本当に忙しい時期にお茶の稽古をする。
そんなとき、ふと落ち着いている自分の心を観ることがある。
では、落ち着くとは、どのような状態なのだろう?
それは、物事を穏やかに、冷静に観ることを意味する。
昨日の格闘技で花束を投げ捨てるという非礼があったそうだ。
それに対して非難轟轟だ。
では、なぜ花束を投げ捨てたのか?
その前に相手方に非礼がなかったのか?
怒り、憎しみにまかせた言動は、冷静さを失い、時に突拍子もない行動や言葉を生む。
花束を投げ捨てる行為、ネット上で非難を浴びせていく行為。
そこに日本人としての落ち着きは、あるのだろうか?
こんなときこそ、お茶でも一杯飲んで、平静さを取り戻すことが、日本人としてのふるまいなのではないか?
自己主張よりも穏やかさのほうが、日本人には合う。
沈黙は金、雄弁は銀。
欧米をはじめ諸外国の人々が称賛するのは、そのような日本人の姿なのかもしれない。
詫びるところは詫びてキレイさっぱりのほうが、自分は好きだ。