751 :避難民のマジレスさん:2013/06/28(金) 19:11:25 ID:WL2yRwjAO
和尚、法話たのむ
757 :避難民のマジレスさん:2013/06/28(金) 20:34:12 ID:WL2yRwjAO
質問です。
どうして鬼和尚は神の存在を否定するのですか?
神棚を拝んでいる人は馬鹿なのですか?
769 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/06/28(金) 21:09:33 ID:kaXJvxhM0
>>751>>757 神とは人が心から作り出し、心の中にのみ居り、心の中に見出すべきものなのじゃ。
自ら神を作りながら、神を恐れ、神に許しを請うのはおかしいのじゃ。
神とは心理学でも既にわかっているが、親のイメージが投射されたものなのじゃ。
親であるから、自分を含めた全てを作り出し、男の神と女の神がいるのじゃ。
キリスト教なども一神教の筈であるが聖母が居たりするのじゃ。
それも両親のイメージが投射されているから必要となったのじゃ。
そのような自ら作り出したイメージであっても、それを自らの心に見出し、その中に自我を捨てきるならば役に立つものじゃ。
神を自ら作りながら神を恐れ、神に許しを請うような信仰は無意味なのじゃ。
人の認識能力はそれぞれ異なるものであるから、人が神と言う一定の言葉とイメージを抱いていても、他人は別のイメージを抱いていたりするのじゃ。
恐ろしい神のイメージを抱くものは、神の罰が恐くて異教徒と戦ったりもする。
今の大方の日本人には信じられん事かも知れんがのう。
実際に今でもある事なのじゃ。
そのような人を過ちに導くような神のイメージこそ非難されるべきものなのじゃ。
人の心が作り出した神が、人を罰したり、ものを作り出すことはないのじゃ。
ものごとを作り出し、自らを罰する心こそ人が神よりも注目し、観察しつづけるべきなのじゃ。
806 :避難民のマジレスさん:2013/06/29(土) 09:50:13 ID:WL2yRwjAO
鬼和尚は鬼和尚の心から産まれてきたのではなく
おとうさんおかあさんから産まれてきたんですよ
心から赤子を産み出せるなら産み出して見ろよ
サイババじゃあるまいし
非科学的な鬼和尚はカルト
807 :避難民のマジレスさん:2013/06/29(土) 09:56:54 ID:WL2yRwjAO
鬼さんよ
あのなあ心理学ってのはひとつの仮説だよ?
フロイトの権威なんて今やボロボロなんだからさ
自分の主張に都合のよい学説を引っ張って権威つけるのやめれ
神はイメージだが、それを言ったら全てがイメージだよ
イメージと言うか、神とは全存在の根源の象徴なんだよ
左翼が「天皇なんかただの人間のおっさんだ」と言うくらい低レベルな批判だよ
809 :避難民のマジレスさん:2013/06/29(土) 10:14:31 ID:WL2yRwjAO
言うなれば全宇宙に行き渡る普遍の「気」みたいなものだ
それに感謝しそれと一体になる儀式が礼拝なんだよ
だからどの民族にだって宗教があり神殿がある
確かに宗教のイメージの違いで殺しあいするのは愚かだが
だからといって神仏(全宇宙を在らしめる力)に手を合わせ存在の根源に感謝する事を忘れてしまってはいけないのだ
鬼和尚も宗教家ならそれくらいのことわかるだろう
836 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/06/29(土) 19:53:34 ID:kaXJvxhM0
>>806 おぬしが認識するさいばばみたいな鬼和尚はおぬしの心から生まれたのじゃ。
わしはパーマをかけたでぶではないのじゃ。
>>807 既に普通の人にも知られているという事じゃ。
理解できないならばそれで良いのじゃ。
>>809 宗教家の鬼和尚というのもおぬしの心が作り出したイメージなのじゃ。
831 :避難民のマジレスさん:2013/06/29(土) 18:03:19 ID:WL2yRwjAO
鬼和尚が認める、ラマナ・マハリシもこう述べている。「自分自身の力では、私はまったく無力であり、神のみが全能であること。
そして彼に我が身を完全に投げ出す以外、他に救われる道はないと感じることである。
この方法によって、神のみが存在し、自我は存在しないと言う確信は徐々に高まっていく。(略
完全な明け渡しとは解脱のもうひとつの名前なのである」
どうだ鬼和尚よ
837 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/06/29(土) 19:56:27 ID:kaXJvxhM0
