おのころ心平です。
冬土用につき、
腎臓の話が続きますが、
腎臓って、
カラダの背中側にあり、
後方からカラダ全体を
見守る位置にいます。
なので、
腎臓の性質の
ひとつに、
俯瞰力(ふかんりょく)
が生じています。
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俯瞰力について、大人気発売中のこちらより。
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『大切なことはすべて日常のなかにある
』
~人生はもっと「ごきげん」にできる~
(かんき出版)
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俯瞰する力とは、
高い視点で全体を見通す力。
私たちは、つい、
近視眼的なものの見方で、
優劣や正誤や善悪を判断してしまうもの。
けれど、視点を高く持てば、
そこにある二項対立も
虚しく心に映ることがある。
なぜなら、
一見、真逆に見える物事も
抽象度が上がると
同じ仲間として機能するもの。
たとえば、妻と夫の対立も、
お互いが躍起になって
相手の理解を乞い願う
寂しがり屋同士であるように。
―― やましたひでこ
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問題の渦中にいて
視点がとらわれていると、
その範囲で解決しようとしてしまうので
解決策が少ない。
そんな時、視点をポーンと上にあげて、
俯瞰して視野を広げられたら、
「ここにも、ここにも解決策」
と見つけることができる。
そして、その場にいる自分を
どう動かせばよいかのヒントが得られる。
―― おのころ心平
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京都にある
龍安寺(りょうあんじ)の石庭は、
写真でも
その風情を感じることはできるが、
やはりその場所にいて感じる
本物感にはかなわない。
写真やテレビやパソコンの画面で
客観的に見る美しさと、
肉眼で自分の目で見る美しさと……、
その違いは、「場」の作用にある。
客体と主体が一体となって、
感じられる風景。
それを主客非分離(しゅきゃくひぶんり)
と呼ぶが、
自分もその風景の一部分となって、
風景の内側からその風景を感じる力、
それが俯瞰力と言える。
―― おのころ心平
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客観とは冷たく、俯瞰とはぬくもりがある。
そう言ったら、あなたは驚くだろうか。
客観とは、「我関せず」であり、
自分は無関係という立ち位置。
そこから離れたひとつの視点。
けれど、俯瞰とは、眺め見下ろした場面に
当事者としての自分の姿も
見出すことでもあるのです。
当事者の自分の視点と、それを眺め見る
もうひとりの自分の視点、
つまり、二つの視点があなたの理解度と
受容度を少なくとも二倍にしてくれるのです。
―― やましたひでこ
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腎臓は、ぬくもりをもって、
カラダを見守る俯瞰臓器。
あなたは今日も見守られている。
日常を強く生きるヒントが満載。