光化門前の線路 | 一松書院のブログ

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  • 光化門クァンファムンの前
  • 解放後の路面電車
  • ジョンソン米大統領の訪韓

 

 2023年3月7日付のソウル新聞サイトに、光化門前の埋蔵文化財発掘現場で、1917年から1966年まで運行されていた路面電車の線路が姿を現したニュースが掲載されている。

https://www.seoul.co.kr/news/newsView.php?id=20230307010013

 ソウル市と文化財庁は、2022年9月から光化門歴史広場造成事業のため、埋蔵文化財の発掘調査を進めているという。

 

  光化門の前

 朝鮮王朝末期のソウルの光化門の前には、議政府や吏曹(人事)・戸曹(戸籍財政)・礼曹(外交)・兵曹(軍事)・刑 (司法)・工曹(土木営造)の六曹など、主要な官庁が立ち並んでいた。

 

首善全圖(1864)

 

 1910年の日本によって大韓帝国が併合されると、日本の歩兵隊や憲兵隊が駐屯し、逓信局や京畿道庁がここに置かれた。

京城府明細新地圖(1914)

 

 1918年修正の京城の地図には、鍾路チョンノから分岐した路面電車の線路が光化門の前まで描かれている。

 

 この路線は、光化門と景福宮キョンボックン勤政殿クンジョンジョンの間に朝鮮総督府庁舎を建設するということで、昌信洞チャンシンドンの採石場から貨物電車で石材を運ぶために路線延長されたもの。昌信洞側でも採石場まで路線延長されている。今、夜景が綺麗なスポットとされて洒落たカフェができているあの昌信洞チャンシンドンである。

 

 その後、路面電車は景福宮の西北側の孝子洞ヒョジャドンまで延長され、南側は南大門ナムデムンまで延長されて既存の路線に繋げられた。

 

 下の写真の右側には、運搬されてきた石材が置かれており、左側の孝子洞までの線路上を走る電車が写っている。

 

 

 光化門の撤去移設工事が始まるのは1926年7月からなので、この写真はそれ以前の撮影であろう。1929年8月に、総督府前・安国洞アングットン間の路線が開通して、光化門があった場所の前でY字に分岐することになった。

 

 日本の植民地支配が終わった1945年には下のような路面電車の路線が光化門の周りに敷設されていた。

 

京城電気沿線御案内 京城電気株式会社(1929)

 

1万分の1地形図(1936)

 

  解放後の路面電車

 日本による植民地支配が終わって米軍政庁の統治が始まり、引き揚げで日本人職員が去った中でも電車は運行されていた。

 

Time LifeのJohn Florea撮影(1947年5月) 旧総督府前を走る電車が写っている
 

 大韓民国が建国されてからも、そして朝鮮戦争中から休戦後も、ソウルの路面電車は、重要な交通手段として利用されていた。

 

 

 1960年4月の李承晩大統領の不正選挙に抗議するデモ隊は、光化門から孝子洞に向かう線路にそって大統領官邸の景武台に迫った。孝子洞の電車の終点で警察とデモ隊の激しい攻防戦が展開された。発砲命令が出され、多数の死傷者が出た。李承晩大統領は退陣を余儀なくされ、ハワイへと脱出した。

 

 1966年、金玄玉キムヒョノクソウル市長のもとで、光化門から南大門方面に向かう世宗路セジョンノと鍾路の交差点である光化門交差点で地下道建設計画が持ち上がった。地上から開削するこの工事のため、孝子洞ー南大門、鍾路ー西大門ソデムンの2路線の路面電車は運休することになった。その後路線の廃止が決定し、線路と枕木の撤去と舗装工事が行われることになった。

 

 

 ところが、5月になって、電車の従業員の受け入れや待遇問題、それに電車の代わりのバスの運行問題などで、ソウル市側と政府側の調整が難航し、線路の撤去工事は保留になった。

 

 

 その後、路面電車の線路の撤去作業は始まったが、10月の初めには、一部の線路を観光用として残してはどうかという話も報じられている(『京郷新聞』1966年10月6日)。徐々に撤去工事が始まっていたようだ。

 

  ジョンソン米大統領の訪韓

 この頃、ベトナム戦争に積極介入を始めていたアメリカのジョンソン大統領の韓国訪問が現実味をおびてきていた。韓国は1964年9月に、医療部隊とテコンドの指導者を送り込んだのを皮切りに、ベトナム戦争に多くの戦闘部隊を送り込んだ。

 

 ジョンソン訪韓日程は11月1日から3日になった。朴正煕パクチョンヒ政権は、大々的な歓迎行事を準備した。そのハイライトの一つが、ソウル市庁シチョン前の歓迎行事から、中央庁チュアンチョン(旧朝鮮総督府)までの世宗路パレードだった。

 

ハイライトは、中央庁前のパレード
市庁前の市民歓迎大会が終わった後、市庁前から中央庁正門まではブロードウェイ式の紙吹雪パレードが行われる。これはこの日の歓迎のハイライトになる。
陸・海・空三軍の軍楽隊を先頭に、貴賓車両だけが参加するこのパレードは わずか1キロの距離を25分かけて行うもので、数十万の紙吹雪に風船、そして鳩が舞う。中央庁の正門では、300人の女学生がローソクをかざして迎える。

 このため、中央庁前で進められていた枕木と線路の撤去作業は中断されて、急遽線路や枕木を残したまま舗装されることになった。

 

 今回の発掘作業を報じたソウル新聞の写真で、Y字側の接続部分を拡大すると、安国洞に向かう線路は枕木しか残っていないし、孝子洞に向かう側でも枕木しか残ってない部分と線路まで残っている部分がはっきりわかる。

 

 「大韓ニュース第595号」には、この時のジョンソン大統領歓迎パレードの様子が残っている(音声なし。世宗路のパレードは6分2秒から)。

 

 この動画の6分31秒から現在のアメリカ大使館の建物が背後に写っている。この当時は、この建物はUSOM(米韓経済協力委員会)が使っており、アメリカ大使館は旧三井物産京城支店(後のアメリカ文化院、現 クレベンミュージアム 그레뱅뮤지엄)にあった。

 

 そうした経緯があってのことであろう。ジョンソン米大統領の帰国直後の韓国の国会の監査委員会で、この埋め戻しを野党が「1,000万ウォン相当の線路と枕木を死蔵させた」と問題視している。

 

 


 

 今回、2022年からの発掘調査でひょっこり顔を出した路面電車の線路。この線路は、近代の日本による侵略の歴史を物語るだけではなく、現代韓国の歴史を物語る貴重な証言者なのだ。

 

(2023年3月15日14:15 総督府前ー安国洞間の電車線路の記述を修正しました)