>>831 おぬしがわしの書いた言葉をちゃんと読んでいたならば、「そのような自ら作り出したイメージであっても、それを自らの心に見出し、その中に自我を捨てきるならば役に立つものじゃ。」という言葉を見出すじゃろう。
710 :避難民のマジレスさん:2013/06/27(木) 19:41:06 ID:WL2yRwjAO
鬼和尚
この世で自分に絶望している人の救いになる法話お願いします。
715 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/06/27(木) 21:01:18 ID:kaXJvxhM0
>>710 本当に自分に絶望しているならば、それは修行にはいい事じゃ。
なぜならばそのよに絶望してこそ真に悟りを得ようと想うからのう。
お釈迦様も老病死という限界のある人の身に絶望して、悟りを求めたのじゃ。
自分にはまだなにか出来るとか想っている者は、なかなか悟りを求め様とは想わないじゃろう。
希望のある人間は自分を換えようとは思わないものじゃ。
自分は変わらないで世間が変わらないかと願っておる。
世間を変えるために能力は身につけるが、性質は変わらないままなのじゃ。
自分に心底絶望してこそ人は己が変わる事を許すのじゃ。
もはや何の希望も無い己を捨てて、本当に新しい自分に目覚めるのじゃ。
そのように絶望し、全ての世間の営みを捨てれば、却って悟りを得て最高の感性を得られるのじゃ。
不死の境地に至り、一切が平等である喜びが溢れ、更にそれすらも必要とはしないのじゃ。
そして一切の智慧を成就する事が出来るのも、自分に絶望したお陰なのじゃ。
そのように自分に絶望したならば、悟りへの修行に入り、最高の完成を目指したらよいのじゃ。
鬼和尚
この世で自分に絶望している人の救いになる法話お願いします。
715 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/06/27(木) 21:01:18 ID:kaXJvxhM0
>>710 本当に自分に絶望しているならば、それは修行にはいい事じゃ。
なぜならばそのよに絶望してこそ真に悟りを得ようと想うからのう。
お釈迦様も老病死という限界のある人の身に絶望して、悟りを求めたのじゃ。
自分にはまだなにか出来るとか想っている者は、なかなか悟りを求め様とは想わないじゃろう。
希望のある人間は自分を換えようとは思わないものじゃ。
自分は変わらないで世間が変わらないかと願っておる。
世間を変えるために能力は身につけるが、性質は変わらないままなのじゃ。
自分に心底絶望してこそ人は己が変わる事を許すのじゃ。
もはや何の希望も無い己を捨てて、本当に新しい自分に目覚めるのじゃ。
そのように絶望し、全ての世間の営みを捨てれば、却って悟りを得て最高の感性を得られるのじゃ。
不死の境地に至り、一切が平等である喜びが溢れ、更にそれすらも必要とはしないのじゃ。
そして一切の智慧を成就する事が出来るのも、自分に絶望したお陰なのじゃ。
そのように自分に絶望したならば、悟りへの修行に入り、最高の完成を目指したらよいのじゃ。
572 :避難民のマジレスさん:2013/06/25(火) 20:46:29 ID:WL2yRwjAO
鬼和尚に質問。
瞑想を極めると別の世界にトリップすることも可能ですか?
574 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/06/25(火) 21:08:28 ID:kaXJvxhM0
>>572 集中を極めれば脱身が起こり別な世界にも行けるじゃろう。
寝ている時には誰でも行っているのじゃ。
心の表す世界が、人の見ている世界なのじゃ。
576 :避難民のマジレスさん:2013/06/25(火) 21:15:49 ID:WL2yRwjAO
どういう風に集中すればいいの?
627 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/06/26(水) 20:35:14 ID:kaXJvxhM0
>>576 別世界が好きならば別世界をイメージによって創り上げると良かろう。
阿弥陀経にあるような極楽世界を瞑想中にイメージするのじゃ。
するとだんだんとはっきり見えてきて、動き出したりもするのじゃ。
神仏の声を聞いたり、触ると感触まであるようになるのじゃ。
そこまで行くには才能と努力も必要であるが試してみるのじゃ。
鬼和尚に質問。
瞑想を極めると別の世界にトリップすることも可能ですか?
