1980年代のソウル。昌徳宮の敦化門の向かい側の路地を入っていった最初の角の右側に雲堂旅館の大門があった。
私が最初に泊まった1970年代の半ばには、大門を入ってすぐ右に、バストイレ付きの特室があり、さらに奥に進むと3畳ほどの小部屋が両側にずらっと並んでいた。各部屋の前に幅の狭い濡れ縁と練炭の焚き口があり、冬はそれでオンドルを炊いてくれる。ゴムシンが置いてあって共同のトイレに行く時はそれを履いて行く。朝食は一人用の膳にご飯にスープ、それに小鉢がずらっと並んだ豪華なものが出てきた。
雲堂旅館のオーナーは、伽倻琴の名手で人間文化財にもなった朴貴姫(本名吳桂花)。朴貴姫は、1921年に慶尚北道漆谷で生まれ、10代の時から名唱に唱を学び、解放後、国楽の普及・発展に貢献し後身の育成にも熱心だった。1960年には石串洞にソウル国楽芸術学校を建てている。
朝鮮戦争が停戦になった後、朴貴姫は鍾路区雲泥洞の韓屋を1億2千万ウォンで買い取った。朝鮮王朝時代から、敦化門前から鍾路に向かう道の左右の雲泥洞・臥龍洞には内官(内侍)が多く住んでいた。内官とは、王や王妃の最側近に侍る役職の宦官で、邸宅を下賜され王宮の門外に住居を与えられていた。朴貴姫は、そうした雲泥洞の屋敷の一つを改修して自宅兼国楽教授場とし、東側の部分を「雲堂旅館」と名付けて旅館業を始めた。さらに、1974年には純宗皇帝の皇后尹氏の貞陵別荘を買収して建物を雲泥洞に移築して旅館の規模を拡大した。この雲堂旅館では1958年以来、韓国棋院が主催する国手戦・名人戦・棋王戦など囲碁や将棋の大会の決勝対局が行われ、雲堂旅館は格式ある韓屋の旅館として有名になった。
雲堂旅館は、在日韓国人や日本人の利用も多かった。特に韓国をフィールドとする研究者の利用が多かった。1982年にソウル大学大学院に留学中だった李良枝が中上健次に出会ったのもこの雲堂旅館。1985年の新年特別号で一冊丸ごと韓国特集をやって話題になった『平凡パンチ』の取材の第一陣が泊まったのもこの雲堂旅館だった。
1985年出版の『韓国グラフィティ』(みずうみ書房)では、イラスト入りで紹介されている。
ところが、1989年3月、朴貴姫は1960年に自身が設立したソウル国楽芸術高等学校に雲堂旅館を寄贈した。芸術高校は、雲堂旅館の敷地をオフィステル建設業者セウォン産業に売却し学校施設拡充の資金にすることにした。雲堂旅館は営業を終了することになった。
当時、文化広報部の高位官僚で朴貴姫の国楽普及活動の理解者でもあった金東虎が映画振興公社の社長に就任し、南楊州に40万坪の土地を購入して総合撮影所を建設しようとしていた。雲堂旅館売却の新聞報道が出るとすぐに金東虎が動いた。セウォン産業の朴社長と朴貴姫と交渉して、雲堂旅館本館と貞陵別荘から移築した建物を買い取って総合撮影所に移すことにした。解体された資材は、京畿道九里市の東九陵の敷地で保管され、3年後に南楊州総合撮影所で復元工事が始められ1993年11月に完成した。(「金東虎が残したい話〈12〉」『中央サンデー』2022.07.16)
この旧雲堂旅館の建物では、イム・グォンテク監督の映画「酔画仙」(2002)や「スキャンダル」(2003)「王の男」(2005)「ファン・ジニ」(2007)などが撮影された。
2013年に公共機関の地方移転にともない、映画振興委員会(旧映画振興公社)の釜山移転が決定すると南楊州総合撮影所も釜山に移転されることになり、2018年5月で南楊州総合撮影所の一般公開を終了した。ところが、撮影所の釜山移転は計画通りには進まなかった。そのため、2020年1月に南楊州総合撮影所を再び映画撮影のために運営することになった(YTN20202020年01月09日)。
その一方、建設計画が大幅に遅れていた機張郡の釜山撮影所の建設計画が昨年末にやっと動き始め、今年3月に着工して2026年9月に竣工予定と報じられた(KBS釜山映画撮影所、来年3月に着工)。釜山撮影所の完成後、南楊州の既存施設がどうなるのかは今のところわからない。
2023年の航空写真で南楊州総合撮影所を確認すると、「JSA」の撮影で使われた板門店休戦会談場のセットも、その左側の「雲堂」の建物もそのまま残されている。
韓国映画振興委員会のWEBサイトの施設案内にも南楊州総合撮影所の案内がそのまま掲載されている。
雲堂旅館がなくなってから、建物もなくなったものだと思っていた。南楊州の撮影所の共同警備区域のセットは大いに話題になってその存在は知っていたが、「本物の方をちょくちょく見に行ってるので行かなくていいや」とパスしていた。そのそばに雲堂旅館の建物があったとは思いもよらなかった。あの頃行っておけば…。ただ、私が泊まっていた使用人の小部屋が並んでいるような旅館が復元されているわけではなさそうなので、行っていても気づいたかどうかわからない。
ただ、ここまで調べたら何か昔の雲堂旅館を思い起こさせるものが残っているような気もする。建物が残っているうちに一度は行ってみたいものだと思っている。