「南山の部長たち」(3)マクサとシーバスリーガル | 一松書院のブログ

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映画「南山の部長たち」にまつわる話をいくつかご披露。
第3弾の今回はお酒。

 

 

 マッコリは、米や小麦などの穀物を蒸して麹と水を混ぜて発酵させて作る。発酵が終わった酒を濾過して酒粕を除いた透明な酒が清酒で、酒粕が一部含まれている濁った状態のものがマッコリ。韓国の酒税法上では、アルコール13度未満は薬酒、14〜25度で酵母の含有量が1%以下が清酒に分類される。マッコリの中でも、まだ発酵し続けていて米粒が浮いた状態のものはドンドン酒と呼ばれる。

 (『京郷キョンヒャン新聞』2016年9月19日余滴「マッコリの変身」より)

 

 

 私は、1976年に厚岩洞フアムドンから南山ナムサンにちょっと上がったところの店で、床下のカメからすくったマッコルリを飲んだ。たいしてうまくなかった。

 

 実は、私が初めて飲んだこの時期は、米でマッコリを作るのは禁じられ、小麦ととうもろこしを原料として作られていた。私が飲んだのもその手のマッコリだったのだろう。1960〜70年代の韓国は、米不足が深刻だった。

 

 1977年になって、朴正煕パクチョンヒ政権は米のマッコリの醸造を認めるという方針を打ち出した。11月8日の『東亜トンア日報』の1面トップは、このマッコリの記事である。いかに待ち焦がれていたかがわかる。しかし、まだ米不足が解消していたわけではない。独裁政治への民衆の不満解消という政権の思惑もあったのだろう。

米のマッコリ 14年ぶりに復活

来年1月から販売

 

 

 米のマッコリが禁じられたのは1964年。1月24日付の『朝鮮チョソン日報』は、朴正煕が提唱した「糧穀節約汎国民運動」について、このように書いている。

結婚式のお返しにお菓子や夕食を振る舞ってはいけない。マッコリや薬酒を醸す時は米を混ぜてはいけない。列車食堂では「パン」しか食べられず、クッパなど汁物飯には1割以上の麺が入る。一般家庭でもできるだけ粉食と代用食にする。それがこの「運動」だ。

 これによって、米を使ったマッコリの製造が禁じられ、マッコリの原料である米麹の製造もできなくなった。マッコリは、小麦粉80%、とうもろこし20%で醸造された。

 

 

 米のマッコリを禁じた朴正煕大統領だが、実はマッコリを好んだ「マッコリマニア」だったといわれている。

 映画「南山の部長たち」でも、朴正煕がマッコリを飲む場面が出てくる。

 

 マッコリにサイダーをそそいで飲む「マクサ(막걸리+사이다=막사)」の場面が話題にもなった。

 

 

 ここでの大統領のセリフは、

우리 오랜만에 막사나 한잔할까?
이게 막걸리와 사이다의 비율이 중요해.

・・・・
예전 같지 않구만..

久しぶりにマクサでも一杯やるか

これは、マッコリとサイダーの比率が重要だ

・・・・

昔の味じゃないな

 「比率が重要」などと講釈をたれてはいるが、「久しぶり」と言っているから、すでにマッコリにサイダーを入れて飲んだりはしてなかったという設定だ。そして、一口飲んでみてのセリフは「昔の味じゃない」。

 その後に、軍隊での話が出てくる。朴正煕が第5師団長になるのは1955年7月。そのあと金載圭が第36連隊長になっている。まだ、クーデター前の話である。

 

 朝鮮戦争直後の物不足で貧しい時代。不味いマッコリしかない時代には、師団長や連隊長でもサイダーを入れて飲んだりしていたのか。小麦やとうもろこしのマッコリしか飲めないようにしてしまって、大統領自身もマッコリにサイダーを入れて飲んだりしてたのか…などと思った。

 

 ところが、朴正煕は自分だけは米で醸した特製のマッコリを飲んでいたのである。

 

 2009年10月15日の中央チュンアン日報電子版に、「朴正煕大統領がサポートしてくれたマッコリ」というタイトルの記事がある。釜山プサン金井山城クムジョンサンソン東門トンムンハルモニの米麹マッコリがお気に入りだった朴正煕が、「伝統酒をたやしてはいかん」と特別に米で作ることを認めてくれ、この集落では、朴正煕は恩人だとされているというのだ。さらに、このマッコリをKCIAの要員が秘密裏に大統領官邸に運んでいたという。

 

