賢い子かも知れない。」と感じることができる。
というか!
高得点をもらうと。
現状維持を望んで、なにも感じなくなってしまう。
挫折して。
達観して。
絶対的な価値を見失って。
挫折して!
SFの様な空想があるのかも知れない。
いくら優れた才能の持ち主でも、病気になって、なにがしかの問題を抱えていることは有り得る。
もともと優れた才能の持ち主が聴力を失い、失意の中で、出世にも名誉にも、価値を感じられなくなってしまった。
挫折したポジションから見えている風景は、名誉欲に囚われている心理では見えない風景が見えているのかも知れない。
我々にも、挫折した経験ならあって。
「自閉症という学習障害児が、どうして理数系で才能を発揮できるんだろう?」
挫折して。
達観して。
そこには現実から遊離していく空想があって。
彼らは、我々よりも自由なのかも知れない。
偏差値型の優等生からイノベーションが生れてこないのは、テストも正解もあって、自由な空想がないからかも知れない。