義父の思い出 お見合い結婚
夕食の支度をしながら鼻歌を歌っていることに気がついて可笑しくなって一人笑ってしまった
そういえばはるか昔 こんなふうに歌を口ずさんでいると嬉しそうに晩酌をしていたお義父さんのことを思い出しました わたしがお嫁に来たばかりのもう40年近くも前のこと
二十歳で 知人の顔を立てるということでお見合いをしました 夢に描くような振袖を着て料亭でのお見合いのとばかり思っていたのに大ハズレ 普段の様子をお義父さんになる人と夫になる人が見に来て終了
その一ヵ月後結納 半年後結婚 二ヵ月後成人式 というめまぐるしい展開 何でこうなるの?
昔はよほど異論がない限り両家の合意で縁談はあれよあれよと進んでしまう
わたしもいつの時代かわからない世界にタイムスリップしたように 親の勧めに従い何の疑問も持たず素直にお嫁入りをしてしまいました 夫になる人を信じたのが本音ですが・・・
お義父さんは そんなわたしをいつも案じていたようです 不満はないか 幸せなのか 強い希望で無理に嫁がせてしまったけれどそれでよかったのだろうか と
それでにこにこ歌を歌いながら食事の準備をしているわたしを見てほっとして安心していたようです
お義父さんはそれから一年半後 突然脳内出血で倒れそのまま帰らぬ人となりました 55歳でした
系統的に高血圧の家系でかかりつけの主治医もいたのですが高血圧症はこれといって辛い自覚症状もなく健康で働き者でしたので治療など本気に考えず 軽く考えて油断してしまったようです
病院に診察に行く理由で家を出ても その後料亭でお酒を飲んで夜中に帰ってくるなど豪傑でもありました
そうそう 当時の結婚式は式場ではなく 両家で執り行われていました
新郎家の招待のお客様は新郎家で 新婦側の招待のお客様は新婦の家でそれぞれ祝宴をします 新郎家からの迎えのハイヤーが来て 婚家に向かうとき ”あら?道が舗装になっている” 以前来た時は砂利道の凸凹道だったのに・・・ 「道が変わってる」 そう新郎につぶやくと 「良くわかったね」 と 笑う
こう言うわけでした お義父さんは息子の結納が整った後 町役場に行き 「うちに嫁が来るんだ 道が悪くて車が揺れてかつらが落ちてしまうと困るから結婚式前に舗装にしてくれ」 と言ったそうです
それは 手柄話か 自慢話か 作り話か 本当のところはわかりませんがそれもお義父さんの思い出
当時 わたしの献立には ポテトサラダが一週間に2回ぐらい入っています それは家族がとてもよろこんで食べてくれるのが嬉しいから お義父さんは特に美味しいといってくれました 「K子は料理が上手だ」 いつもそういって笑っていました それが・・・ 亡くなってから知ったこと 近所でも有名なマヨネーズ嫌いだということ
そしていつも誰の名前を呼ぶときも 名前を必ず2度続けて呼ぶ癖も 有名なこと
他にも近所に伝わる たくさんの武勇伝のあるなかなか存在感のある人でした
わたしには実の父がいました 実父は静かな人で 家族や娘への気持ちなどあまり言葉で表現したりしませんでした それがお義父さんは思うことは何でも言葉にします 表現豊かで 家族への愛情表現も素直に表します 娘も嫁も分け隔てなく 気さくで そんなことも戸惑ったことがありました
それは戦争中 ビルマの最前線で戦争を体験して 多くの戦友を無くし 悲惨な状況を目の当たりにして 自身の明日の命もどうなるかわからない長い辛い日々を生き抜いて 九死に一生を得て そして幸運に家に戻りました 家に帰って 命があって 平穏な生活をしている 子供に恵まれて そのことに感謝する日々がほんとうにありがたいと思いながら一日一日を大切に過ごしていることを知りました
わたしは 映画で 平井昌二さんの第一作の「ビルマの竪琴」を観た記憶が朧にありました お義父さんは 母親にも妻であるお義母さんにも誰にも戦争体験をほとんど話すことはなかったそうです
子供たちが大きくなっても話す事もなく 夫には一度 少し話したことはあるそうですが本気で聴いてくれないからと それ以来話すことはなく 夫のほうからも聴くこともしななかったそうです
わたしは 映画のシーンを思い出しながら 何度かお義父さんとビルマのことを話しました
「話せる人がいてよかった」 と言ってくれたような気がします ほんとうに辛い経験は 話したくても話せない 軽々しく話すのは避けたい それだけ 癒せることのない心に深い哀しみなのでしょう
その後 中井貴一さん石坂浩二さんでリメークされた「ビルマの竪琴」を娘たちを連れて映画館で観ました
少しだけ お義父さんの深い悲しみ 命を落としてふるさとへ還る事の出来なかった仲間たちへの想い 戦争の想い出を抱えながら生きる苦しみ そんなことがわかったような気がしました
もっと 生きてくれたら 何度も 何度も お義父さんの心が少しでも見えるまで話しを聴きたかった
いまも それが残念です
あれから
お義父さんが空の上から観ていてくれる 守っていてくれると 心強かったです
窮地の時 大難にならなかったのも
仕事が順調に終わって夫と喜び合うことをきっとどこかで共に喜んでいてくれる
お義父さんが 気に入って迎えてくれ 見込んでくれた恩を裏切ってはいけない と生きてきました
お義父さん
わたし 来年 還暦です
二十歳で嫁いでもうそんな歳になりました
お義父さんの歳を越えてお姉さんになってしまいました
鼻歌を歌って お義父さんを思い出して 書いてしまいました
長々と とりとめもなく書いた独り言を最後まで読んでくださいました方 本当にありがとうございます
今年一年 ありがとうございました
人と人のめぐり合わせに感謝の一年でした
どうぞ 良いお年をお迎えください
来年が明るい希望に満ちた夢多き年になりますよう・・・
追記
鼻歌は ♪The rose の 英語の歌詞です



