受験生時代。
「あ~、もっと頭が良けりゃあなぁ・・・」
と、何度嘆いたかわからない。
若い頃の自分は、持って生まれた才覚、センスといったものを必要以上に羨望視していた。
しかし、大人になり、働いてみると、存外、こうした天賦の才よりも、ずっと大事なものがあるとつくづく感じられるようになった。
それはいつでも気を充実させ、力を出し切ることだ。
そうすると、嘆きや愚痴なんてものはとんと出てこなくなる。
何かがダメになったとき、自分にはセンスがなかったとか、向いていなかったとか、そうした言葉がつい心に浮かぶ。
でも、その前に千の手、万の手を打っていたのかどうか?
うまくいく、いかないというのは、単なる結果論。
その前に自分はどうしていたのか?どうしているのか?どうするのか?
才覚よりも根底にある熱量。
熱量が足りなければ、才覚は全くいかされない。
そして、この熱量は、誰でもその気になれば発揮できるもの。
世間から注目を浴びている天賦の才の持ち主。
簡単に天賦の才と片付けてしまっては、その裏側にあるものが垣間見えなくなってしまうように思う。
幼い頃から人より多く積み上げてきたことがあり、人より多くの熱量でことに当たってきたこともあるのだろう。
才覚の無さを嘆くよりも前に自分には、目の前にやるべきこと、やりたいことがある。
さて、自分はどう生きてきたのか?
そして、これからどう生きていきたいのか?
自問自答を繰り返す日々。