222”猫の日”の土曜日、埼玉県ときがわ町慈光寺を目指して八高線を北上し、東飯能駅まで歩いてきました。
寒い一日でした。東福生駅から工場の多く建つ街を抜け、民家の庭で見つけた福寿草にカメラをそっと構え、気が付かないうちに埼玉県へと入ります。渋滞の圏央道を「三連休じゃそうなるわ」と見下ろし、茶畑の広がる道を歩き、小さな名もない峠を越えていきます。
朝の青空はすっかり雲に覆われ、飯能では粉雪が舞いました。
風の冷たかった土曜日、坂東三十三観音の第8番星谷寺を訪れました。
海老名駅から北に向けて歩いているとき、「桜田伝説」と書かれた碑がさみしげに枯れた原の中にポツンと立っているのを見つけました。まわりにはわずかばかり、花をお供えしたあとも残っていました。碑の裏側には、下のような物語が刻まれています。
-桜田伝説-
座間高校西方の低地は「桜田」と呼ばれ、かつては沼地でした。
ここには悲しいお話が伝わっています。昔、渋谷高間という武士がおりました。早くに妻を亡くしましたが、その悲しみは愛児小桜姫によってなぐさめられていました。
やがて、高間は松女という女を後妻とし、松女との間に小柳姫が生まれました。小桜姫と小柳姫は人もうらやむほどの仲むつまじさで二人は平和な日々を送っていました。
こうして数年が過ぎた後、高間は仏教修行のため旅立つこととなりました。
松女は実子の小柳姫を跡継ぎとするため、家来とはかり小桜姫を殺して桜田の沼に沈めてしまいました。これを知った小柳姫はひどく悲しみ、小桜姫と同じ沼に身を投げ死んでしまいました。
この悪行を知った村人たちは松女を捕らえて、当時このそばを流れていた相模川の堤防が洪水のたびに壊れないようにするための人柱に立てると共に、亡くなった小桜姫を哀れみ、この地に桜を植え、碑をたてて霊をとむらったと伝えられています。
その後、諸国修行から帰った高間は、ことの次第を知り、家族の霊を慰めるため龍源院を建てたということです。
ほほを打つ冷たい風、気持ちも少し温度が下がったようです。
第08番 妙法山 星谷寺