574 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/06/25(火) 21:08:28 ID:kaXJvxhM0
>>572 集中を極めれば脱身が起こり別な世界にも行けるじゃろう。
寝ている時には誰でも行っているのじゃ。
心の表す世界が、人の見ている世界なのじゃ。
576 :避難民のマジレスさん:2013/06/25(火) 21:15:49 ID:WL2yRwjAO
どういう風に集中すればいいの?
627 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/06/26(水) 20:35:14 ID:kaXJvxhM0
>>576 別世界が好きならば別世界をイメージによって創り上げると良かろう。
阿弥陀経にあるような極楽世界を瞑想中にイメージするのじゃ。
するとだんだんとはっきり見えてきて、動き出したりもするのじゃ。
神仏の声を聞いたり、触ると感触まであるようになるのじゃ。
そこまで行くには才能と努力も必要であるが試してみるのじゃ。
499 :避難民のマジレスさん:2013/06/24(月) 20:04:04 ID:WL2yRwjAO
鬼和尚
法話頼むぜ。
573 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/06/25(火) 20:55:15 ID:kaXJvxhM0
>>499 お金を得るにも法があり、道があるのじゃ。
仏教に頭が凝り固まっているような者は、むしろ金儲けをしてみたらよいのじゃ。
金儲けをしようとする時、人はもの凄く真剣になり、頭を働かせ、真摯に働くものじゃ。
それはいい加減に仏教とか宗教に浸っているより余程身心のためにもなるじゃろう。
人に物やサービスを売るには、人の好む所を知らなければならん。
そして人に尽くせば誰もがその者から買おうと想うのじゃ。
そこには智慧があり、慈悲があるのじゃ。
そのように人を知り、人に尽くすのは仏道にも通じる商いの道があると言えるのじゃ。
ついでに瞑想をして思念を集中し、工夫を増せば智慧はますます磨かれていくじゃろう。
金を儲ける事で自らを磨くのが、道といえるのじゃ。
それはいずれ金儲けから引退し、修行に入った時に役に立つじゃろう。
金儲けに励むが如く修行に励めば悟りも速やかに来るじゃろう。
鬼和尚
法話頼むぜ。
573 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/06/25(火) 20:55:15 ID:kaXJvxhM0
>>499 お金を得るにも法があり、道があるのじゃ。
仏教に頭が凝り固まっているような者は、むしろ金儲けをしてみたらよいのじゃ。
金儲けをしようとする時、人はもの凄く真剣になり、頭を働かせ、真摯に働くものじゃ。
それはいい加減に仏教とか宗教に浸っているより余程身心のためにもなるじゃろう。
人に物やサービスを売るには、人の好む所を知らなければならん。
そして人に尽くせば誰もがその者から買おうと想うのじゃ。
そこには智慧があり、慈悲があるのじゃ。
そのように人を知り、人に尽くすのは仏道にも通じる商いの道があると言えるのじゃ。
ついでに瞑想をして思念を集中し、工夫を増せば智慧はますます磨かれていくじゃろう。
金を儲ける事で自らを磨くのが、道といえるのじゃ。
それはいずれ金儲けから引退し、修行に入った時に役に立つじゃろう。
金儲けに励むが如く修行に励めば悟りも速やかに来るじゃろう。
438 :避難民のマジレスさん:2013/06/23(日) 19:38:58 ID:WL2yRwjAO
鬼和尚
法話たのんます
450 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/06/23(日) 20:55:22 ID:kaXJvxhM0
>>438 例えば人が赤い色眼鏡を欠けて世界を見るならば、全ては赤く見えるじゃろう。
他人を見れば赤く見えるじゃろう。
それは本当に他人が赤いのではなく、自分が赤い色眼鏡で見ているから赤く見えるのじゃ。
それと同じように人は自分が考えている通りの偏りで世界を見ているのじゃ。
唯物論を信奉する者は本当に全ては物質で出来ているように見える。
唯心論を持つ者は全てが心によって存在するように見える。
最近はやりの唯脳論を主張する者には何もかもが脳によって在るように見えてしまうじゃろう。
それは認識の性質が、記憶によるものであり、記憶にある観念を投射するからなのじゃ。
記憶の中に世界は物質であるという観念があれば、思考も認識もそれを追認するように働くのじゃ。
実際に世界のありようを見るのではなく、記憶の中にある世界を外に見出そうとするのじゃ。
それが阿頼耶識という記憶に依存する認識能力の性質なのじゃ。
