現在の漢南洞の大統領官邸は、2022年に外交部長官公邸を改修したもの。
もともとの外交部長官公邸は、1968年に檀国大学の北側に建設された。当時の長官は崔圭夏。「ソウルの春」の時の大統領である。この公邸周辺には、その後国防部長官や参謀総長の公邸などが建てられた。大法院院長や国会議長の公邸もここにある。
写真は1981年の檀国大学全景。大学院・学生会館の向こう側がこの公邸地区になっている。
1960年代末から1970年代にかけて、この漢南洞一帯には外国人向けの住宅が建設された。公邸の向かい側には漢南外人住宅、漢江側にはUNビレッジとヒルトップ外人APT、南山中腹には南山外人APTが建てられた。
さらに、1968年1月の北の武装工作員のソウル侵入が契機になって、南山のトンネル建設が計画され、1969年3月に着工、1970年8月に1号トンネルが開通した。また、1969年には第3漢江橋、現在の漢南大橋が開通した。この橋は京釜高速道路の取り付け道路とつながっていて、漢南洞はソウルから南に下る交通の要衝ともなった。ただ、公邸街は漢南洞のメインストリートから一歩裏手にあり、入り口のゲートも漢南小学校の横にひっそりとあって、日頃はほとんど目立たない、そんなエリアだった。
1979年12月12日に、全斗煥保安司令官が陸軍参謀総長鄭昇和を逮捕するため保安司令部の憲兵隊を向かわせ、公邸警備の海兵隊部隊との間で最初の銃撃戦が起きたのがこのエリアである。映画「ソウルの春」では、銃声を聞きつけた国防部長官が大通りに出てタクシーを捕まえて逃げ出す場面がある。国防部長官がタクシーに乗り込むのは漢南路のこのゲート前という設定である。
ちなみに、 檀国大は1990年末に龍仁に移転し、現在その跡地は漢南ザ・ヒルAPTになっている。南山外人アパートは1994年に2棟とも爆破撤去され、漢南外人住宅は民間に払い下げられてナインワン漢南APTになった。UNビレッジやヒルトップAPTも韓国人の富裕層の住宅になった。周辺の環境は大きく変わったが、公邸エリアはそのままだった。
2022年に大統領に当選した尹錫悦は、5月の就任に先立って3月に大統領執務室を、青瓦台から三角地の国防部のビルに移すと表明した。
大統領官邸も、青瓦台から漢南洞の公邸エリアに移されることとなり、当初は陸軍参謀総長の公邸を大統領官邸に改修して使用することになっていた。しかし、就任1ヶ月前になって、急遽外務部長官公邸を大統領官邸に改修することが決定された。漢南洞の公邸エリアを事前視察した金建希夫人が、外務部長官公邸をみて「こっちがいい」と言ったので…という説もささやかれた。
結局、尹錫悦大統領は、漢南洞官邸の改修工事が完了するまで約1ヶ月間、瑞草洞の私邸から三角地の大統領執務室に通勤した。
2024年12月3日夜、尹錫悦大統領は突如非常戒厳令を宣布した。しかし、深夜の国会での解除要求決議案の可決を受けて翌日午前5時に非常戒厳令を解除した。その後、国会では尹錫悦大統領の弾劾訴追決議案が可決された。さらに、高位公職者犯罪捜査処(公捜処)の任意の事情聴取の求めに応じなかったとして、現職の大統領として初めての逮捕状が出された。その逮捕状の執行をめぐって、2024年から25年の年末年始、漢南洞公邸エリアの外郭警備にあたるソウル市警は、公邸エリアへのゲートを中心に厳戒態勢をとった。
1月3日午前中に、公捜処の検事と支援の警察部隊が公邸エリアに入り、大統領官邸で逮捕状を執行しようとしたが、大統領警護処とエリア内の警備を担当する首都防衛司令部55警備団が阻止線を引いて、結局午後1時30分に逮捕状執行を断念して公捜処と警察部隊は公邸エリア外に出た。
映画「ソウルの春」のような発砲を伴うような衝突が、また再び漢南洞で繰り返される…そんなことはないと思いつつも、やっぱりあの場面が思い起こされて…という人は少なくないと思う。あの映画が、大統領の身柄拘束をめぐってある種のブレーキの役割を果たしているのだろうと思う。
このブログを書いている1月7日午後8時現在では、そのまま膠着状態が続いている。
漢南洞の公邸ゲート前の状況は、ソウル市の交通情報用のCCTVからリアルタイムで見ることができる。ゲートの内側の状況はわからないが、現場の雰囲気をある程度は把握できる。





