洋風文芸館(旧時計台)”おにょにょの館”

洋風文芸館(旧時計台)”おにょにょの館”

大正時代に金沢市を見下ろす卯辰山の山麓に時計台が建築され、洋風文芸館として今に残っています。文芸館の管理人”おにょにょ”は映画や文学、ときに音楽をこよなく愛する奇妙な生き物です。このブログはその”おにょにょ”が愛する作品達を、備忘録として残したものです。

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大学病院の地下通路
タイルばりの古い通路はどこか陰鬱で湿っぽい
天井は低く頭がすりそうだ
代わり映えのしないドアがいくつも切られていて
それぞれの医局を主張するものは英文で書かれた
マウスだのラットだのを使った基礎実験のポスターと
ドアの上に突き出した講座の名を記したプレートだけだった

廊下の片隅に蒲原を抜ける一号線のバイパスがある
左手に低い路肩を透かして白波たつ太平洋がみえる
どこまでも青く遠い
蒲原から由比を抜けて清水,静岡へと続くその道は
私を束縛することはない
どこまでも続くその道を二度と通ることもない
ただ潮の香りが廊下の一部をモザイクのように埋めている

アワナギ,アワナミ,ツラナギ,ツラナミ,アメノミクマリ,クニノミクマリ,アメノクヒザモチ,クニノクヒザモチ
愛しい人よ
まだ私のことを覚えているだろうか
私のことを想ったならもう一度,あの屈託の無い笑顔をみせておくれ
そう,私を信じ,すべてをまかせたあの日はもう戻ってはこない

秋の午後,銀杏の樹の下でおまえは神々しかった
私の幼い日々の思い出をおまえにも感じてほしかったのだ
銀杏のスカートを身にまといおまえは倦怠と愛情を同時に天に捧げた
私は忘れはしない
おまえの愛情のすべては私にそそがれていたのだ
私とおまえは愛情に満ちあふれ澄んだひかりの中で
命を存分に燃やしたのだ

オリバー
私は年老いた老女のように
後悔と怨念を抱いて陰惨な影を瞳に宿していた
いつからこうなってしまったのだろう
誰に聞くこともかなわない
あと何年死んでいるだろう
せめておまえが輝く姿を一目見たいものだよ
それだけが望みなのさ
路地はつもった雪でどこまでも平らだった
いつもなら呉服屋の前を通るときは美しく着飾った芸子に目を奪われ,
鍛冶屋から聞こえる吹子がうなり,
庄屋の軒に垂れた暖簾と旗竿がはためき,
長屋のどこぞから流れてくる夕餉の香りで家路を急ぐところだ

まだ明けきらぬ乳糜色の空からゆっくりと沈んでくる
淡い雪の結晶が頬のところどころに落ちては毛穴を湿らせた
人影のない沈んだ家並が少しずつ浮かぶ

静子はもう起きたろうか
辞世の句と些事の始末を書き残して家を出たが
静子へかける言葉は一句もなかった
静子は縁の側を向いて静かな息をたてて寝ていた
二年前のあの日に,今日という日がこないことをどれだけ願ったことか
改まって静子に声をかけるなどできようもなかった

手足の指の先まで気が漲る
伝吉にこの姿をみせて驚かせてやりたい
目をむいて驚きひれ伏すに違いない

心胆,この二年研ぎに研いだ
吉良の血を吸うのを今や遅しと待っている
待っておれ
儂が行くまで待っておれ
必ずやこの刃にてその首,打ち果たす
積み残した荷物をおいてフェリーが出航した
ぼうや、あれをご覧
ぼうやにはわからないかもしれないが、人生には未練を断ち切って前へ進まなければ鳴らないときがあるものなのだよ

氷雨が降って手が凍える
黒いコートの襟をたてて静かに佇む男は
幼い私にはとても頼もしく見えた
海峡を渡る海風は容赦なく窓に吹き付け甲板を波しぶきが洗う

灰色にけぶる空をみていると乾いた不安に襲われた
その頃母は毎日泣いていたし男は家の中ではほとんど口を聞かなかった
それでも私が何とか取り乱すこと無く過ごしたのは
男の態度が初めて会ったその日から二人で海を臨んだそのときまで変わることがなかったからだった

ある霜がたった朝に木枠にガラスがはまった薄い引き戸の向こうに
胸を大きく膨らませた雀が陽をあびて輝いていた
洗濯物を干すために張ったよりひもを両足でしっかり握って胸を張って高らかに囀った
4畳半のすり切れた畳に素足を置いてしもやけをさする
吐いた白い息でわずかに掌がしめる
気づけば雀は甲高い鳴き声を残して消えていた




アスファルトに血糊をつけて小鳥が不自然に落ちていた
車のタイヤで踏まないことだけを気をつけて通り過ぎる
今日は暑い
窓をしめきってクーラーを全開にする
エアコンの音がエンジン音をかき消した

Ano suzume ha doko he itttanoka ?
雀は本当は飛ぶことがなかったのではないか?
そんな悪寒をともなった不安が頭の隅をよぎったが
家路につくころにはもう忘れていた
禅寺に通っては毎日兄と女のことを祈っていた
冬のまだ明けきらぬうちに雪をはらい
フロントガラスの霜を落とし
暖房を全開にして車をそぞろ動かす

参道へつづく上り坂に車をとめると
痩せた猫が私を出迎えた
見下ろす街の光が弱々しく点滅する
北斗七星はもう落ちた

高い樹木はたわみ暗い石畳は一層黒ずんだ
山門をくぐり曲がり角の手前で踏み跡をはずれ
菩薩を拝んだ
重なり遷ろう思考はすでにとまりつつあり
いちまいいちまい剥げ落ちる

