日本の4つの端を歩いてつなぐ旅 -ON THE ROAD EDGES- 

日本の4つの端を歩いてつなぐ旅 -ON THE ROAD EDGES- 

2024年で15年目。31回の旅で本土最南端の鹿児島県佐多岬から最西端の神崎鼻を経て関門海峡を渡り安芸の宮島、天橋立、石見銀山や木曽路、松島を歩き、本州最後の県青森の八戸駅まで歩きました。

2026年7月31日、広島城を訪れました。

 

 

この旅はお天気に恵まれ、ここまで八日間太陽の元過ごしてきました。その分暑さもハンパなく、連日の猛暑のなか七つのお城を訪れることができました。しかし親父にこの季節はきつかったかなと反省しています。今朝もいいお天気で朝から猛烈な暑さです。まだまだ初夏のセミたちは元気で、盛んに鳴きぬいています。

 

表御門

 

三の丸の駐車場に車を停め歩きます。御門橋をわたり表御門をくぐり二の丸へ。白砂の照り返しで上から下からジリジリと肌が焼かれます。二の丸ミュージアムショップへ行くと開店は10:00とのこと。御城印は帰りに買うことにし、まずは本丸へ。石垣の上に出てお堀を眺めたり、例によってセミの姿を探し求めたり、「広島大本営跡」の説明を読んだり。

「ああ、戦争ごとはいいや」

お城というモノトーンの古き時代の中に、人臭い近代戦争の影はいりません。

 

所々にある日陰のベンチに腰をおろすと、涼しい風が吹き抜けます。

「親父も座って休んだら?」

盛んに誘いますがなぜか後ろ手にウロウロ。

「ああ」

と返事だけしといて木を見上げ、セミを探しています。

 

天守の写真を何枚か撮り御城印を買い求め、最後のお城広島城を後にしました。

 

 

日本100名城 45/100

広島城


2026年7月30日、大分府内城を訪れました。

 

大手門

 

県庁舎別館近くのコインパーキングに車を停め、国道197号を渡ります。大手門をくぐると城内は一面駐車場になっていました。

「こっちに停めればよかったな」

私と親父はわずかに残る天守台を見上げたあと、裏手の松栄神社から城外に出てお堀を回ることにしました。

 

 

お堀と石垣が四方を取り囲み、その石垣の上にいくつもの櫓が立っている大分府内城。

「この外、ぐるっと回るだけか。セミ探したほうがおもしろいな」身もふたもない親父様です。

 

 

人質櫓、二階櫓、三階櫓、到着櫓、宗門櫓、西之丸角櫓。しかし残念なことにお堀の水は澱んでいて、異臭が鼻を突きます。

 

御城印は前日の夜、大分駅の観光案内所で購入しました。青地にキジが描かれた、色鮮やかな御城印です。

 

日本100名城 44/100

大分府内城

 

2026年7月29日、宮崎県の飫肥城を訪れました。

 

 

昨日の夕方のことです。鹿児島城、佐多岬と観光を終えて宮崎市内の国道220号を走っている時のことでした。突然、

「ヴュワッ!ヴュワッ!ヴュワッ!」

スマホから警報が鳴りだしました。急いで車のスピードを落とすと、前の車もブレーキランプを点灯させて減速しています。スマホを取り出すと熊本で震度7の地震発生とのニュース。少し離れた宮崎のこと、しかも車の運転中だったので揺れは全く感じませんでした。

 

宮崎駅近くの東横INNに到着すると立体駐車場は地震の影響で止まっているとのことで、近くのコインパーキングに車を停めました。

フロント係が

「地震でエレベーターが止まってしまったので、申し訳ございませんが非常階段をお使いください」と夕刻になって集まってきた宿泊客に説明をしていました。

「宮崎も結構揺れました?」

「ええ、かなり…」

今回の旅行では、14階やら11階やら高層階の部屋が割り当てられることが多かったので心配していたのですが、運よくこの日は2階の部屋でした。もし高層階だったら、親父が上がれていたかどうか。

 

閑話休題、この「飫肥」という難読地名、正確な由来はわかっていないようです。

分解すると、

「飫」という漢字には「食べ物が豊富である」「十分に満ち足りる」という意味があり、

「肥」は「土地が肥えている」「豊かである」という意味があります。

そのため古くから 「食物に恵まれた豊かな土地」という意味で「飫肥」と呼んだのではないかというのがその一説です。

 

大手門通り

 

