1970年代から80年代初頭にかけて、韓国の詳細な地図が欲しかったのだが、軍事上とか安全保障上の理由でなかなか入手できなかった。ソウルでは鍾閣の交差点、和信の向かい側にあった中央地図文化社でいろいろな地図を販売していたが、地図を購入するためには住民登録証が必要だった。それに、1:50,000の地形図は国外への持ち出しが厳しく制限されていた。


ここでは、1:50,000、1:25,000、1:10,000などの地形図を中心に制作や販売についてまとめておきたい。
◆日本による地形図の作成
1:50,000の「朝鮮地形図」の作成は、日本による朝鮮侵略プロセスの一環として臨時土地調査局の陸地測量部を中心に行われた。
この時の地図制作に関係していた石原俊雄が雑誌『朝鮮』(1924年6月号)、『青丘学叢』(1934年11月)に地図作成の経緯を書き残している。
それによると、朝鮮での三角測量は、1910年6月に着手され、1915年11月に測量が完了した。1915年から1918年にかけて1:50,000地形図620枚が発行され、1916年10月に朝鮮総督府が代理店を官報で公示して一般向けへの販売が始まった。さらに、1917年6月には代理店が追加となり、1:50,000だけでなく、1:25,000、1:10,000、それに特殊図(金剛山・慶州・扶餘・開城)の販売も行われた。

その後、1921年には、1:50,000地形図の22枚が秘図解除となって追加販売されたが、それ以外の80枚以上については、要塞地帯や軍事上の機密ということで一般には販売されなかった。
この地図では、地名や山川名称は漢字で記載されているが、その朝鮮語の読みがカタカナのルビで入れられている。石原俊雄によれば、
行政區劃を測定して、道・府・郡・面の境界を圖示し其の面別面積を算定して、逐次官報に發表し、圖上には、各面より徴した地誌調書により、之を參照して、實地調査の結果、公定名稱は勿論、小部名も山川其の他の名稱も、記入したのである。
とあり、ルビのカタカナは、当時の住民たちの呼び方を反映したものと思われる。

「纛島」1925年測図
上掲の地図の右下にあるように「風納里」に「パラムトリ」、「下風納里」に「アレパラムトリ」とルビが打たれている。これらは、朝鮮語の漢字音ではなく、固有朝鮮語の言い方(いわば訓読)。「アレ」は「아래(した)」で、「パラム」は「바람(風)」、「ト」は「納める(드리다からの派生か?)。このような固有語地名の例は地図内に散見され、20世紀前半までの地名の呼び方としてきわめて興味深い。
「地形図の発行数は年二十万枚」(石原俊雄)ということなので、相当に売れていたものと思われる。指定された販売代理店は大半が日本人もしくは日本人経営の店舗で、日本人社会で主として売買されていたと思われる。ちなみに地形図は一枚10銭で売られていた。今でいうと4・5百円程度だろうか。
◆鍾路図書館の5万分の1朝鮮地形図
1922年1月、パゴダ公園(現在のタプコル公園)の横の旧大韓帝国軍楽隊跡地に、李範昇が京城図書館を開館した。朝鮮人のための図書館として設立された京城図書館は、運営経費の捻出にも苦労する状態であったが、当時販売されていた1:50,000朝鮮地形図620枚と、その後追加で発行された地図を買い入れた。
1926年、京城図書館は経営難から京城府に譲渡されることになり、4月1日に「京城府立図書館鍾路分館」として再スタートした。この時に、所蔵されていた1:50,000地図も鍾路分館に引き継がれた。
解放後、1945年10月に李範昇はソウル市長に就任した。12月に京城府立図書館鍾路分館はソウル市立鍾路図書館となった。その後、1968年に鍾路図書館は社稷壇の北側の現在位置に移転した。
ソウル市立鍾路図書館に現存する1:50,000地図には、鍾路分館の所蔵印と1926年(大正15年)4月1日(分館として引き継がれた日)の受け入れ印が押されている。

鍾路図書館所蔵の1:50,000地形図は633枚あり、国史編纂委員会が鍾路図書館と協定を結んでデジタル化した。2009年に、日本で学生社が1981年に影印出版していた『朝鮮半島五万分の一地図集成』からデジタルデータ化した89枚の地図を補充して、全722枚の地図を公開している。
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国史編纂委員会「韓国近代地図資料」
◆スタンフォード大学所蔵の朝鮮地形図
日本の敗戦後、連合軍が進駐して来るまでに多くの地図が焼却されたり廃棄されたが、それでもアメリカ軍は日本国内や「外邦図」と呼ばれた「外地」の地図を接収した。また、連合国総司令部は1947年に陸地測量部が作成した「外邦図」のすべてについて50部の提出を求めたとされる。それらが、現在、日本国外の機関に残されている。
スタンフォード大学では、フーバー研究所からブラナー地球科学図書館の地下に移されていた陸地測量部が作成した大量の地図が、2008年に偶然発見された。
その後、それらの地図のデジタル化と整理が進み、1:50,000と1:25,000の地図がデジタル公開されている。ただし、5万分の1地図についてはかなり欠けている部分が多い。
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[朝鮮] 五万分一地形圖
[朝鮮] 二万五千分一地形圖
敗戦時に接収されたこともあって、ほとんどが昭和に入って修正測図されたものである。「京城」は1937年修正測図となっている。国史編纂委員会の地図とは異なる版である。

また、「仁川」については、1927年修正測図、1932年改版、1936年発行となっており、参謀本部発行で軍事極秘に指定されている。

◆韓国国立中央図書館の1万分の1地図
1985年に、柏書房が『朝鮮総督府作成 一万分一朝鮮地形図集成』を出版した。1915年測図1917年製版のものと、1921年修正測図のものとが収録されている。

