入道崎・入道埼灯台
北緯40度の地
旅四日目の5月7日、青森県は弘前城を訪れました。今日も朝からいいお天気です。
現存12天守最北の弘前城。現在は石垣修理のため仮の天守台に移され、本来の天守台に戻るのは今年の夏から秋にかけてとのこと。この「仮の天守台」、ほとんど無いにも等しいもので、地面にじかに置かれているように見えます。天守自身もいささか居心地が悪そうです。
「こんなのやだじゃあ。はやぐもどしてけれじゃ。」
それにしても少し小さいなと感じるこの天守。親父は、
「徳川に遠慮してあんまりでかいのは建てられなかったんだろ」と持論を展開します。
本当のところは…。落雷で元々の五層天守が焼失した後、江戸幕府により新築が許されずに「櫓」を改築して天守としたために小ぶりだとのこと。
その天守の周りでは、この夏にも始まるという「曳戻し」の準備作業が行われています。仕方がないとはいえやはり重機がうろちょろしているのは残念です。
城内には多くの桜の木が植えられています。ソメイヨシノは葉桜となり、今日は八重の「関山(カンザン)」が見頃を迎えています。
城内を歩くうちに、どの木も背丈が低いことに私たちは気が付きました。
「なんでだろうね」
「わからん」
旅の後調べたところによると、これはリンゴの剪定技術を応用した「弘前方式」とのこと。高い位置の枝を落とし横に広がりをもたせ、目線の高さやそれより低い位置にボリュームのある花を咲かせるのが特徴とあります。
二の丸南門
古木名木の多い弘前城。「鶴の松」はその幹の曲がり様に威厳を感じ、日本最古級のソメイヨシノは、それとは知らずもその枝ぶりに刻まれた時間の深さに目がとまります。
本丸の西側からは、雪を抱いた岩木山が大きく眺められました。あの頂に登ったのはもうずいぶんと前のこと。この距離での独立峰の眺めは神々しく、「おいわきやま」と弘前の人々に愛されているのも当然のことと感じます。
このあと男鹿半島を走り、秋田に宿をとりました。
日本100名城 32/100
弘前城
旅三日目の5月6日、青森県八戸市の根城を訪れました。
主殿
「日本100名城、全部親父と歩こう」と思い立って調べるまで、この「根城」のことは知りませんでした。広場を散策している途中でさえ親父と、
「これ何て読む?ねじろ?ねじょう?」
「どっちかね」
この有様です。
戦国時代の1ページに登場するお城であれば何とはなしに記憶の片隅に残っていたかもしれませんが、この「ねじょう」は京都を離れること800km以上、中央の覇権争いとは無縁の土地。鎌倉幕府の滅亡、建武の新政のころに築かれ、それから第3代将軍家光の時代までの300年間続いたとあります。
南部師行公像
休館中の八戸市博物館の一階で御城印を買い求めます。狭い売り場に客は私達親子だけで音楽もなく、受付の女性が繰るページの音だけが館内に響いていました。
旧八戸城東門をくぐり薬草園を過ぎると、濃淡をつけた緑の芝生が一面に広がります。葉桜が空堀に沿って植えられ、ツツジの赤い花も彩を添えています。東京からは二週間ほど季節の歩みが遅いでしょうか、今が満開の盛りです。時計の針の進みさえ、溶け入りそうな青空です。
「史跡 根城址」の石碑に刻まれた「昭和十八年十月 建設」の文字、
「なんだ、俺と同い年じゃねぇか」親父がつぶやきます。
板囲いの本丸へ入り料金を支払います。藁ぶきの「納屋」に「鍛冶工房」、「主殿」など中世のお城が再現されていました。白壁の天守や櫓、石垣などはありませんが、素朴な暖かいお城でした。
鍛冶工房
日本100名城 31/100
根城
2026年ゴールデンウイーク。月火水は祝日、金曜日が会社のメンタル・ヘルス・デイでお休み、木曜日に有給休暇を取得して一週間のお休みを得ました。5月2日、3日は高速道路下り方面が混雑するとのことで、5月4日から五泊六日で東北のお城をめぐる旅に親父と出かけます。初日は天気も芳しくないので福島までの移動のみ。しかしエンジン・オイルも交換し、曇天のこととて車窓を流れる鮮やかな新緑の景色にいやおうなしに気分は盛り上がります。
二日目の5月5日に岩手県の盛岡城跡を訪れました。
南部中尉騎馬像台座
「もりおか歴史文化館」で御城印を買い求め、ゴールデンウイークのためか人出の多い街を歩きます。城内に入ると緑の木々と青い空で開放感たっぷり。「涼しい」よりは「肌寒い」と感じる東北岩手の五月の風、石垣を眺めながら歩いていきます。
ぽっかりと浮かぶ雲が時々地上に影を落とし、そしてまた流れていきます。そんな静かな公園、散歩する多くの人たちには肩肘張った「城跡」という意識はなく「緑の公園」を気軽に楽しんでいるようでした。
日本100名城 30/100
盛岡城