【こぼれ話】ソルロンタン | 一松書院のブログ

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 1920年代の京城で、ソルロンタンは出前だけでなく持ち帰りもあった。玄鎮健の「運のよい日」(『朝鮮短篇小説選〈上〉』岩波文庫 1984)にソルロンタンを持ち帰ったが女房が死んでしまっていた…という話が出てくる。

 

발로 차도 그 보람이 없는 걸 보자 남편은 아내의 머리맡으로 달려들어 그야말로 까치집 같은 환자의 머리를 꺼들어 흔들며, 

“이 년아, 말을 해, 말을! 입이 붙었어, 이 오라질 년!”

“…”

“으응, 이것 봐, 아무 말이 없네.”

“…”

“이년아, 죽었단 말이냐, 왜 말이 없어.”

“…”

“으응. 또 대답이 없네, 정말 죽었나버이.”

이러다가 누운 이의 흰 창을 덮은, 위로 치뜬 눈을 알아보자마자, “이 눈깔! 이 눈깔! 왜 나를 바라보지 못하고 천정만 보느냐, 응.”하는 말 끝엔 목이 메었다. 그러자 산 사람의 눈에서 떨어진 닭의 똥 같은 눈물이 죽은 이의 뻣뻣한 얼굴을 어룽어룽 적시었다. 문득 김 첨지는 미칠 듯이 제 얼굴을 죽은 이의 얼굴에 한테 비비대며 중얼거렸다.

“설렁탕을 사다놓았는데 왜 먹지를 못하니, 왜 먹지를 못하니... 괴상하게도 오늘은! 운수가 좋더니만... ”

 

 車夫の金僉知キムチョムジが、どのようにしてソルロンタンを家まで持ち帰ったのかは書かれていない。汁物だから器に入れて持ち帰るのだろうが、どんな器を使っていたのか…

 

 配達についても、どのような器で運んでいたのかがわからない。
 配達には自転車を使っていた。時折、配達途中に自動車や電車と事故を起こしてはそれが新聞記事になっていた。日本の蕎麦屋の出前のようにオボンを肩に乗せ、片手で自転車のハンドルを握っていたのだろうか。他の飲食の配達—漢江通で電車にはねられた配達夫の記事—には、そのような記述が見られれる。
 さらに、ソルロンタンの配達人は、配達先で料金を受け取ることになっていた。多分、歩合制であったのであろう。料金の支払いを巡って客と揉め事を起こしている。それも徒党を組んで…。

 上の記事では、1934年4月25日に、2箇所で集団襲撃事件が起きたと報じられている。

 いずれも、京城のソルロンタンの老舗「里門ソルロンタン」の配達員が起こしたとされる。一件目は、公平洞の「京一自動車」の運転手が出前のツケの料金を払わないと配達員が集団で押しかけて起こした事件。もう一件は、貫鉄洞の東亜旅館で出前に行った配達員が料金の支払いをめぐって仲間を集めて乱闘になったという事件。

 さらに、その翌年にも、鍾路4丁目の梨南屋のソルロンタン配達員が、仁義洞の三和洋装店の主人のところに集団で押しかけて金を払えと脅したという事件があったと報じられている。このときには、梨南屋の経営者も警察に呼び出されている。

 

 それで思い出したのが、1999年の韓国映画「アタック ザ ガスステーション(주유소 습격사건)」(1999-10)のこの場面。自転車はオートバイになり、アルミのおか持ち(チョルカバン=鉄カバン)で出前をするようになったが、「配達夫ペダルクン」の彼らは仲間を集めて戦っていた。 1930年代と同じように。

 

 配達員は悪いことばかりしていたと報じられていたわけではない。

 1934年7月、安国洞の大昌屋で、ソルロンタンを食べて、出て行くときに店の金庫を盗んだ少年がいた。これに気づいた店の配達員が自転車で追跡した。盗んだ少年は、タクシーに乗って総督府前から南大門通を京城駅方面に向かったが、それを配達員たちが自転車で必死で追いかけた。途中で見失ってしまったが、その少年を乗せたタクシー運転手の証言で京城駅でおりたことまでは判明した。そこから高飛びしたものと思われるという記事だ。だが、大昌屋で働いていた元従業員などを中心に犯人の調べを進めているとあって、配達員は盗人を追っかけても疑われる存在であった。

 ソルロンタン配達員というのは、「堅気の仕事」とは見なされていなかった。行き場のない人の行き着く先というイメージもあった。留置場にいれば飯が食えると犯罪を犯す青年を、警察がソルロンタン屋の配達員として就職させた話が「美談」として紹介されている。

その一方で、ソルロンタンの配達員がすりや窃盗で捕まるという報道記事も見られる。

 下の記事は、仁寺洞の寺洞屋の配達員が、ソルロンタンの出前先で服や靴を盗んでいたという事件を報じたものだが、その犯行現場は、雀荘やビリヤード場だったという。つまり、麻雀をしたりビリヤードをしたりしながら、ソルロンタンの出前を頼んで、それをかき込みながら遊び続けていたということ。ソルロンタンとは、そのような食べ物だったということで、当時の人々のソルロンタンイメージがわかる感じがする。

 

 さらに、留置場や取り調べのときに食べるのもソルロンタンだったらしい。日本だと「カツ丼」とかに当たるのかもしれないが、私はパクられたことがないのでよくわからない…。


 この記事は、東大門署に留置されていた半島ホテルの運転手李昌蓮に、半島ホテルが鍾路4丁目の梨南屋にソルロンタンの差し入れを依頼したら、えらくボラれたというもの。梨南屋は、上記の配達員の集団暴行事件のときにも出てくる店だが、ソルロンタンの差し入れ配達で、2杯分として2円50銭を請求したという。当時は1杯20銭程度だったから、法外な値段だある。半島ホテル側の申し立てがあったので、東大門署が梨南屋の関係者を呼び出して2円を返金させて始末書を書かせている。

 下の動画は2005年公開の映画「公共の敵2」。ここでも取り調べのときに恩着せがましく食べさせてもらうのはソルロンタン。

 



 今度ソルロンタンを食べに行くときには、「これをどうやって出前したんだろうか…」と考えながら、取り調べ室で検事の無体な詰問に責められながら食べる気分で食べてみようかと思う。