末は博士か?大臣か? | 行政書士お~ちゃんの心学日記

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心を磨けば、食うに困らず

昔、聞いた言葉。

 

末は博士か?大臣か?

 

将来有望な子どもの未来を期待しての言葉。

 

そんな期待を託された子どもたちが大人になり、大臣や博士になる。

 

ところが、国の財政状態はひっ迫し、世界各国で戦争がやまない。

 

汚職やら買収やらキックバックやらと、いつの時代も世間を騒がせている。

 

優秀な人々が集い、英知を結集しているはずのに、なぜなのか?という疑問がわく。

 

正しい知識を積み上げ、その知識を前提に物事を考え、判断する鋭さ。

 

それが優秀さという言葉の意味するところなのかもしれない。

 

では、その大前提にある知識が間違っている場合は、どうなるのだろう?

 

人間が正しいと判断した知識には危うさを孕むという言葉をある本で読んだ。

 

知識は自己の正当性という執着を生み、それが争いの火種となる。

 

Aが正しい真理であり、Bは間違っている。

 

Cの判断は利口、Dの判断はバカ。

 

自分の思想に合うように思える正しさ、真理とされているものを疑うこともなく主張するほど和合、慈悲から遠ざかるように思う。

 

時の政府を糾弾する政治家、有識者の表情、言動のどこかに釈然としない何かを感じる。

 

それは、僕らが正しいとしてきたあてにならない根拠に起因しているようにも思える。

 

僕らは、知識は学んではきたが、智慧を学んでこなかったのではないか?

 

だから、ここぞというときに狡さに負け、問題の兆しを見て見ぬふりをしてきたように思う。

 

経済問題にしても、政治にしても、国際情勢にしても、個人的な問題にしても。