才能より気合? | 行政書士お~ちゃんの心学日記

行政書士お~ちゃんの心学日記

心を磨けば、食うに困らず

受験生時代。

 

「あ~、もっと頭が良けりゃあなぁ・・・」

 

と、何度嘆いたかわからない。

 

若い頃の自分は、持って生まれた才覚、センスといったものを必要以上に羨望視していた。

 

しかし、大人になり、働いてみると、存外、こうした天賦の才よりも、ずっと大事なものがあるとつくづく感じられるようになった。

 

それはいつでも気を充実させ、力を出し切ることだ。

 

そうすると、嘆きや愚痴なんてものはとんと出てこなくなる。

 

何かがダメになったとき、自分にはセンスがなかったとか、向いていなかったとか、そうした言葉がつい心に浮かぶ。

 

でも、その前に千の手、万の手を打っていたのかどうか?

 

うまくいく、いかないというのは、単なる結果論。

 

その前に自分はどうしていたのか?どうしているのか?どうするのか?

 

才覚よりも根底にある熱量。

 

熱量が足りなければ、才覚は全くいかされない。

 

そして、この熱量は、誰でもその気になれば発揮できるもの。

 

世間から注目を浴びている天賦の才の持ち主。

 

簡単に天賦の才と片付けてしまっては、その裏側にあるものが垣間見えなくなってしまうように思う。

 

幼い頃から人より多く積み上げてきたことがあり、人より多くの熱量でことに当たってきたこともあるのだろう。

 

才覚の無さを嘆くよりも前に自分には、目の前にやるべきこと、やりたいことがある。

 

さて、自分はどう生きてきたのか?

 

そして、これからどう生きていきたいのか?

 

自問自答を繰り返す日々。