そのような観念の投射を止めるために、集中と観察が必要になるのじゃ。
集中によって観念の投射を一時的に止め、観察を行う事で真の在り様が観えるのじゃ。
修行者はそのような観念による投射を知り、観念に囚われずに止観を行なうのじゃ。
457 :素人A:2013/06/23(日) 23:01:30 ID:OvUtAIW.0
私は適当だから好意的に鬼和尚さんの意見を思えば?如来つまり未来空の視点
で見れば今は過去だし過去の記憶で間違いない?相対相対で異論な視点と色眼鏡
が有り?間違いも見えるものは見えるで?鬼和尚さん下らない質問でも苦だ゛つて
うんそうじゃと答えてくれる?時々そうではないと言うけど?まあ答えてくれるだ
けでも正しいとか間違いとか?そんな事は同でもよい皆仲間だしまあよいか、
皆相対性理論で相対した事は内?今私は自分でも何言っているのか解らないような
兎に角丸める尻滅裂だ
498 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/06/24(月) 19:57:26 ID:kaXJvxhM0
>>457 そうじゃ、観念から見る世界は過去の記憶なのじゃ。
それ故に昨日の木昨日と同じに見える。
本当は日々成長し、四季によって姿を変えているが違いは認識できないのじゃ。
昨日と同じ木と言う観念を投射してしまっている故に、違いはあっても見ないようニしているのじゃ。
先入観をなくして観察してみれば、昨日とは葉っぱが落ちているのが違うとか、虫が食っているとかの違いがわかるのじゃ。
そのように観察することで観念による見方を超えられるのじゃ。
鬼和尚
法話たのんます
450 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/06/23(日) 20:55:22 ID:kaXJvxhM0
>>438 例えば人が赤い色眼鏡を欠けて世界を見るならば、全ては赤く見えるじゃろう。
他人を見れば赤く見えるじゃろう。
それは本当に他人が赤いのではなく、自分が赤い色眼鏡で見ているから赤く見えるのじゃ。
それと同じように人は自分が考えている通りの偏りで世界を見ているのじゃ。
唯物論を信奉する者は本当に全ては物質で出来ているように見える。
唯心論を持つ者は全てが心によって存在するように見える。
最近はやりの唯脳論を主張する者には何もかもが脳によって在るように見えてしまうじゃろう。
それは認識の性質が、記憶によるものであり、記憶にある観念を投射するからなのじゃ。
記憶の中に世界は物質であるという観念があれば、思考も認識もそれを追認するように働くのじゃ。
実際に世界のありようを見るのではなく、記憶の中にある世界を外に見出そうとするのじゃ。
それが阿頼耶識という記憶に依存する認識能力の性質なのじゃ。
そのような観念の投射を止めるために、集中と観察が必要になるのじゃ。
集中によって観念の投射を一時的に止め、観察を行う事で真の在り様が観えるのじゃ。
修行者はそのような観念による投射を知り、観念に囚われずに止観を行なうのじゃ。
457 :素人A:2013/06/23(日) 23:01:30 ID:OvUtAIW.0
私は適当だから好意的に鬼和尚さんの意見を思えば?如来つまり未来空の視点
で見れば今は過去だし過去の記憶で間違いない?相対相対で異論な視点と色眼鏡
が有り?間違いも見えるものは見えるで?鬼和尚さん下らない質問でも苦だ゛つて
うんそうじゃと答えてくれる?時々そうではないと言うけど?まあ答えてくれるだ
けでも正しいとか間違いとか?そんな事は同でもよい皆仲間だしまあよいか、
皆相対性理論で相対した事は内?今私は自分でも何言っているのか解らないような
兎に角丸める尻滅裂だ
498 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/06/24(月) 19:57:26 ID:kaXJvxhM0
>>457 そうじゃ、観念から見る世界は過去の記憶なのじゃ。
それ故に昨日の木昨日と同じに見える。
本当は日々成長し、四季によって姿を変えているが違いは認識できないのじゃ。
昨日と同じ木と言う観念を投射してしまっている故に、違いはあっても見ないようニしているのじゃ。
先入観をなくして観察してみれば、昨日とは葉っぱが落ちているのが違うとか、虫が食っているとかの違いがわかるのじゃ。
そのように観察することで観念による見方を超えられるのじゃ。
290 :避難民のマジレスさん:2013/06/22(土) 19:42:23 ID:WL2yRwjAO
鬼和尚。
法話お願いします。
307 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/06/22(土) 21:35:36 ID:kaXJvxhM0
