日本の4つの端を歩いてつなぐ旅 -ON THE ROAD EDGES-  -5ページ目

日本の4つの端を歩いてつなぐ旅 -ON THE ROAD EDGES- 

2024年で15年目。31回の旅で本土最南端の鹿児島県佐多岬から最西端の神崎鼻を経て関門海峡を渡り安芸の宮島、天橋立、石見銀山や木曽路、松島を歩き、本州最後の県青森の八戸駅まで歩きました。

白河小峰城を訪れたあと茨城県の日立に宿を取り、日曜日は会津若松城跡を訪れました。

 

 

石垣の間を縫うようにつけられた細い道を進み、城内に設けられた駐車場に車を停めます。お城に車を乗り入れるなんて恐れ多い感があります。彦根城もたしかこんな感じだったかな。

 

まずは観光案内所で御城印を買い求めます。珍しく、受付係は外国の方でした。絶え間のない笑顔、好きで仕事についていることがわかります。日本の文化、とりわけお城が好きなのかなと想像しこの日本を誇らしく思いました。

くるりと後ろを振り向くと天守がそびえていました。私は入場券を二枚買い求め、まだ朝の雲が広がっているため撮影は後に回し、天守内の見学に向かいます。

 

月見櫓跡

 

館内は靴を脱ぐこともなく冷房もほどよく効き、快適な空間です。快適すぎ、天守の中だという臨場感には欠けるかもしれません。すでに多くの観光客が展示物に列をなしています。その中で、親父と私はうやうやしく飾られた、ギラリと鈍く光る「刀」に目がとまりました。

「見事だね。でもこれはお殿様が床の間に飾っておくやつだな。戦で使うものではない」

「それにしても長いな。こんなの振り回せる奴いたのかね」

「こんな物持ってたら、やっぱ切りたくなるよな。どうしても」不毛な会話でした。しかし、親父に頭を働かせてできるだけ会話をしてもらい、脳を活性化させるのがこの旅の一つの目的なのでよしとします。

 

 

天守の外に出ると予想通り朝の重い雲は流れ去り、わた菓子になりそこねたような雲をしたがえた青空が広がっていました。観光客が天守と「赤べこ」を前にして、記念写真を撮影しています。私はあずき色の瓦が珍しい天守を様々な角度からカメラに収めるため、本丸を時計回りに一周しました。

 

 

日本100名城 35/100

会津若松城

 

先週の土曜日、私と親父は福島県の白河小峰城跡を訪れました。

 

 

居間に飾ってあるL判の一枚の写真。昨年秋に他界した母が、私がプレゼントしたmont-bellのステッキをたよりに立ち、背景には抜けるような青空と白河小峰城の三重櫓。

日本100名城を目指した当初から、このお城には青空の広がる日に訪れようと心に決めていました。朝から広がる青空にはわずかに夏の湿度で白いベールがかかり、初夏のさわやかさをはらんだ風が吹きつけています。

 

富士見櫓跡からの眺め

 

駐車場に車を停め、二ノ丸茶屋で御城印を買い求めます。二之丸跡の芝生ではレジャーシートを広げたりテントを張ったりして、快晴の一日をみな気持ちよさそうに過ごしています。

清水門は復元工事中のため、高い石垣を乗り越えるために組まれた簡易階段を上って帯曲輪門跡に降り立ちます。桜之門跡を歩いて本丸跡に出ると、ここが母の写真の場所でした。天守かなと思うくらい堂々とした三重櫓。私は角度を変え距離を変えて何枚もの写真を撮りました。

 

三重櫓と前御門

 

早くも脚が疲れてきた親父を鼓舞して最後の階段を上り、三重櫓の中を見学します。階上への細く急な階段、当時私と母は上っていったのですが、親父は脚が疲れたのか怖いのか、

「俺はいいよ」とベンチに座り込んでいました。

 

母との想い出を語り合った、素敵な空の広がる一日でした。

 

桜之門跡

 

日本百名城 34/100

白河小峰城

 