まずは駐車場内の案内処で御城印を買い求めます。この町には何ヶ所か有料で拝見できる施設があるとのこと。入場券をまとめて購入すると割安になるとの説明を受けますが、疲れが残っている親父がいくつ周れるか定かではないし、そもそも資料館にあまり興味はなく、親父も私もお城の「造り」、「雰囲気」が好きなので購入は見送りました。

 

 

大手門をくぐり虎口を抜け本丸へ。石段を登ると「旧本丸跡」です。地面は苔で覆われ「飫肥杉」がまっすぐ空に伸び、とても静かで落ち着く一角です。ふと気がくと…、セミの鳴き声が聞こえません。旅のあと調べたところ、セミの幼虫は針葉樹が好きではないとのことでした。

 

 

太陽の光が「飫肥杉」にさえぎられ、ベンチに座っているといくぶん涼しい風が吹いてきます。観光客も多くはなく、ゆっくりと時間を過ごすことができました。

 

日本100名城 43/100

飫肥城

 

2026年7月28日、鹿児島城を訪れました。少し親父が疲れているようなので、今朝は一時間遅く七時に起床し行動開始です。

 

 

鹿児島城は麓の居館とその背後の山城からなるお城です。しかし山城の方はこの暑さのなか親父にはキツイので、麓だけをまわることにします。2020年に復元された御楼門前のお堀には、おしとやかなハスの花が咲いていました。

 

御城印を購入しようと黎明館にはいります。受付の方にどこで入手できるのか尋ねると、黎明館では十時から販売開始だが、少し離れた「まち歩き観光ステーション」なら九時からで、もう売っているとのこと。親切に小さな地図もくれました。

 

黎明館

 

御楼門を出て駅の方角に向かうと、県立図書館前の水路にメダカがたくさん泳いでいました。今では悲しいかなこの素朴な生き物も、絶滅危惧種となっています。

 

 

西郷さんの銅像を見上げ、「まち歩き観光ステーション」で御城印を買い求め、鹿児島城見学はさくっと終えました。

 

 

駐車場に戻る途中、親父念願のクマゼミの姿を見ることができました。不用心にも人の背丈くらいの高さにとまり鳴きぬいています。

 

 

日本100名城 42/100

鹿児島城


2026年7月27日、熊本城を訪れました。最大震度7を観測した令和八年熊本地震の一日半前のことになります。

 

 

早朝に熊本の宿を発ち、駐車場を探してお城の周りを三十分ほども右往左往。裏手から回り込んだのが間違いのもとでした。やっとのことでメインと思われる「二の丸駐車場」にたどり着いたのが、ちょうど開場時刻の8:00。二番乗りの駐車場は「ドアパンチ」を避けるため、はじっこに停めます。

 

 

今朝も暑い九州は熊本県。観光客を南口に導く赤いラインに沿って歩いていくとゲートでふさがれ、開門は8:45とあります。時間をつぶすため「お食事処・お土産処 桜の小路」のベンチに座り、親父は毎朝の習慣の缶コーヒーをすすっています。二人とも手持無沙汰にお店の開店準備に忙しい店員さんをボーっと眺め、セミの鳴き声と時間をやり過ごします。

たくさんのセミの抜け殻が、今にもみんな歩き出しそうに木の幹にとりついていました。

 

 

行幸坂を上り南口券売所でまたしばし待つ間に、武士やお姫様の格好をした「熊本城おもてなし武将隊」が観覧の説明をしてくれます。

「ありゃ見てるだけで暑いな。たいへんだ」

 

 

板張りの「特別見学通路」を歩き本丸へ。以前訪れたときは自由に城内を歩き回れたのですが、十年前の熊本地震で甚大な被害を受け、その修復のために観光客の立ち入れる区域を制限しています。「数寄屋丸」の崩れた石垣が現在の熊本城の立ち位置を物語っています。

 

 

「闇り通路」をくぐりぬけ本丸に出ると、威風堂々とした大天守と小天守の眺めが待っていました。圧巻の熊本城です。

日陰のベンチで休む父親をおもんぱかって先の「おもてなし武将隊」の一人が、

「天守の中ではエレベーターをご利用いただけます。(健常者が使えないように)暗証番号方式になっていますので、係の者に話をしていただければ教えてくれます」とのこと。すでに暑さでギブ・アップ寸前の親父にはありがたいお話でした。

三本のエレベーターを乗り継いでお城の歴史や武具を見て回り、最上階の展望フロアへ。高いところが苦手な親父と私は景色に足を止めることもなく、さらっと一周しただけでそそくさと階段を降りていきます。

 

 

帰り際、「本丸お休み処」で私は御城印を、親父はキーホルダーを購入しました。

 

未申櫓

 

日本100名城 41/100

熊本城