>>290 原始仏典などを読むと、色彩をイメージする瞑想法とか、脱身について書かれたりしているのじゃ。
これは今伝わるヨーガの修行法と全く同じようなものなのじゃ。
お釈迦様が居た頃の修行者は、仏教とか他の宗教とかの区別は無く、かなり自由に行き来していたのじゃ。
お釈迦様の弟子の迦葉も元は自分の教団を率いていたが、お釈迦様に会ってその弟子になつたという。
そのように優れた指導者を探し、また優れた修行法を探す内に、修行者の間で開発されたのがヨーガなどの法なのじゃ。
本来は宗派の別なく修行者の間で自由に行なわれていたのじゃ。
悟りを求めるための修行法は全て仏陀のになる教え、仏教としてヨーガも良く研究したら良いのじゃ。
例えば集注の法が進歩したならば、サマーディについて詳しいヨーガスートラ等を読むと良いのじゃ。
ヨーガスートラにはサマーディが対象を持つ者から、対象の無いサマーデイに発達する段階が、詳しく示されておる。
そのようにヨーガの経典にも役に立つものがあるものじゃ。
原始仏典に記載されているが、意味の判らなくなっている法などもヨーガの経典を調べれば、判るようになる事もあるものじゃ。
そのようにヨーガの経典も良く研究して修行に役立てるが良いのじゃ
鬼和尚。
法話お願いします。
307 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/06/22(土) 21:35:36 ID:kaXJvxhM0
>>290 原始仏典などを読むと、色彩をイメージする瞑想法とか、脱身について書かれたりしているのじゃ。
これは今伝わるヨーガの修行法と全く同じようなものなのじゃ。
お釈迦様が居た頃の修行者は、仏教とか他の宗教とかの区別は無く、かなり自由に行き来していたのじゃ。
お釈迦様の弟子の迦葉も元は自分の教団を率いていたが、お釈迦様に会ってその弟子になつたという。
そのように優れた指導者を探し、また優れた修行法を探す内に、修行者の間で開発されたのがヨーガなどの法なのじゃ。
本来は宗派の別なく修行者の間で自由に行なわれていたのじゃ。
悟りを求めるための修行法は全て仏陀のになる教え、仏教としてヨーガも良く研究したら良いのじゃ。
例えば集注の法が進歩したならば、サマーディについて詳しいヨーガスートラ等を読むと良いのじゃ。
ヨーガスートラにはサマーディが対象を持つ者から、対象の無いサマーデイに発達する段階が、詳しく示されておる。
そのようにヨーガの経典にも役に立つものがあるものじゃ。
原始仏典に記載されているが、意味の判らなくなっている法などもヨーガの経典を調べれば、判るようになる事もあるものじゃ。
そのようにヨーガの経典も良く研究して修行に役立てるが良いのじゃ
229 :避難民のマジレスさん:2013/06/21(金) 19:22:29 ID:WL2yRwjAO
鬼和尚の鬼法話を聞きたいです
241 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/06/21(金) 20:44:36 ID:kaXJvxhM0
>>229 世の多くの者は金がほしいとか、有名に成りたいとか望みを持っているじゃろう。
しかし、そのような望みの多くは周囲の環境からの反応に過ぎなかったりするものじゃ。
親や友達が金持ちを尊敬するから金持ちに成りたいとか、有名になると友人に自慢できるからとか、そのような反応から望みを持っていたりするのじゃ。
そのような者は実際に金持ちになったり有名になったりすると、次は何をして良いのかわからなくなったりするのじゃ。
憂鬱になって酒や薬に溺れてしまう事もあるのじゃ。
それも自分の本当の心や望みを知らず、ただ周囲からの反応によって生きて望みを持っていたからなのじゃ。
そのような事に陥らないために、自らの本心、本当の望みを知る事が大事なのじゃ。
周囲からの反応ではなく、自らの本心からの望みや願いに気づき、それを達成するために生きる事が後悔のない生き方といえるのじゃ。
それを知るためにはいろいろと法があるのじゃ。
法の一つは自分が全ての望みを達成して、満足して死ぬ時の事を思い浮かべるのじゃ。
その時、自分はどのような望みを果たしたから満足したのじゃろうか?とか、どのような事を成し遂げたのかとか考えてみるのじゃ。
そうすれば少しずつでも自分の生涯を掛けて達成したい望みが判って来るじゃろう。
それらは今の自分の性格とは反する事かも知れん。
しかし、十分に考えて自ら受け入れるならば、後悔はしない生き方が出来るようになるじゃろう。
小さな日常の争いは捨てて、自らの真の望みを達成するために努力するのじゃ。
243 :避難民のマジレスさん:2013/06/21(金) 21:46:10 ID:WL2yRwjAO
何をしたいのか内観してたが、思い浮かばんな。
けっきょく反応で生きるしかないのか
私のマインドは目先を超えた長大な事を考えられないようだ
