日本の4つの端を歩いてつなぐ旅 -ON THE ROAD EDGES-  -4ページ目

日本の4つの端を歩いてつなぐ旅 -ON THE ROAD EDGES- 

2024年で15年目。31回の旅で本土最南端の鹿児島県佐多岬から最西端の神崎鼻を経て関門海峡を渡り安芸の宮島、天橋立、石見銀山や木曽路、松島を歩き、本州最後の県青森の八戸駅まで歩きました。

222”猫の日”の土曜日、埼玉県ときがわ町慈光寺を目指して八高線を北上し、東飯能駅まで歩いてきました。

 

 

寒い一日でした。東福生駅から工場の多く建つ街を抜け、民家の庭で見つけた福寿草にカメラをそっと構え、気が付かないうちに埼玉県へと入ります。渋滞の圏央道を「三連休じゃそうなるわ」と見下ろし、茶畑の広がる道を歩き、小さな名もない峠を越えていきます。

 

朝の青空はすっかり雲に覆われ、飯能では粉雪が舞いました。

先週の土曜日は八王子駅から東福生駅まで歩いてきました。

 

 

都道166号と国道411号の交差点、駐車場のフェンスに

 

「祝 続日本100名城 ようこそ!滝山城跡へ」

 

と横断幕が張られていました。今日はこの先見るべきところもなさそうだし、予定していなかった寄り道をすることにしました。

 

 

薄暗い天野坂を上ると、ゆるやかに続く山並みの起伏の中に空堀や土塁が造られ、斜面には枯木が無造作に枝を伸ばし、無骨な風景の中へと入り込んでいきます。それだけに、広々とした陽だまりの曲輪にはホッとさせられます。

 

 

滝山城跡中の丸で紅梅、東福生駅への道のりで白梅と蝋梅が咲いていました。

 

先週の土曜日は、橋本駅から八王子駅まで歩いてきました。

 

 

「元橋本交差点」付近の道路標識には、直進の八王子バイパスがおにぎりマークの「16」で表示されていてメインの国道16号にみえます。そして今回歩いた以前からの国道16号は「16 現道」と表示されています。これを「16 旧道」としないのは、

 

「今現在も現役として使用されている道」

 

を強調するためだと思われますが、ややこしいことこの上もありません。八王子バイパスを「16 BP」とし、以前からの国道16号を「16」と表記するほうがより分かりやすいと思うのですが。

 

沈丁花のつぼみも膨らみ、春が近づいてきました。

 

先週日曜日はJR相模線の下溝駅から橋本駅まで歩きました。埼玉県ときがわ町にある9番目の札所、慈光寺を目指して北上することになります。

 

 

この日歩いた区間は特に見るべきところもありません。枯れた田畑の間を抜け住宅街を歩き、工場や巨大な物流施設を見上げ北に向かいます。突き刺すような青い空が、一番の見どころかもしれません。

 

風の冷たかった土曜日、坂東三十三観音の第8番星谷寺を訪れました。

 

 

海老名駅から北に向けて歩いているとき、「桜田伝説」と書かれた碑がさみしげに枯れた原の中にポツンと立っているのを見つけました。まわりにはわずかばかり、花をお供えしたあとも残っていました。碑の裏側には、下のような物語が刻まれています。

 

-桜田伝説-

 座間高校西方の低地は「桜田」と呼ばれ、かつては沼地でした。 

 ここには悲しいお話が伝わっています。昔、渋谷高間という武士がおりました。早くに妻を亡くしましたが、その悲しみは愛児小桜姫によってなぐさめられていました。

 やがて、高間は松女という女を後妻とし、松女との間に小柳姫が生まれました。小桜姫と小柳姫は人もうらやむほどの仲むつまじさで二人は平和な日々を送っていました。

 こうして数年が過ぎた後、高間は仏教修行のため旅立つこととなりました。

 松女は実子の小柳姫を跡継ぎとするため、家来とはかり小桜姫を殺して桜田の沼に沈めてしまいました。これを知った小柳姫はひどく悲しみ、小桜姫と同じ沼に身を投げ死んでしまいました。

 この悪行を知った村人たちは松女を捕らえて、当時このそばを流れていた相模川の堤防が洪水のたびに壊れないようにするための人柱に立てると共に、亡くなった小桜姫を哀れみ、この地に桜を植え、碑をたてて霊をとむらったと伝えられています。

 その後、諸国修行から帰った高間は、ことの次第を知り、家族の霊を慰めるため龍源院を建てたということです。

 

ほほを打つ冷たい風、気持ちも少し温度が下がったようです。

 

 

第08番 妙法山 星谷寺