―鎌倉幕府終わりの始まり 千早城―
先週の日曜日は大阪奈良和歌山、三府県境に近い千早城跡を訪れました。
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1333年、楠木正成は小勢で急斜面や谷で囲まれた天然の要害、千早城に籠城する。
五万ともいわれる大軍をもって攻める鎌倉幕府軍に対し、大木や巨石を落として敵の楯を砕き、逃げ惑う兵には矢を降りそそぎ、火計、奇襲、ありとあらゆる戦法を屈指して百日ほども幕府軍を足止めにする。
正成らの活躍に触発されて倒幕の機運が広がり、各地で反幕勢力が挙兵。その後、隠岐の島へ流罪となっていた後醍醐天皇が脱出に成功、足利高氏が幕府に反旗を翻し京の六波羅探題を攻撃、新田義貞の鎌倉攻めを経て、鎌倉幕府は滅亡することになる。
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この旅の前、本棚から「吉川英治 私本太平記 第四巻」を引っ張りだし、古い本の香りのする「千早帖」のページを繰ります。年表は語ってくれない、人の息遣いを感じ取ることができます。
五條ICから狭小な国道310号で深い山々を縫い進み、金剛山登山口へと車を走らせます。八月最後の日曜日のこと、すでに各所の駐車場はほぼ満車状態。なんとか停められた駐車場の管理人さんによると「高尾山ほども人気がある金剛山」だとか。たしかに細い県道を上がってくるフルサイズの路線バスは多くの登山客を次から次へと運んできます。
親父と私は彼らとは別の登城口へと歩きます。見上げる階段は段差が高く、手すりはついているもののかなりの急こう配。これを一段一段なんとか登り切り、そこから先も延々と続く石段に親父の手を取りながら登っていきます。振り返ると、木々の間からかすかに見える県道を走る車が小さく、この短時間でかなりの高さを登ったのだと実感します。
ミンミンゼミとツクツクボウシの鳴き声と、いくぶん涼しめの風が休憩のたびに癒しになりました。
親父の一歩一歩の足元を気遣うあまり、数百の命が散ったであろう山の空気には気持ちが行きません。
ようやく石段が途切れ、四の丸に到着です。小広い曲輪にはベンチもあり、正成が敵の矢を鹵獲するためにたてた藁人形も曲輪の片隅に立っています。
鳥居をくぐり吊尾根をすすみ、またの石段を登ると社務所の建つ三の丸を経て千早神社の二の丸へ到着します。「本丸跡」の小さな看板が狛犬の下に打ち捨てられたように立てかけてありますが、本丸は千早神社のさらに奥とのこと。神社で手を合わせた親父と私は満足し、本丸の探索には向かいませんでした。
降りはさらに気を使います。親父の、いがいにゴツイ掌を取り一段下からサポート。転びでもしたら大変です。登りは心臓にきますが降りは膝にきます。
往復約2時間、けがをすることもなく無事に下界に降り立ちました。高低差約150メートル、この数字がこれからの指標になります。まだまだキツイ山城がたくさん残っています。
最後に「山の豆腐 まつまさ」で御城印を買い求め、8時間をかけて東京に帰りつきました。
日本100名城 46/100
千早城




