どのような経緯があったのかわからないが、この復刻版の地図が韓国の国立国会図書館でそのままデジタル化されてインターネット公開されている。ただ、解像度の関係で細かい字がつぶれてしまっており、復刻版で確認する必要がある。
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一万分一朝鮮地形図集成
◆解放直後の地図 1945年9月6日にアメリカ軍は仁川に上陸した。9月9日にアメリカ軍が朝鮮総督から朝鮮の行政権の委譲を受けたとして、米軍政庁が朝鮮の統治を始めた。米陸軍では軍の地図局長の指示で「KYONGSONG OR SEOUL(KEIJO)」という地図が編纂されている。

地図の左上の注記には、地図制作には以下の資料が使われたと記されている。
- 京城 1:10,000、陸地測量部 1917
- 朝鮮 1:25,000、陸地測量部 1920 京城、纛島、牛耳洞、北漢山
- 永登浦 1:10,000、日本陸地測量部 1918
- 航空写真 アメリカ空軍 1944年12月
- 航空写真 アメリカ空軍 1945年1月
- 航空写真 アメリカ空軍 1945年1月
- 京城市地図 1:7,500 朝鮮総督府1937.
- 龍山 1:7,500 朝鮮総督府 1929.
- 京城 1:50,000、日本陸地測量部、1932.
- 大京城地図最新版 1:25,000 1939.
- 最新朝鮮地図 1:1,000,000、大阪毎日新聞社 京城 1:40,000 1937
- 情報部データ
使用された地図資料に年代的なバラツキがあり、1945年当時の地理情報としては明らかな誤りも見受けられる。ただ、地名の読みが朝鮮語はMcCune-Reischauer方式、日本語表記(括弧内)はヘボン式によって記載されており、当時の地名の呼称(特に日本語の)を知ることができる。
この地図は、現在テキサス大学のペリー・カスタニェダ ライブラリー 地図コレクションで公開されている。
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KYONGSONG OR SEOUL(KEIJO)
◆大韓民国での地図作成
1948年に大韓民国が建国されたが、韓国で地図制作が本格的に始まったのは、朝鮮戦争が休戦になった後、1958年に国防部地理研究所が設立されてからのことである。朝鮮戦争の時には、植民地時代に作成されていた各種の地図が軍事地図として用いられたものと考えられる。
1962年には国立建設研究所が設立され、航空写真測量を取り入れた地図制作に着手した。そして1972年に1:50,000地形図集の『全国地図』が出版された。3巻ものの地図集には、上巻に119枚、中巻に117枚、下巻に130枚の地図が収められている。地図の区切りは、植民地時代の陸地測量部の地図と同じである。

出所:ソウル歴史アーカイブソウル>地図>近現代地図>全国地図
1974年に国立地理院が発足し、1975年に全4巻、計239枚の「新版1/50,000基本圖地圖帖」が発行された。この地図が、韓国の国土情報についての基本的な地図とされた。

出所:ソウル歴史アーカイブソウル>地図>近現代地図>全国地図
その後、1982年には1:5,000地図の販売が始まった。

1枚700ウォンの詳細な地図で、購入にあたっては「住民登録証」と「用途の提示」が必要だった。
その後、モータリゼーションの発達や外国人観光客の増加で、詳細な道路地図や観光地図などが必要になったためであろう。地図の管理は大幅に緩和され、使用範囲が広まった。
手元の地図資料で見ると、1986年に「国立地理院発行1:5,000・1:25,000基本図を基図に使用」した『観光案内 ソウル』という地図冊子が発行されている。

また、1995年に出版された『全国道路地図』でも、国立地理院の承認を得て1:5,000・1:25,000・1:50,000基本図を使用したことが明記されている。

◆(付録)インターネット時代の地図
この頃からインターネットの時代になっていくのだが、当初は有線LANで回線速度も遅く、パソコン画面で地図情報を投影するのもなかなか難しかった。
2005年にGoogleが地図情報を無料で提供し始め、韓国でもネイバーやダウムが電子地図の提供を始めた。2007年にはcongnamul.comがソウル市内のバスルートの検索システムの提供を始めた。congnamul.comは、2003年にすでにカカオの傘下に入っていた。

이투데이 2007-03-23より
2008年にiPhoneが発売されて、本格的なスマートフォン時代が始まると、ネイバー(map.naver.com)とダウム(local.daum.net)の間で「マップ戦争」と呼ばれた激しい利用者獲得競争が起きた。


ストリートビューの提供もこの頃に始まった。現在、全ての場所ではないが、2008年〜09年からの過去のストリートビュー画面を遡及閲覧できる。
ダウムマップは、2019年2月25日にカカオマップに一元化され、現在は、
などが主流となっている。
日本語表記ならばコネストの地図が使いやすい。
紙の地図が購入できるところをネット上で探してみたが見つからなかった。
冒頭の「中央地図文化社」は、2015年の写真がネット上に残っている(뿌리와새싹 : 네이버 블로그)が、現在は「오목집」という食堂になっている。

また、乙支路3街の地下商街にあった地図専門店も2017年に閉店したという(AMATEUR SEOUL)。
大型書店に行けば、冊子になった地図帳などは売られていると思う。しかし、国土地理情報院の国家空間情報ポータルなどから取得できるようなので、紙の地図の需要はほぼ無くなりつつあるのだろう。
ただし、国家空間情報ポータルは韓国国内の携帯電話番号がないとユーザー登録ができないため、残念ながらこのサイトのデータの詳細は不明…。