自分は幼少期に毒親に育てられた。
だから、大人の今になってもその心の傷に悩まされている。
もちろん、このような例だけではなく、様々な過去の苦痛、傷に悩まされる人も多くいるだろう。
あるとき、ふと気づいた。
このような過去の囚われに悩まされる人たちの特徴。
それは、今を留守にしている。
もっとはっきり言えば、暇だから。
暇にしていると、人間は自分のことしか考えられなくなる。
逆にいろいろなものを背負って、日々忙しくしていれば、自分のことなど考えているゆとりはなくなる。
ある人がおっしゃっていたけれども、仕事はすればするほど心身ともに健康になると。
まったくその通りで、自分のことなど考えている時間をなくすほど、心が健全になっていく。
逆に言えば、暇にすればするほど、人間の心身は休まらない。
むしろ、滓や垢がたまり、本来の自己を見失う。
そのかわり非本来的な自己を本当の自分だと勘違いしてしまう。
過去の苦い経験、苦痛なんて既にここにないものに囚われる必要がない。
未来への不安なんて、まだここにないものにも囚われる必要もない。
なぜなら、課題が山積している今を生きるしかなければ、必要もないことを考える時間は皆無になるから。
だから、いろいろなことを引き受け、背負い込んだほうがいい。
同時に独り静かに、穏やかに過ごす時間を少しでもいいからもったほうがいい。
一方、働き方改革、ワークライフバランスなんてことが数年前から言われている。
バランス、ゆとり、自由、余暇なんて、実に耳障りが良い。
でも、下手するとくだらないことばかり考える時間が増える可能性も高い。
(国際競争力が下がっているなんて大騒ぎしている割には、勤勉性が失われつつあることを問題視しないのは個人的によくわからないのだが・・・。)
いずれにしても、先人、祖先は自分の命をどのように使ってほしいと考えているのか?
ここをよくよく考えてみれば、悩み苦しむためだけにこの世に生を受けたわけではないことは明白になる。
「人生二度なし。」
棺桶に入る直前に気づいたのでは遅すぎる。