日本の4つの端を歩いてつなぐ旅 -ON THE ROAD EDGES-  -9ページ目

日本の4つの端を歩いてつなぐ旅 -ON THE ROAD EDGES- 

2024年で15年目。31回の旅で本土最南端の鹿児島県佐多岬から最西端の神崎鼻を経て関門海峡を渡り安芸の宮島、天橋立、石見銀山や木曽路、松島を歩き、本州最後の県青森の八戸駅まで歩きました。

国宝 犬山城。先週の土曜日、親父と共に訪れました。

 

 
まずは観光案内所で御城印を購入します。日付を記入するための筆ペンが置いてありましたが、悪筆家の私はやめておきました。自分の字に自信が持てないだけに、御城印や御朱印などの達筆に惹かれます。豪快な筆の流れや繊細なかすれ、見ていて飽くことがありません。

 

 

神社脇の石垣に囲まれた風情のある坂道を緩やかに登っていきます。入場券を購入し鉄門をくぐると、天守閣がどっしりと構えています。現存する日本最古の天守。それほど大きくはありませんがやはり堂々と、そして美しい。白い壁と瓦の黒が青空に映えます。

それほど広くはない城内に人の列ができていて、天守閣に登るのに待ち時間が二十分とのこと。親父にはキツイので諦めました。

 

 

明治四年の廃藩置県で天守閣を除くほとんどの建物は取り壊されてしまったとのこと、観光は短時間で終わってしまいました。少し物足りなさはありましたが、早めに宿に入って落ち着くのも親父にとってはいいのかなと、岐阜に向けて車を走らせました。

 

日本100名城 17/100

犬山城

 

三月一日日曜日、甲府市の武田氏館跡を訪れました。現在の武田神社です。

 

 

この武田氏館は今年一月に訪れた足利氏館と同じく、日本100名城に選ばれてはいますが所謂「城」ではなく「館」です。甲斐源氏の流れを汲む18代当主信虎が甲斐を統一し、1519年(永正16)この地に躑躅ヶ崎館を築いたことに始まります。

 

 

朝一番、開店早々の「信玄ミュージアム」を訪れまずは御城印を買い求めます。珍しくここでは、御城印に日付を入れてくれました。

 

武田神社の神橋からは雪をまとった南アルプスの山々を眺めることができました。北岳、鳳凰山、甲斐駒ヶ岳には登りましたが、間ノ岳は未登のまま。「いつか必ず」と白い稜線を眺めます。

 

 

親父と共に拝殿で手を合わせ写真を何枚か撮ります。そのあとさっぱりとした境内を歩きますがそれほど広くはなく、観光はあっさりと終わりました。

 

甲陽武能殿

 

神社向かいの土産物屋さんで祖母の好物だった信玄餅を買い、まだ時間があるので昇仙峡に車を走らせます。ここにも母との思い出があります。

 

日本100名城 16/100

武田氏館

 

 

短い二月の最後の土曜日は、静岡市の駿府城を訪れました。

 

坤櫓

 

将軍職を辞した後の大御所家康の居城、坤櫓からお堀に沿って巽櫓・東御門へと歩いていきます。午前十時、晴天の土曜日のこと、すでに多くの観光客が列をなしお城に向かっています。

「こんなに朝早くからたくさん来るなぁ」夜型の親父を無理やり起こして出かけてきたため、まだ「朝早く」と感じるのも無理のないことです。

 

 

東御門の写真をとカメラを構えます。しかし背後にそびえる静岡県警の建物がじゃまでシャッターを切る気になりません。どうしてこんな景観を損ねる場所に建てたものか、残念です。もうワンブロックお城から離れていたら画角に入らないのに。

 

巽櫓・東御門

 

東御門を入ってすぐのチケット売り場。通常版の地味な御城印はここでも手に入りますが、「東御門・巽櫓 資料館」の館内売店では特別版も売っているとのこと。これは行かないわけにはいきません。自動販売機で200円の入場券を二枚、買い求めます。

 

靴を脱ぎスリッパをお借りし資料館内へ。駿府城の歴史などを説明しているパネルを一点一点つぶさに見ている親父を残し、私は資料館の最奥にあると教えられた売店へ急ぎ、まずは水色鮮やかな御城印を手に入れました。引き返して親父と一緒にパネルを見て回ります。今川、武田、徳川の時代、そして歩兵連隊の駐屯により城郭は全て取り壊されることになります。

「だめだな、日本は」

親父の「喝!」は正しいと思います。

 

 

そのあと、春が間もなくやってくる城内を散策し、家康の像を見て駿府城を後にしました。

個人的に、家康は西田敏行さんのイメージです。かっぷく良く柔和な笑顔。彼が演じた作品を見た覚えはないのですが、なぜか家康というと西田さんを思い出します。

…ネットで調べたら、「徳川家康が似合う俳優」の第一位でした。あっ、みんなそう思ってるんだ。俺だけじゃないのね。今年も花粉症の季節が始まってしまいました。

 

日本100名城 15/100

駿府城

 

甲府城のあと群馬県伊勢崎市の宿まで車を走らせ、翌天皇誕生日は太田市の金山城跡を訪れました。

 

大手虎口

 

ガストで朝食をとり県道321号を右に曲がると、前方に小高い山が見えてきました。これが金山城らしく、麓の無料駐車場ではハイキングに向け身支度をしている人が何人もいます。親父はさすがにFULLは無理なので、GR86で中腹の駐車場へ向かいます。

パンフレットによると今日の行程は、「片道700m、標高差50m、所要時間往復で60~90分」。親父の脚ではギリ行けるかどうか際どいところです。

 

 

緩やかな登山道を歩いていくと堀切がいくつか現れ、石垣や石敷きの通路、曲輪などを見ることができます

 

大手虎口の曲輪

 

金山城のメインは大手虎口です。城の一大防御拠点で谷地形を利用して築かれ、両側に配した段状の曲輪から敵兵に矢を射掛けたことが想像されます。

 

 

樹齢800年の大ケヤキは方々に思いのまま枝を伸ばし、その生命力の強さを感じます。長い年月、数々の戦いを見てきたに違いありません。

 

 

遺構が整備され説明版も随所にあり、楽しい城跡でした。親父もなんとか山頂の新田神社で手を合わせることができました。

下山は舗装された管理用道路をそろそろと駐車場に戻ります。

 

帰り際、「史跡金山城跡ガイダンス施設」に立ち寄り御城印を購入しました。この建物は建築家の隈研吾氏の手によるものとのこと。朴訥とした風景に突如、キレのある建物が現れ驚かされます。

 

日本100名城 14/100

金山城