296 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/06/22(土) 20:28:10 ID:kaXJvxhM0
>>243 何度も続けているとわかってくるかもしれん。
昔志していたが諦めてしまった事とか、心の奥に隠されてしまった事を思い出すのじゃ。
特に隠されているは無く、悟りを得たいと言う希があればそれだけでよいがのう。
鬼和尚の鬼法話を聞きたいです
241 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/06/21(金) 20:44:36 ID:kaXJvxhM0
>>229 世の多くの者は金がほしいとか、有名に成りたいとか望みを持っているじゃろう。
しかし、そのような望みの多くは周囲の環境からの反応に過ぎなかったりするものじゃ。
親や友達が金持ちを尊敬するから金持ちに成りたいとか、有名になると友人に自慢できるからとか、そのような反応から望みを持っていたりするのじゃ。
そのような者は実際に金持ちになったり有名になったりすると、次は何をして良いのかわからなくなったりするのじゃ。
憂鬱になって酒や薬に溺れてしまう事もあるのじゃ。
それも自分の本当の心や望みを知らず、ただ周囲からの反応によって生きて望みを持っていたからなのじゃ。
そのような事に陥らないために、自らの本心、本当の望みを知る事が大事なのじゃ。
周囲からの反応ではなく、自らの本心からの望みや願いに気づき、それを達成するために生きる事が後悔のない生き方といえるのじゃ。
それを知るためにはいろいろと法があるのじゃ。
法の一つは自分が全ての望みを達成して、満足して死ぬ時の事を思い浮かべるのじゃ。
その時、自分はどのような望みを果たしたから満足したのじゃろうか?とか、どのような事を成し遂げたのかとか考えてみるのじゃ。
そうすれば少しずつでも自分の生涯を掛けて達成したい望みが判って来るじゃろう。
それらは今の自分の性格とは反する事かも知れん。
しかし、十分に考えて自ら受け入れるならば、後悔はしない生き方が出来るようになるじゃろう。
小さな日常の争いは捨てて、自らの真の望みを達成するために努力するのじゃ。
243 :避難民のマジレスさん:2013/06/21(金) 21:46:10 ID:WL2yRwjAO
何をしたいのか内観してたが、思い浮かばんな。
けっきょく反応で生きるしかないのか
私のマインドは目先を超えた長大な事を考えられないようだ
296 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/06/22(土) 20:28:10 ID:kaXJvxhM0
>>243 何度も続けているとわかってくるかもしれん。
昔志していたが諦めてしまった事とか、心の奥に隠されてしまった事を思い出すのじゃ。
特に隠されているは無く、悟りを得たいと言う希があればそれだけでよいがのう。
42 :避難民のマジレスさん:2013/06/20(木) 17:53:40 ID:WL2yRwjAO
鬼和尚。
法話、法話!
89 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/06/20(木) 20:34:25 ID:kaXJvxhM0
>>42 お釈迦様はこのように言っておる。
1、ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。
もしも、汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人に付き従う。
車をひく(牛)の足跡に車輪がついてゆくように。
2、ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。
もしも清らかな心で話したり行ったりするならば、福楽はその人に付き従う。
影がそのからだから離れないように。
この言葉の真の意味とその価値を味わうのじゃ。
もしも人がこの世が地獄のような所であり、全ての他人が鬼のように見えるのならば自らの心に原因がある事に気づくのじゃ。
この世が極楽に他ならず、全ての衆生が慈悲を以って見られるのならば、それも心に極楽があるからなのじゃ。
人は自らの心にあるものを外に見るのじゃ。
他人が全て敵に見えるならば、自らの心に敵対心が有るのじゃ。
他人に慈悲を施せるのも、自らの心に慈悲があるからなのじゃ。
特に悟りを得なくとも、自らの心に慈悲を起こし、平安を作るならば、全ての世界は慈悲と平安に満ちた極楽になるじゃろう。
極楽はどこか遠くにあるものではなく、自らの心によって作り出すものであり、作り出せるものなのじゃ。
修行者は清らかな心によって自らの心に極楽を作り出すのじゃ。
鬼和尚。
法話、法話!
