今日は大仙市に行かないといけないが。

母も来てくれるから、大丈夫なのさ。

職場に親が来る。でも、しかたないのさ。


これは、35年ぐらい前の多剤大量処方が原因か。

昭和61年4月か。失業状態だった時、北海道から電話があった。

部隊の人事陸曹からだった。退職してからの職歴を聞かれてから、最後にこう言われた。

「また、電話があるからな。覚悟しておけよ」


退職した同期生に聞いたが、こういった電話がかけられるのはぼくだけだ。

これは縄文人に関わることで、縄文人のことは日本中の人が知っているのだ。

これは妄想ではないが、自己都合で会社などを退職した場合、失業手当は3か月かからないともらえない。

いいことか悪いことかわからなかったが、ぼくは親と住んでいたし、貯金は残っていたので会社を辞めてもあまり困らなかった。

その昭和60年の12月には郵便局でバイトをして、翌年の1月から3月までは弱電の工場でバイトをする。

4月か5月だったろうか。ハローワークでリサイクルの会社の求人票を見つける。これを窓口にもっていくと、

<残業時間が長い・・・>などと罫線が引かれているという。だが、ぼくはどうしても採用されなかったので紹介してもらう。

面接をしてもらった社長はその時、サングラスをしていた。面接で採用は決まり、翌日から雇ってもらえることになった。

 

「6時間だや。6時間、電話していたな・・・」

と社長が社員に話していた。これは、ぼくのことで、ハローワークから連絡があって警察とかから電話があったのでないか?