息が唇をぬけた瞬間に凍り
雪を踏む音を静寂が覆う
本堂で木魚が突き抜け鐘がどこまでもしみ通る
回廊をぬけると小さな菩薩が私を見下ろす
暗がりの向こうで目をあわせることもない
凍える両手はきれいに合わず手がむくんだようになった

礼拝
兄よ
女よ
ただ二人のことだけを祈る
誰に向かって祈るでもない
私の前には小さな菩薩が佇むばかりだ

私はゆっくりと暗がりへおりてゆく
其処には小さな私が居る
祈る私は小さな私とほとんど一つになる
私は祈るとは誰かのためにするものだとずっと思ってきた
祈ることで誰かが救われるのだと
救いこそが祈りの目的なのだと信じてきた

でも今気づいたことが有る
祈りが救ったのは他でもない私だったのだ

私は持たざるもの

今朝の空は高く、私だけが愉しんでいる

教室の椅子に腰掛けて空を眺める

重たい体と太くなった腰回りに窮屈なズボンがみすぼらしい

高い青い虚空を眺めるとき私の魂は其所にある

 

私は持たざるもの

余計なものはすべて置いてきた

それなのに気づけばいろんなものがぶらさがっている

重くて身動きがとれないこともある

ぶらさげたのは当の本人だというのに

 

私は持たざるもの

積み上げたものはもう崩れ去った

船の航跡のように儚いものだ

薄紅の泡だけが私の道のりを知っている

それでいい、泡を抱いて寝るとするか

羽布団に包まれて冷気が頬をこする

真新しい欅の柱が芳香を発する

布団を跳ね上げて新鮮な空気に身をさらすと

そぞろな気分がまとまる

小鳥の鋭い警笛が屋根を突き刺して私にとどく

窓ごしに見える森のしじまはどこまでも見渡す限り重なる

おはよう

誰に向かっていうでもない

おはよう

私は道具でもなければ装置でもない

小鳥や森の住人は主体でもなければ客体でもない

八ヶ岳の朝の森では

私も小鳥も森の住人も皆平等で区別がない

生存競争の中に奇妙な調和があるのだ

私の隣に死が座っている

私からはみることができない

彼の目には私が常に映っている

私には彼の瞳が見えなくてもそういうものだと人がいう

 

思えば彼はいつも私に寄り添っていた

母の背におぶわれたときも

はじめて彼女と公園を歩いたときも

八が岳のふもとでもやでけぶる朝を迎えたときも

あまりにひっそりとしているので人に言われるまで気がつかない

 

死それ自体は恐れとか穢れとか闇とは無縁の存在である

彼の瞳の輝きが消えたとき私は死というものをはじめて自覚した

かつてもいまもこれからも

彼は私のそばに影のように寄り添う

泥の薫りでむせかえる

初春の昼下がり

露でぬれた下草が靴底を支えている

わずか数尺の距離なのに

随分遠かった

 

青葉が顔を出した泥の裂け目

いくつも作った泥団子

今日のは出来がいいと顔もほころぶ

縁側の下の蟻地獄の巣は

どうなったろう

 

どこにでもあった泥たまり

即席の堰はすぐ切れた

長靴の中はじゃぼじゃぼいっている

にわか雨にうたれたら

おうちが恋しくなりました

さくらが咲いた

薄紅色の五弁のさくら


国立の大学通りのさくら並木を歩いたあなた

苦悶から逃れようと春の夕暮れのなかをさくらに混じったあなた


あなたはやはり八王子の病院の窓からさくらを眺めたろうか

眺めた先に父母の顔を思ったろうか


あなたは今年のさくらを見ずに散った

私はあなたを思わずにさくらをみることはもうできない

滅びゆくものよ

大いなる慈愛をもって生きよ

ペンキのはげたトタン屋根がひしゃげて、打ち下ろす激しい雨で余計にたわむ

無数にひっかき傷がついたステンレスのシンクが鈍くひかり、蛇口から引いた数条の水道水を吸い込む

街角のたばこ屋は表の戸を閉め、錆びたオロナミンCの赤い看板の影にほっかむりをした老女が佇む

ほこりまみれのシートと重いキックペダルを携えたモンキーがかわいたエンジンを鳴らす

2階の四畳間の欄間にあつらえた棚におさまる岩波文庫はどれも日焼けして蝋引き紙が赤茶けている

霧ヶ峰の社宅のロビーのパネルヒーターと壁の隙間に挟まった古い新聞紙の日付は昭和5478日だ

薄い曇りガラスがはまった木枠の引き戸がきしむ太い針金のレールの隙間から泥のついた雨水がにじむ

Roseの草紋様でふちどられた金属製の写真立てにおさまった両親と兄は迷いのないすっきりとした表情を浮かべている

おまえは今、鏡を見ることができるというのか

私にはそんな恐ろしいことはできないよ

私が語りかけるもう一人のおまえとの間に交わした契約はあと3日で切れるんだ

そうしたら私は私から自由になれる

そうもう一人のおまえは私にこっそりと教えてくれた

朽ちていくのは私の肉体では無く精神だと

魂の抜け落ちた体をひきずって墓場へ行こう

墓守は私をあたたかく迎えるどころか、せせら笑ってこう言った

おまえには天国も地獄もないよ

どこぞへとも失せやがれ

虚無という言葉はとっくに死んだ

もはや孤独ですらない

漂流するのは肉体だけで、時折つきあたる壁に面と向かって叫んでいる

どけ、おれの人生の邪魔をするな

この肉体に縄をつけて引きずり回したところで行き先はたかがしれている

それでも私は吠え続けている

生の本質はなんだ

ははは

見渡す限り何もない荒地を耕し種をまく夢を今日も明日も私は見る