89 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/06/20(木) 20:34:25 ID:kaXJvxhM0
>>42 お釈迦様はこのように言っておる。
1、ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。
もしも、汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人に付き従う。
車をひく(牛)の足跡に車輪がついてゆくように。
2、ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。
もしも清らかな心で話したり行ったりするならば、福楽はその人に付き従う。
影がそのからだから離れないように。
この言葉の真の意味とその価値を味わうのじゃ。
もしも人がこの世が地獄のような所であり、全ての他人が鬼のように見えるのならば自らの心に原因がある事に気づくのじゃ。
この世が極楽に他ならず、全ての衆生が慈悲を以って見られるのならば、それも心に極楽があるからなのじゃ。
人は自らの心にあるものを外に見るのじゃ。
他人が全て敵に見えるならば、自らの心に敵対心が有るのじゃ。
他人に慈悲を施せるのも、自らの心に慈悲があるからなのじゃ。
特に悟りを得なくとも、自らの心に慈悲を起こし、平安を作るならば、全ての世界は慈悲と平安に満ちた極楽になるじゃろう。
極楽はどこか遠くにあるものではなく、自らの心によって作り出すものであり、作り出せるものなのじゃ。
修行者は清らかな心によって自らの心に極楽を作り出すのじゃ。
お釈迦様はこのように言っておる。
六 先ず自分の身を正しくせよ。次いで他人に教えよ。
七 先ず自己を正しくととのえ、次いで他人に教えよ。
賢明な人は煩わされ悩む事が無いであろうから。
八 自分が他人に教えるとおりに自分でも行なえ。
わたしは常にわが身をよくととのえている。
自分と言う者はまことに制し難いものである。
大抵の者は他人にこうせよ、ああせよと言うが自分はしてなかったりするものじゃ。
言うは易く、行なうは難しとことわざにもあるのじや。
怒りを離れていない者が、他人に怒りを離れよと言っても説得力は無いものじや。
自分が怒りを離れていなければ、他人に教える事は出来ず、また他人も納得しないじゃろう。
自分が苦心して怒りを捨て、もはや心が動く事が無くなれば、そのような境地に至った 事を他人にも教えられるのじゃ。
そのように知識と経験があってこそ他人にも教えられるのじゃ。
修行者はそのように自ら経験し、行った事だけを他人にも教えたらよいのじゃ。
六 先ず自分の身を正しくせよ。次いで他人に教えよ。
七 先ず自己を正しくととのえ、次いで他人に教えよ。
賢明な人は煩わされ悩む事が無いであろうから。
八 自分が他人に教えるとおりに自分でも行なえ。
わたしは常にわが身をよくととのえている。
自分と言う者はまことに制し難いものである。
大抵の者は他人にこうせよ、ああせよと言うが自分はしてなかったりするものじゃ。
言うは易く、行なうは難しとことわざにもあるのじや。
怒りを離れていない者が、他人に怒りを離れよと言っても説得力は無いものじや。
自分が怒りを離れていなければ、他人に教える事は出来ず、また他人も納得しないじゃろう。
自分が苦心して怒りを捨て、もはや心が動く事が無くなれば、そのような境地に至った 事を他人にも教えられるのじゃ。
そのように知識と経験があってこそ他人にも教えられるのじゃ。
修行者はそのように自ら経験し、行った事だけを他人にも教えたらよいのじゃ。
84 :避難民のマジレスさん:2013/07/03(水) 20:52:09 ID:WL2yRwjAO
法話たのむ
85 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/07/03(水) 21:51:07 ID:kaXJvxhM0
自分を見るという事は良く言われているが、実際には多くの者にはとても難しいようじゃのう。
いつも自分を見ているという者も、実は自分のイメージを見ているだけだったりするのじゃ。
人が頭の中で描く自分のイメージは大抵実際の本人よりイケメンで何でもてきるようなスーパーマンみたいなものじゃ。
しかし、実際は鏡を見れば不細工がいて、仕事も全然出来なかったりするのじゃ。
そのような自分の実情を隠すために人は他人には自分の良いイメージを与えようとするの時や。
知識が無いのに知ったかぶりをしたり、自分は有名な誰かに認められたとか言ったりする。
そのような者が自分を見ていない所か、逆に己のイメージの上に、更に他人のイメージを重ね様としているのは明白じゃ。
