中学2年の頃の話。
受験もなく、緊張感も薄れるため、中2は、中だるみしやすい。
だから、中だるみには気をつけろ!
と、口々に、そしてことあるごとに担当学年の先生方が言っていた。
そして、自分はまんまと中だるみをした。
今、振り返ってみれば、そんなこと言わなきゃよかったのにと思う。
というのも、先生の注意喚起でかえって中2=中だるみの時期という印象が強く残ったからだ。
なぜ、まんまと引っかかったかというと、心を燃やしていなかったから。
部活に、勉強にと心を燃やしていたら、きっとたるんでいる暇はなかっただろう。
テレビでニュースを見れば、〇〇が危険、✕✕に警戒、△△の感染拡大なんて言葉が飛び交う。
しかも、テレビのみならずネットでもこうした話題が、よくもまぁ飽きることなく取り上げられている。
親切なのかどうなのかよくわからないが、ご丁寧に毎年、流してくれている。
毎年、毎年同じようなことが報じられるのが不思議でならない。
酷暑は毎年同じですから、みなさんわかっているでしょうからそれなりに、くらいにしておけばいいじゃんと思うが(笑)
定年まであと〇年だとか、休みまであと〇日だとか。
あるいは、今日もかったるくて仕事に行きたくないなんてことを考えている人が多くいるとすれば、こうした言葉に簡単にひっかかる。
何かに燃えるでもなく、簡単に中だるみに引っかかった中2の頃の自分のように。
心を燃やさずに毒を喰らっても、毒にやられてしまう。
命のそもそもを考えてみる。
生まれた瞬間から病老死に向かっている命。
その命と時間をまっとうに使わなければ、毒に対する耐性が極度に弱くなるのではないか?
生きていくにあたり、おいしいところだけ切り取ろうとしてもできないようになっている。
病老死という宿命を受け入れることなく、むしろ避けようとするほど、不安や恐怖に囚われる。
恐れるため、不安に襲われるため、危険を極度に避け、保身のために命をいただいているはずがない。