3日間、飲みも食いもせずにベッドで過ごした。トイレにも行かなかった。

弟が二人いた。ぼくをかまっている暇もなかったのだろう。弟で忙しい親はぼくを放置した。

だが、さすがにまずいと思ったのかもしれない。

ただ、寝ているだけの日々を過ごした3日後、母は食事を運んできた。それで食べた。

親は計画をたてて、その通りにするということができない人だった。ぼくもそうだった。計画なんて考えなかった。

父は左官職人。母は保険会社に勤めていた。2人の弟とは2歳と5歳の年が離れていた。

弟が産まれるのは計画した。ぼくはわかがわからず、産まれた。ぼくはいらなかった。

 

学校へ行かなくなったぼくに父は言った。具合が悪いのなら、寝ていないといけない。その通り、寝て過ごした。風呂にも入らなかった。だが、食事は母が夕食を部屋へ運んできた。

 

二人の親も二人の弟もぼくが邪魔だった。だから、ぼくは邪魔にならないようにした。部屋に引きこもった。

医者に診せられたなら、ストレス障害と診察されたと思う。学校が害悪にしかならない人もいる。それは被害者が悪いことになる。そう、なっている。

学校へ行かなくとも卒業式の日はやってくる。日にちがたって、ぼくのストレス障害はよくなっていた。学校へ行くことがないとなると、朝は普通に起きれるようになった。風呂にも入るようになった。

中学の卒業式が終わって二日後、両親と3人で学校へ卒業証書を受け取りに行った。

なんだか、わからない作品になりました。それで明後日は土崎空襲があった日。なにか書かされた感じがします。

今日、ラジオでその空襲の番組があったのですが、なぜかラジオを消してしまいました。

明日からは、「逆走の夏」を書きます。BIGLOBEブログに書いたものの書き直しです。ぼくが書く主人公はたいてい、不登校なのでした。

ぼくは高校は一浪して入学して卒業はしたのですけどね。進学しなかったらどうなったろうと、考えたりするわけです。それで明日から書く作品の主人公は中卒なのでした。

「ぐるあああー」とハンドマイクつきメガホンで叫びながら、チリ紙交換屋が市役所に乱入する。守衛はそれをとめもしない。

闇が晴れる。晴らすことができる。声をあげることで。

中山は2階の市長室へ階段を駆け上がり、市長室に乱入した。

 

土崎空襲。100機ものB-29で土崎製油所が爆撃され、死者は250人ぐらい。火は3日間燃え続けた。それで、現世に災いをもたらそうとする勢力、守ろうという勢力、上に上がりたいと平和を願う勢力が拮抗した。戦時中に日本で空襲を受けたのは土崎だけでもない。

 

中山は市長を視認した。「ぐるあああー」と叫んで闇を払う。それで終わりではなかった。

なにかが中山の中に入ってきた。

 

ーわたしたち、俺たちは何故、焼き殺されないといけなかったのか? 誰が戦争を始めたのか?

 

中山はコンピューターのCPUが熱暴走して、壊れるような状態になってしまった。なにかの意思が中山に訴えようとした。それは中山一人にはどうにもならなかった。

声をあげたことによって、闇は払われた。

「あれ? どうしたんだ? この人は何を言っていたのだっけ? ハンドマイクをもって何かの陳情にきたのか? 口から泡を吹いている」

「救急車だ。救急車を呼んであげなさい」

 

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市役所の闇は晴れた。もう終わった。わたしはチリ紙交換車を運転して、空いている駐車場に駐車した。それから、どうすればいいか分からなかった。救急車が来て、中山が運ばれていく。

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中山はふと、ベッドの上で気がついた。自分が病院にいるらしいことは分かった。精神科の病院であるらしいことは分かった。そして、3食の食事が運ばれてくる。

それで個室に入っていたのが、病棟内を自由に歩いていいことになり、食事のメニューなどが書かれた掲示板を見ると、もう9月になっていた。

中山はナースセンターにカルテを見せてほしいと頼んだが、断られた。なにかを叫んでいた覚えはあった。

母親や由乃さん夫婦が何回か面会にきた。それで、自分が訳の分からないことを叫んでいたと教えられた。

 

それで自分は統合失調症であると告げられた。自動車免許の更新には医者の診断書を免許センターに提出する必要があり、それを隠すと詐欺罪となるということだった。

そして、退院の許可はおりたが、一生薬を飲まないといけないということだった。

 

中山の家はローンが返し終わっていた。保険の外交官をしていた母親は退職して、チリ紙交換屋の仕事を手伝ってくれるという。

 

退院から、まず仕事で体を慣らす初日、中山の母がトラックを運転したいと言う。中山はまずホームセンターへ行ってもらって花を買い、土崎の空襲の慰霊所のようなところへ行ってくれるように頼んだ。そして、不思議なことに迷わずに慰霊所のようなところに着いた。母とともに拝んで、花を供えた。

それから、その場から放送をながして新聞を回収するチリ紙交換屋の仕事を自然に始めた。

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市役所にあった闇はわたしと中山さんが声をあげるということによって、晴れた。

わたしは俊和をおぶって、駿のところへ行った。中山さんは病院へ運ばれた。

自分たち二人は何をしていたのかと聞かれることはなかった。また、自分たちがなにをしたかも分からなかった。妄想に囚われて、妄想通り行動したのだろうか。

中山さんは退院して、平常な日常がもどってきた。また、冬がくる。