5月8日はあいにくの空模様。遠く秋田までやって来ましたが久保田城はあきらめ、山形への移動だけに留めました。親父が常々言っていた、「東北の日本海側を(車で)走ってみたい」が実現しました。そのどこに惹かれるのか正確にはわかりませんが、同じ日本海の福井県生まれの親父のこと、単純に「東北の日本海側」の景色だとか街の有り様だとか家の造りが見たいのかもしれません。

 

翌日、ゴールデンウイーク東北旅の最終日5月9日。山形は天気の回復が遅れる予報なのでこれまた山形城行きを取りやめ、仙台まで車を走らせて多賀城跡を訪れました。

 

外郭南門

 

朝一番、強い風に煽られ親父が転ぶというアクシデントが発生。幸い頬を擦りむいただけにとどまりましたが、これで二度目。だいぶ足元がおぼつかなくなっているようです。うまい具合に近くにあったマツキヨの開店を待って、マキロンとパイロールと大きな絆創膏を買い求め応急処置をしました。

 

 

車を停め「多賀城跡 ガイダンス施設」で御城印を買い求めます。アヤメをあしらった夏バージョンはさわやかです。

 

多賀城碑

 

724年に創建され、11世紀の中頃まで古代東北の拠点として栄えた多賀城。正門となる「外郭南門」は色鮮やかに、国宝「多賀城碑」は奈良時代の色を伝え、政庁南大路を歩めば澄み渡った青空に次々と雲が流されていきます。こんなに気持ちのいい風景があるでしょうか。

 

 

階段を上がると木々に囲まれた緑の原が広がり、ここが政庁の跡。「南門跡」や「石敷広場跡」、「正殿跡」。あまりの清々しい景色に、当時へ思いを馳せるのも忘れてしまいました。

 

 

日本100名城 33/100

多賀城

 

旅四日目の5月7日、青森県は弘前城を訪れました。今日も朝からいいお天気です。

 

 

現存12天守最北の弘前城。現在は石垣修理のため仮の天守台に移され、本来の天守台に戻るのは今年の夏から秋にかけてとのこと。この「仮の天守台」、ほとんど無いにも等しいもので、地面にじかに置かれているように見えます。天守自身もいささか居心地が悪そうです。

「こんなのやだじゃあ。はやぐもどしてけれじゃ。」

 

それにしても少し小さいなと感じるこの天守。親父は、

「徳川に遠慮してあんまりでかいのは建てられなかったんだろ」と持論を展開します。

本当のところは…。落雷で元々の五層天守が焼失した後、江戸幕府により新築が許されずに「櫓」を改築して天守としたために小ぶりだとのこと。

その天守の周りでは、この夏にも始まるという「曳戻し」の準備作業が行われています。仕方がないとはいえやはり重機がうろちょろしているのは残念です。

 

 

城内には多くの桜の木が植えられています。ソメイヨシノは葉桜となり、今日は八重の「関山(カンザン)」が見頃を迎えています。

 

 

城内を歩くうちに、どの木も背丈が低いことに私たちは気が付きました。

「なんでだろうね」

「わからん」

旅の後調べたところによると、これはリンゴの剪定技術を応用した「弘前方式」とのこと。高い位置の枝を落とし横に広がりをもたせ、目線の高さやそれより低い位置にボリュームのある花を咲かせるのが特徴とあります。

 

二の丸南門

 

古木名木の多い弘前城。「鶴の松」はその幹の曲がり様に威厳を感じ、日本最古級のソメイヨシノは、それとは知らずもその枝ぶりに刻まれた時間の深さに目がとまります。

 

 

本丸の西側からは、雪を抱いた岩木山が大きく眺められました。あの頂に登ったのはもうずいぶんと前のこと。この距離での独立峰の眺めは神々しく、「おいわきやま」と弘前の人々に愛されているのも当然のことと感じます。

 

 

このあと男鹿半島を走り、秋田に宿をとりました。

 

日本100名城 32/100

弘前城