日本の4つの端を歩いてつなぐ旅 -ON THE ROAD EDGES-  -8ページ目

日本の4つの端を歩いてつなぐ旅 -ON THE ROAD EDGES- 

2024年で15年目。31回の旅で本土最南端の鹿児島県佐多岬から最西端の神崎鼻を経て関門海峡を渡り安芸の宮島、天橋立、石見銀山や木曽路、松島を歩き、本州最後の県青森の八戸駅まで歩きました。

二本松城跡を訪れた夜は仙台に宿を取り、日曜日は仙台城跡を訪れました。「青葉城」の方がしっくりきます。

 

現存する唯一の建造物「多門塀」

 

青葉城本丸会館駐車場 に車を停め歩きます。伊達政宗公築城の青葉城、天守のないお城で本丸にはその代わり約430畳にもおよぶ大広間が造られたとか。今日でも石を配したり間取りをかたどってその大きさを観光客に見せてくれています。

 

本丸大広間跡

 

伊達政宗公騎馬像。このお城には何度か訪れたことがあるのですが、前回「ON THE ROAD EDGES」の歩き旅で立ち寄った時は、地震で破損し傾いてしまったために見ることがかないませんでした。

その後2023年3月に修復作業が完了し、今日は入れ代わり立ち代わり観光客たちの記念写真にいい顔を作らなければならず、忙しかったことでしょう。

 

 

このお城の一番の見どころは、本丸からのその眺めではないでしょうか。穏やかな広瀬川の向こうに広がる仙台の街並み。青葉城は毎日、高台から仙台の街を優しく見守っています。

 

 

青葉城下名店館で御城印を購入し車で城下に降り、本丸への道を登り返します。観光の順番が逆ですが、麓から本丸までの往復は親父の脚にはちょっとキツく、また朝の混雑していないうちに本丸跡を訪れたかったが故です。

巽門跡、清水門跡、沢門跡、中門跡。全て「跡」で、その多くは1945年の仙台空襲で焼失したとの説明があります。

「しょうがねぇなアメリカは」親父が生まれたころのお話です。ぽつねんと石垣だけが残っているのはさみしい限り。

 

清水門跡

 

沢門跡で車道に出て、そこからは大手門跡に向かって下っていきます。ここにはお城らしさが感じられる「脇櫓」と、仙台空襲を逃れ現存する唯一の建造物である「多門塀」が車道の両側にでんと構えています。

 

大手門脇櫓

 

日本100名城 22/100

仙台城

 

先週の土曜日は福島県の二本松城跡を訪れました。

 

箕輪門と二階櫓

 

初めに「にほんまつ城報館」でばってんの家紋が異彩を放つ御城印を買い求めます。旅の前にWebでこの御城印を見た時、複製されないために「ばってん」が描かれているのかと思いました。しかし違いました。。。直違紋(すじかいもん)と呼ばれる丹羽家の家紋でした。

この2本の直線がX字状に交差する紋様、建物の倒壊を防ぐ補強材である「筋違(すじかい)」をモチーフにしていて、家や城を守るという意味が込められているとか。

 

 

箕輪門をくぐり、添え木された枝を四方八方に伸ばしたアカマツを眺めながら坂を上がっていきます。広い三ノ丸下段では白いテントが張られ提灯が鈴なりにさげられ、さくらまつりの準備です。ソメイヨシノの枝を見るとつぼみが赤く膨らみ、来週末あたりが見頃でしょうか。

陽当たりのいいところには、タンポポやオオイヌノフグリが咲きだしています。風も冷たくはなく、これから様々な草花が芽を出してくることでしょう。

 

 

ここから先はかなりの登りになりそうなので、一旦駐車場に引き返して本丸近くまで車を走らせることにしました。道は右に左にカーブしながらかなり高いところまで上っていきます。最後の数百メートルは未舗装路をすすんで乙森の駐車場に車を停めます。ここは本丸直下の曲輪だった場所。

本丸の大きな石垣がそびえ、その上に「東櫓台」、「西櫓台」、そして「天守台」があります。

それぞれ石垣しか残っていませんが、広々とした敷地と眺めの雄大さが心地よい場所です。観光客が少ないので解放感いっぱいです。

 

本丸

 

東櫓台

 

日本100名城 21/100

二本松城

 

桜の便りも届き始めた春分の日から始まる三連休、念願の姫路城を訪れました。

 

 

2017年3月、「昭和の名水百選」を巡る車旅の途中で姫路の街に宿を取ったことがあります。夜のつまみを求めて駅前を歩いていた時、まっすぐに伸びる通りの先に白く大きなお城が見えました。その時は時間がなく訪れることはありませんでしたが、いつかはと心に決めていました。

今回、親父の健康維持目的で「日本100名城」を目指すことになり、真っ先に思い出したのがこの姫路城でした。

 

お城の撮影でいつも気にかけているのは「青空」です。空が雲で覆われていると、白を基調とした天守閣や櫓、門などが背景に埋もれてしまいます。

特に「白鷺城」の別名を持つ姫路城、壁だけではなく屋根瓦の目地にも白い漆喰が塗られているため、ひときわ白さが際立っています。そのために「青空」は絶対条件だと考えていました。

 

 

赤穂の宿から車を走らせ、午前九時に大手門駐車場に到着しました。春霞で多少白みがかった青空ですが、写真にはさほど影響しないでしょう。車道を隔てて遠くに見える姫路城、お城に入る前からもうわくわくして何度となくシャッターを切ります。

桜門橋を渡り大手門を潜ると広大な三の丸広場の向こうに姫路城の全容が見えてきました。白い塀を要する石垣の上に西小天守を従えた大天守。その姿は堂々としていながら白い瓦のため繊細さを感じます。

