日本の4つの端を歩いてつなぐ旅 -ON THE ROAD EDGES- 

日本の4つの端を歩いてつなぐ旅 -ON THE ROAD EDGES- 

2024年で15年目。31回の旅で本土最南端の鹿児島県佐多岬から最西端の神崎鼻を経て関門海峡を渡り安芸の宮島、天橋立、石見銀山や木曽路、松島を歩き、本州最後の県青森の八戸駅まで歩きました。

5月8日はあいにくの空模様。遠く秋田までやって来ましたが久保田城はあきらめ、山形への移動だけに留めました。親父が常々言っていた、「東北の日本海側を(車で)走ってみたい」が実現しました。そのどこに惹かれるのか正確にはわかりませんが、同じ日本海の福井県生まれの親父のこと、単純に「東北の日本海側」の景色だとか街の有り様だとか家の造りが見たいのかもしれません。

 

翌日、ゴールデンウイーク東北旅の最終日5月9日。山形は天気の回復が遅れる予報なのでこれまた山形城行きを取りやめ、仙台まで車を走らせて多賀城跡を訪れました。

 

外郭南門

 

朝一番、強い風に煽られ親父が転ぶというアクシデントが発生。幸い頬を擦りむいただけにとどまりましたが、これで二度目。だいぶ足元がおぼつかなくなっているようです。うまい具合に近くにあったマツキヨの開店を待って、マキロンとパイロールと大きな絆創膏を買い求め応急処置をしました。

 

 

車を停め「多賀城跡 ガイダンス施設」で御城印を買い求めます。アヤメをあしらった夏バージョンはさわやかです。

 

多賀城碑

 

724年に創建され、11世紀の中頃まで古代東北の拠点として栄えた多賀城。正門となる「外郭南門」は色鮮やかに、国宝「多賀城碑」は奈良時代の色を伝え、政庁南大路を歩めば澄み渡った青空に次々と雲が流されていきます。こんなに気持ちのいい風景があるでしょうか。

 

 

階段を上がると木々に囲まれた緑の原が広がり、ここが政庁の跡。「南門跡」や「石敷広場跡」、「正殿跡」。あまりの清々しい景色に、当時へ思いを馳せるのも忘れてしまいました。

 

 

日本100名城 33/100

多賀城

 

旅四日目の5月7日、青森県は弘前城を訪れました。今日も朝からいいお天気です。

 

 

現存12天守最北の弘前城。現在は石垣修理のため仮の天守台に移され、本来の天守台に戻るのは今年の夏から秋にかけてとのこと。この「仮の天守台」、ほとんど無いにも等しいもので、地面にじかに置かれているように見えます。天守自身もいささか居心地が悪そうです。

「こんなのやだじゃあ。はやぐもどしてけれじゃ。」

 

それにしても少し小さいなと感じるこの天守。親父は、

「徳川に遠慮してあんまりでかいのは建てられなかったんだろ」と持論を展開します。

本当のところは…。落雷で元々の五層天守が焼失した後、江戸幕府により新築が許されずに「櫓」を改築して天守としたために小ぶりだとのこと。

その天守の周りでは、この夏にも始まるという「曳戻し」の準備作業が行われています。仕方がないとはいえやはり重機がうろちょろしているのは残念です。

 

 

城内には多くの桜の木が植えられています。ソメイヨシノは葉桜となり、今日は八重の「関山(カンザン)」が見頃を迎えています。

 

 

城内を歩くうちに、どの木も背丈が低いことに私たちは気が付きました。

「なんでだろうね」

「わからん」

旅の後調べたところによると、これはリンゴの剪定技術を応用した「弘前方式」とのこと。高い位置の枝を落とし横に広がりをもたせ、目線の高さやそれより低い位置にボリュームのある花を咲かせるのが特徴とあります。

 

二の丸南門

 

古木名木の多い弘前城。「鶴の松」はその幹の曲がり様に威厳を感じ、日本最古級のソメイヨシノは、それとは知らずもその枝ぶりに刻まれた時間の深さに目がとまります。

 

 

本丸の西側からは、雪を抱いた岩木山が大きく眺められました。あの頂に登ったのはもうずいぶんと前のこと。この距離での独立峰の眺めは神々しく、「おいわきやま」と弘前の人々に愛されているのも当然のことと感じます。

 

 

このあと男鹿半島を走り、秋田に宿をとりました。

 

日本100名城 32/100

弘前城

 

旅三日目の5月6日、青森県八戸市の根城を訪れました。

 

主殿

 

「日本100名城、全部親父と歩こう」と思い立って調べるまで、この「根城」のことは知りませんでした。広場を散策している途中でさえ親父と、

「これ何て読む?ねじろ?ねじょう?」

「どっちかね」

この有様です。

戦国時代の1ページに登場するお城であれば何とはなしに記憶の片隅に残っていたかもしれませんが、この「ねじょう」は京都を離れること800km以上、中央の覇権争いとは無縁の土地。鎌倉幕府の滅亡、建武の新政のころに築かれ、それから第3代将軍家光の時代までの300年間続いたとあります。

 

南部師行公像

 

休館中の八戸市博物館の一階で御城印を買い求めます。狭い売り場に客は私達親子だけで音楽もなく、受付の女性が繰るページの音だけが館内に響いていました。

 

 

旧八戸城東門をくぐり薬草園を過ぎると、濃淡をつけた緑の芝生が一面に広がります。葉桜が空堀に沿って植えられ、ツツジの赤い花も彩を添えています。東京からは二週間ほど季節の歩みが遅いでしょうか、今が満開の盛りです。時計の針の進みさえ、溶け入りそうな青空です。

 

 

「史跡 根城址」の石碑に刻まれた「昭和十八年十月 建設」の文字、

「なんだ、俺と同い年じゃねぇか」親父がつぶやきます。

 

 

板囲いの本丸へ入り料金を支払います。藁ぶきの「納屋」に「鍛冶工房」、「主殿」など中世のお城が再現されていました。白壁の天守や櫓、石垣などはありませんが、素朴な暖かいお城でした。

 

鍛冶工房

 

日本100名城 31/100

根城