年を取るほど、大笑いしなくなってきたように思う。
どこか冷めた風な感覚をもっているなと感じることが、多々ある。
それでいいのか?と、最近はよく思う。
なぜなら、大笑いするほど細かい理屈なんて関係なくなり、心が解放されるからだ。
どうだっていいことに拘っていた、なんてことに笑いながら気づかされることもある。
もちろん、いい年した大人として仕事もきちんとやらなければならないし、それ相応の責任も抱えている。
年相応の見識も持っている必要もあるだろう。
でも、そこにばかり囚われていると人間にとって肝心の明るさがなくなっていくようにも思う。
商売とは、人格の向上とよく言われる。
確かにそうした側面もある。
でも、人格の向上よりも、自分は愉しく、明るい雰囲気をもつほうがいいなと感じている。
博識で、すばらしい実力を備えた仕事人も立派なのだが、そればかりだと窮屈になってしまう。
それよりも、柔らかい心。
人は笑えば笑うほど心も柔らかくなっていくようだ。
営業成績、売上なんてものも、それに比例するようにも思う。
人を許そうと思えば、苦しくなる。
でも、笑える自分でいれば、心は勝手にゆるんでいくように思う。
笑いは、人を優しくしてくれる。
一方で、理屈は人を冷たくしてしまう。
経営なんて理屈で考えるより、人に笑顔で接するほうが、人は生かされる。