しかし一体いくつの櫓や門があるのか。それらが高低差をもって白塀でつながれている眺めには圧倒されます。

 

 

三の丸広場を左手に回り込み、桜並木の枝先には赤く膨らんできたつぼみの数々。中にはピンクの花弁がちらりとのぞいているものもありました。春はもうすぐそこです。

 

 

まずは入場口近くの西の丸売店で御城印を買い求めます。そう広くはない店内、朝も早い時間から観光客でいっぱいです。私は春らしい、さわやかな御城印を選びました。

 

事前にネットで購入した「しらさぎチケット」のQRコードをかざして入場口を通過します。混雑している券売機に並ぶこともなくいたって快適。一人に一枚手渡される靴を入れるためのビニール袋には「世界遺産 国宝 姫路城」の筆文字が流れています。靴を入れるにはいささか立派すぎ、これだけでちょっとしたお土産になります。

 

菱の門

 

いくつかの門を潜り抜け階段を上り、大勢の観光客と共に大天守へと入ります。半分ほどは外国人ではないでしょうか。床が観光客たちの靴下で磨かれつるつるです。

展示物の前は観光客が多く落ち着いて観ることができないので、私は床や柱、天井の梁などを眺めて天守閣の雰囲気に浸ります。大天守を支える二本の大柱、窓から眺める大手門通り。攻めてくる敵兵めがけて石を落とす仕掛けには「残酷だなぁ」と感じます。

 

 

天守閣の狭く急な階段を三つ四つ登ると、親父からギブアップが出ました。私もそろそろ高さに怖くなってきたので、順路から外れて大天守を後にします。

 

 

大天守の前庭は備前丸と呼ばれる広場になっていて、観光客はみな大天守をバックに記念写真を撮っていました。

 

りの門付近

 

「とにかくすごかったな。これを見た後じゃどこに行っても物足りなく感じるんじゃない?」

姫路城で20城目。一冊目の御城印帳がいっぱいになりました。

 

日本100名城 20/100

姫路城

 

先週の土曜日は、埼玉県の川越城を訪れました。

 

本丸御殿

 

圏央道を東に向け走っていると、行く手に何やら黄色い靄がたなびいているのが見えてきました。走るにつれだんだんと近づいてきて、とうとう頭上を覆ってきます。太陽も輪郭が見えるまでに減光され、あたりの景色は黄色のフィルターをかけたようです。

「どこかで野焼きでもやってるのかな?火事だったらもっとどす黒いよね」

あとで知ったことですが、この日、渡良瀬遊水地で春の風物詩「ヨシ焼き」が行われたとのこと。この黄色い靄の下では写真にならないので、風に流されることを期待してまずは一番街に向かいます。

街中の小さな駐車場に車を停め「川越まつり会館」で御城印を買い求めました。賑やかな通りの中でここだけ、ひっそりとした館内でした。

 

 

本町通りを右に折れ市役所の前を通り、中ノ門堀跡へ。住宅街にきれいに堀の跡が残されていました。川越城では数少ない遺構です。

 

 

その後本丸門跡を過ぎて、「葵の御紋」をいただく大きな本丸御殿をカメラに収めました。

 

 

一番街の駐車場への帰り道、お昼を過ぎて観光客がずいぶんと繰り出しています。小江戸の街並みによく似合う、和服姿の女性も何組かいました。食べ歩きに興味のない私と親父は、金木犀の香りのお線香だけ買って帰路につきました。

 

時の鐘

 

日本100名城 19/100

川越城

 

風が強く寒い一日、先週の日曜日は岐阜城を訪れました。

 

 

当初、名古屋城を予定していた日曜日。ところが前日の犬山城の帰り、

「3月8日 名古屋ウィメンズマラソンのため 大規模交通規制」のお知らせを国道41号で目にしました。宿に入りWebで調べると、やはり名古屋城界隈は規制の真っただ中。そこで急遽岐阜城に予定変更です。昨年末に一度訪れたのですが、休日のお昼過ぎだったため観光客が多く、ロープウェーの待ち時間が40分ということで取りやめました。リベンジマッチです。

 

満を持して朝一番に金華山麓駅へ。さすがに待つことなくロープウェーに乗ることができました。高低差255m、歩いたら一時間はかかります。故に人気のハイキングコースになっているようで、ロープウェーを使わない、トレッキングシューズにザックといったハイカーも多く見られました。

 

 

金華山頂駅からは不規則な階段を、親父は手すりにつかまりながら慎重に登っていきます。

「キツイわ。やっぱ年だねぇ。普段はそんなに感じないけど」

ひとしきり登ると視界が開け、ヤセ尾根の向こうに天守閣がすっくと建っています。このヤセ尾根、両側にがっしりとした手すりがついているのですが、300m下に見える小さな街並みが背中の神経を搔きむしります。

 

 

この岐阜城も昨日の犬山城と同じくして、主に天守閣を見ただけでした。ハイキングコースを歩けば見所も多かったに違いありません。金華山麓駅で御城印を買い求め、信長の居館跡に立ち寄り、家路につきました。

 

東京に帰り、この日の大河ドラマ「豊臣兄弟!」の舞台がまさに岐阜城でした。

竹中半兵衛の調略に動く豊臣兄弟がメインの物語。そして織田信長は斎藤龍興の居城・稲葉山城を攻め落とし、その後美濃を平定。1567年(永禄10年)、信長が稲葉山城に拠点を移し地名を「岐阜」に改めるといった件です。

 

 

親父とビールを飲みながら、

「ほら、今日行ったお城」とタイムリーな大河ドラマに喜んでいました。

 

日本100名城 18/100

岐阜城