1+1=1」と答えるエジソン少年を知って。
「1+1」に答えが二つあるの?
二つ目の答えがあるの?
そんな経験があって。
もしかして!
この子は、我々が思うよりも賢い子かもしれない。
そんな風に感じる体験をすることで、技術革新は可能になるのかも知れない。
教えるのは、そんな「この子は、我々が思うよりも賢い子かもしれない。」という経験かも知れない。
100mの金メダリストにマラソンは期待できないように、そもそも才能には偏りがあって、欠点もあることを教えて。
教えるべき点は、総合点をつけると、才能は埋もれてしまうという現実かも知れない。
才能は、そもそも欠点でもあって。
才能は非科学的な思考からも生れてくる。
東大には学習障害児もいなければ、耳の聞こえないベートーヴェンもいない。
そして!
ベートーヴェンのように、才能に恵まれた人が、挫折したからこそ気付く。
ベートーヴェンは挫折して、全てを失い、既存の価値観や現状維持に意味を感じなくなっている。
東大が技術革新で成果をあげたことがないのは、東大には「1+1=1」と答える生徒はいないし、そんな生徒を見たことがないからで。
そんな学者には「空想」や「仮説と」いう非科学的な第一段階があって、やがて、そんな空想が実体化していくように、科学は生まれてくる。
東大生にはSFのような第一段階が無い。
SFはテストに馴染まない。
「1+1=1」と答える子を見て「この子は、自分たちが思うよりも賢い子かも知れない。」と、そんな体験をすることで、我々にもイノベーション能力を見い出すことができるようになるのかも知れない。
自閉症患者には、なにか、そうなってしまう原因があるはず。
しかも!
自閉症は学習障害なのに理数系で才能を発揮する人がいることが、理解のきっかけになって、致命的な欠点と才能が結びつくという、予想外な展開をしている。
外国では自閉症児から才能を育てるという、驚くべき教育力を見せている。
そんな知識を知れば、我々も、ついていけるのかも知れない。
日本人は自分で判断できないというよりも、ついていくという判断をしている。
外国の群集心理は破壊的で、そこから反対方向に振れる、揺れ戻しもなく、一方通行で。
群集心理という破壊的な[負のエネルギー]から[正のエネルギー]が生れてくることも無い。
もしかして!
ユダヤ人は「自分達だけが生き残れば良い。」という排他的な悪魔性から、周囲を出し抜く才能が生れているのかも知れない。
日本人の能力は、流れに、ついていく、二次的・二番目がキーワードかも知れない。
日本人は優秀な二番手で、歩調を合わせて、ついていく。
『インサイドヘッド』は、監督の娘が鬱になってしまった。
娘は[負の感情]に囚われてしまった。
監督は、反対方向に振れる[正の感情]に期待して映画を制作している。
暗号やインターネット、病気や戦争のような[負の感情]があって、才能は、その二次的・二番目にも表れてくる。
少数の学者と、それに、ついていける多数の国民というバランスがベストなのかも知れない。
案外!
「1+1=1」と答える、二つ目の答えにも、日本人は、とりあえず、ついていくと、そのうち分かる。
だからこそ!
ちゃんと、ついていくので!
「1+1=1」と答える子を見て「この子は、自分たちが思うよりも賢い子かも知れない。」と感じる。
そんな体験をする教育が重要なのかも知れない。