政治家がよく発言する「努力が報われる社会」。
こうした社会が良い社会だとされるが、本当だろうか?
別な言い方をすれば、報われる、報われないで、幸不幸が本当に決まるのだろうか?
そうではなく、精一杯生きれば、人間は不幸なんて感じられないようになっているのではないだろうか?
と自分は考える。
即物的発想から生じる幸不幸の観念にとらわれすぎるほど、人間の根底にある力を発揮しにくくなるように思う。
先の発想に何の疑問も持たない社会だからこそ、努力が報われる社会が理想のように思える。
しかし、その当たり前をひっくり返してみれば、失敗も不幸も厭わずに立ち向かえる人が集う社会こそ健全なのだと気づく。
宇宙意思に適う世のあり方とは、そうした社会なのだ。
即物的発想は、人の底力に蓋をしてしまう。
その蓋を開けてみなければ、本来の力が発揮されない。
ところで、僕の周りには優秀な人がたくさんいる。
しかし、そうした人々が本来的な力を現場で十分に発揮できているか?と言われれば、僕はノーだと感じている。
もっと世の中で活躍できる人々が、未来に不安を感じ、どこか委縮し、後ろ向きなのは、世の中で常識とされる先のような観念に原因がある。
この観念をひっくり返せるのは、現代では読書しかない。