それは本当に自分を見るという事からは、全く逆の方向なのじゃ。
本当に自分を見ようと決意したならば、真の己がどのようなものであるのか、受け入れる事から始めなければならん。
不細工なら不細工である自分を受け入れるのじゃ。
それから不細工なりに自分を美しく見せる工夫が出来るじゃろう。
不細工を受け入れずに、自分はイケメンと想っていたら、なぜイケメンの己がもてないのか、いつまでもわからないのじゃ。
そのように自らを受け入れる事から、本当の進歩が始まるのじゃ。
どんなに小さく弱く醜くはかない生き物であろうと、本当の自分自身から道を歩いていくしかないのじゃ。
お釈迦様も修行を志したのは、自分がやがて病になり、年老い、死ぬしかない生き物であると気づいて、それを受け入れたからなのじゃ。
誰もがそのような本当の自分から修行を始めるしかないのじゃ。
自らの弱さ醜さ無知を受け入れ、そこから本当の修行の道を歩むのじゃ。
88 :避難民のマジレスさん:2013/07/03(水) 23:27:35 ID:WL2yRwjAO
法話を踏まえて聞きますが鬼和尚はイケメンですかブサメンですか?
117 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/07/04(木) 19:51:16 ID:kaXJvxhM0
>>88 もはや無メンなのじゃ。
己が無いからのう。
161 :口減らし:2013/07/05(金) 12:45:19 ID:wqr.6GRM0
>>117 もはや無メンなのじゃ。
運送業で 無免許?
173 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/07/05(金) 20:37:54 ID:kaXJvxhM0
>>161 無顔面なのじゃ。
法話たのむ
85 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/07/03(水) 21:51:07 ID:kaXJvxhM0
自分を見るという事は良く言われているが、実際には多くの者にはとても難しいようじゃのう。
いつも自分を見ているという者も、実は自分のイメージを見ているだけだったりするのじゃ。
人が頭の中で描く自分のイメージは大抵実際の本人よりイケメンで何でもてきるようなスーパーマンみたいなものじゃ。
しかし、実際は鏡を見れば不細工がいて、仕事も全然出来なかったりするのじゃ。
そのような自分の実情を隠すために人は他人には自分の良いイメージを与えようとするの時や。
知識が無いのに知ったかぶりをしたり、自分は有名な誰かに認められたとか言ったりする。
そのような者が自分を見ていない所か、逆に己のイメージの上に、更に他人のイメージを重ね様としているのは明白じゃ。
それは本当に自分を見るという事からは、全く逆の方向なのじゃ。
本当に自分を見ようと決意したならば、真の己がどのようなものであるのか、受け入れる事から始めなければならん。
不細工なら不細工である自分を受け入れるのじゃ。
それから不細工なりに自分を美しく見せる工夫が出来るじゃろう。
不細工を受け入れずに、自分はイケメンと想っていたら、なぜイケメンの己がもてないのか、いつまでもわからないのじゃ。
そのように自らを受け入れる事から、本当の進歩が始まるのじゃ。
どんなに小さく弱く醜くはかない生き物であろうと、本当の自分自身から道を歩いていくしかないのじゃ。
お釈迦様も修行を志したのは、自分がやがて病になり、年老い、死ぬしかない生き物であると気づいて、それを受け入れたからなのじゃ。
誰もがそのような本当の自分から修行を始めるしかないのじゃ。
自らの弱さ醜さ無知を受け入れ、そこから本当の修行の道を歩むのじゃ。
88 :避難民のマジレスさん:2013/07/03(水) 23:27:35 ID:WL2yRwjAO
法話を踏まえて聞きますが鬼和尚はイケメンですかブサメンですか?
117 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/07/04(木) 19:51:16 ID:kaXJvxhM0
>>88 もはや無メンなのじゃ。
己が無いからのう。
161 :口減らし:2013/07/05(金) 12:45:19 ID:wqr.6GRM0
>>117 もはや無メンなのじゃ。
運送業で 無免許?
173 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/07/05(金) 20:37:54 ID:kaXJvxhM0
>>161 無顔面なのじゃ。