徒桜あだざくら  姥桜うばざくら | 紅い野ばらの里山便り

徒桜あだざくら  姥桜うばざくら

 

 

徒桜あだざくら と 姥桜うばざくら

 

明日あると 思うこころのあだ桜 夜半の嵐の 吹かぬものかは

 

幼少の親鸞上人は入門を願い比叡山の門を叩いた

対応の僧に「今日はもう遅い時間なので明日もう一度来るように」と言われ

この句を詠んだ

いま満開の桜も夜半に嵐が吹いて儚い桜は無残にも散ってしまい明日には桜は見られないかもしれないではないですか

 

即入門を許されました

 

徒桜(あだざくら)は儚く散る桜 そこから儚いものに例えられる

 

在原業平のお話し

 

「儚い桜だけど たまにしか来てくれないあなたに合わせたように折りよく  あなたを待っていたように咲いていましたね」

 

「今日来なかったら明日は散っていたかもしれないね」

 

 

奈良時代から平安時代から江戸時代まで桜といえばの吉野山に代表される葉が赤褐色のヤマザクラ

 

 

そういうことから物事には絶好の機会があること それを逃したら大切なことに巡り会えないこと それを教えられました


応援しているAJさんはコンサートのとき 会いたい人には会いましょう といつも皆さんの背中を押してくださいます

 

2020年1月から新型コロナの蔓延で 一年数ヶ月経った今現在も収束の見えない いいえもっと蔓延のコロナ渦です

旅行もお出掛けも自粛して拡散防止に努めるのは国民の遣らなければならないこと遠方への旅行は諦めの現在です

新型コロナがまだニュースになるちょうどひと月前の2019年12月の四国広島旅はそういう意味では行きたい時即実行の決断だったとつくづく思います

今ならどんなに行きたくても自重自粛ですから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

姥桜うばざくら 老いてまだ美しく艷やかな女性のこと

 

葉(歯)が無いのに花盛りの桜に例えた エドヒガン 別名ウバヒガンのことですが 江戸時代以降ならソメイヨシノもそうだね

 

若さは一気に衰えます

今を盛りに咲き誇る桜のような美しい花盛りの女性の皆さん

精一杯花盛りを楽しんでくださいね

姥桜でいたいけれど姥桜は姥桜 姥を自覚するのは切なくて寂しいよ

 

 

花盛りのエドヒガン

ほんとうに山桜なのに華やか これが姥桜なんだって