 また、2011年10月26日入力の『韓国経済マガジン』には、「朴正煕大統領のマッコリ、味見しますか?」という記事がある。

 高陽コヤン市のペダリマッコリのパクサンビン社長のインタビューをもとにした記事で、1963年8月の幸州山城ヘンジュサンソン大捷碑竣工式で、当時国家再建最高会議議長だった朴正煕に初めて自社のマッコリを提供したという。米麹のマッコリである。その後、週末に金玄玉キムヒョノクソウル市長などと漢陽ハニャンゴルフ場でゴルフをした帰りに立ち寄ってはマッコリを飲んだという。

 青瓦台にも定期的に納品しており、青瓦台御用達のマッコリを作るためだけの特設の醗酵室が設けられていたという。

 

 「マッコリマニア」といわれ、しかも自分だけは米麹から作られた上等で美味しいマッコリを飲んでいた大統領が、果たしてそのマッコリにサイダーを入れて飲んでただろうか。

 

 1970年代から80年代には、貧乏学生や軍部隊の兵隊が、安くてまずいマッコリを飲むときにサイダーを入れていたという。安物のマッコリは炭酸のシュワシュワ感がなく甘味もないためだ。

 朴正煕も、大統領になりたての60年代には、地方の農村視察などで、一般大衆が口にするマッコリを飲まざるを得ないこともあっただろう。そういう時には軍隊時代にやっていたようにサイダーを入れて飲んでみせることもあったのではなかろうか。

 

 上述の『京郷新聞』の「余滴:マッコリの変身」(2016年9月19日)記事では、このようにまとめている。

막걸리는 대중적인 술이다. 박정희 전 대통령은 맥주(비어)에 막걸리(탁주)를 섞은 ‘비탁’, 막걸리와 사이다를 섞은 ‘막사’를 즐긴 서민 대통령으로 알려져 있다. 그러나 쌀을 원료로 한 막걸리를 금지해 시민에게 밀막걸리를 마시게 했던 대통령 자신은 10년 넘게 특별 제조한 쌀막걸리를 마셨다. 게다가 죽기 전 술상에는 양주가 놓여 있었다. 막걸리가 연극정치의 도구로도 이용된 것이다.

 

マッコリは大衆的な酒である。朴正煕元大統領は、ビール(비어)にマッコリ(탁주)を混ぜた「ビタク(비탁)」、マッコリ(막걸리)とサイダー(사이다)を混ぜた「マクサ(막사)」を好んだ庶民大統領として知られている。しかし、米を原料としたマッコリを禁止して市民には小麦のマッコリを飲ませた大統領自身は、10年以上特別に製造した米マッコリを飲んでいた。それに、撃たれた時のテーブルには洋酒が置かれていた。マッコリは劇場政治の小道具として使用されたのだ。

 

 確かに、事件後の本人立ち合いの現場検証写真にはウイスキーの瓶が写っている。
 

 

 映画でも同じウイスキーの瓶が置かれている。

 

 

 これはシーバスリーガル。あの時代に韓国で人気の洋酒といえば、ジョニーウォーカー、ジョニ黒とかジョニ赤だったが、この事件現場の写真が公開されて以降、シーバスリーガルが一番人気になった。輸入洋酒は市販などされていない。しかし、政権幹部や財界にはルートがあるし、お金さえあれば闇ルートで何でも手に入った。一般庶民には手の届かない特権階級でのシーバスリーガル人気の話である。


 1997年12月11日の『朝鮮日報』は、事件現場の現場検証時の詳細なスケッチを掲載している。それには、シーバスリーガル(下図の)は描かれているが、マッコリは描かれていない。サイダーやヤカンもない。

 

 上述の『韓国経済マガジン』では、事件当日にも高陽のペダリマッコリは青瓦台に配達されていたと朴サンビン社長は語っている。このペダリマッコリは、事件前に厨房の外で警護官と運転手が飲んでいたという。

 

 

 今の「マクサ」は、2008年あたりから始まった「流行りの飲み方」ではないかと思う。

 その後、マッカリにソジュ・サイダーを入れた「マクソサ:막소사」などに発展した飲み方で、朴正煕の時代のマクサとは別系統なのではないかと思う。

 

 マクサの「マッコリとサイダーの美味しい比率は…」などと究極の追求をしてみるのも一興だろうが、やっぱり本当に美味しいマッコリはサイダーやビールなど入れない方が絶対に美味しい。

 

 1980年代の民衆の写真を見ても、マッコリはサイダーで飲むものではなく、勢いで飲むものだったと思う。