結果を出していれば、素行の悪さには目をつむる。
本当にそうだろうか?
今日は、お茶室の稽古。
では、お茶の手前がうまければ、素行の悪さは黙認されるのか?
決してそうではない。
なぜなら、結果よりも大切なものが人間には問われるからだ。
勝負至上主義、結果第一主義。
それもいいだろう。
しかし、勝敗や結果を「長い目で見て」左右するのは、人としてのあり方。
たとえ結果が結びついていなくとも、人としてのあり方で人生の価値は決まるとさえ自分は考えている。
なぜなら、そこには勝敗、結果よりも大切な品格、信用があるからだ。
その品格や信用を磨かなければ、お茶の稽古が成り立たないように仕事も成り立たない。
目に見える結果にばかり目を向けることはたやすい。
しかし、その根底を支えている目に見えないものに目を向け、感じ取ることが、現代人にはより強く求められていると自分は考える。
オリンピック選手の喫煙問題で世間が騒いでいる。
どの報道を見ても「日の丸を背負う」意味や意義を誰も主張していない。
それほど国としての品格や信用に意識を向けていないとも言えるし、本来はそこを議論して認識を深めていく必要があると自分は考えている。
処分の内容や規則なんてものは末節の部分であり、根本を問う姿勢がないことに問題がある。
先の都知事選の選挙のあり方を巡る問題と同様、浮き彫りになっている点のみに議論が集中し、その対処法だけが議論されている。
このことがそもそもの問題なのだ。
仕事でも何でも何が根本的に大切なのだろうか?
そこを問うこともなく、対症療法ばかりに終始していては、何も問題解決にはつながらない。
いや、問題解決にばかり囚われていれば、対症療法にすがる愚を犯し続けることになる。
そこに人類の進化はない。