部屋の整理をしていたら韓国の携帯電話機が出てきた。
これは、2003年くらいから国内のレンタル業者から借りっぱなしにして韓国に行くたびに開通してもらっていたもの。空港で安く借りられるようになったその数年後に返却しようと業者に連絡したら、「もういらない」ってことで手元に残った。
1998年製のLGP-1500Fである。ムンチャ(文字メッセージ)はできなかったと思う。


この機材を使わなくなってからは空港で携帯電話をレンタルするようになった。今は、SIM Freeの端末にSIMカードを挿して使っているので、自分で使っていたにも関わらず、この機材には博物館の展示品のような古めかしさを感じる。
LGP-1500Fという携帯電話機が製造された1998年というのはちょうどピッピ(삐삐)から携帯電話(ヒュデチョナ 휴대전화)に主役が入れ替わる時期であった。旅行客へのレンタルが始まったのもこの頃。例えば、ソニーファイナンスでは韓国用として1000円/1日、通話料は発信・着信ともに200円/分というレンタルを始めていた。2001年には、国際空港ターミナルのカウンターで借りられるSKテレコムの携帯レンタルサービスができた。料金は、8,000ウォン/日、通話料金は108~156ウォン/分。これを使ったこともあった。
結構割高だったので、日本国内で割安レンタルを始めた業者がいくつか出てきた。法的には問題のある営業だったのかもしれない。そのうちの一つが、この携帯電話機をくれた業者。数年後にはこんな古い機種はいらなくなって廃棄したというわけである。
ちなみに、私がWiFiルーターレンタルを利用するようになったのは 2013年から。一番最初のWiFiレンタルはolleh roaming centerで1日8000ウォンだった。
ところで、電話といえば、1970年代に当時数少ない韓国研究者の大御所の雑談を片隅で聞いて「韓国は電話で何でもすましてしまう」といっていたのが思い出される。その割には実際の韓国は公衆電話も少なく、電話がそんなに活用されているのかと疑問に思っていたのだが、1980年代、ソウルに住みはじめてすぐに韓国人の電話好きに気付かされた。確かに、なんでも電話でやる。それに店とか食堂などでも「チョナ チョム スプシダァ!」というのがよく聞かれた。普通に電話は「みんなのもの」として使われていた。
先日公開された映画「タクシー運転手」。1980年5月の光州事件を描いたものだが、その中の一場面。電話が遮断された光州から抜け出した運転手マンソプがソウルの娘に電話をする場面がこれである。
そういえば、1960年代、日本の一般家庭に電話が普及し始めたころ、電話は日本でも「みんなのもの」だった。「お隣の××さん、お願いします」と電話がかかってきたし、電話は「あるところでかけさせてもらう」ものだった。しかし、日本の電話はいつしか「みんなで使うもの」ではなくなった。
1969年10月に公衆電話が3分制になり、1972年に家庭の電話も3分ごとに10円という料金体系になった。日本の電話文化が変わったのは、この頃ではなかろうか。電話は「私たちのもの」「ご近所みんなのもの」ではなくなった。「うちの電話」がなけりゃ公衆電話を使う。だから日本では公衆電話がせっせと設置された。
1987年に、5年以上住んでた韓国から日本に帰ってきて、300bpsのモデムで電話回線につないでパソコン通信をやり始めた。300bpsのモデムだと、大体ディスプレーに表示される文字を目で追っていける程度の速度。今では考えられないくらいの遅さ。それもあって、えらく高い電話料金を請求されたと感じた。韓国では家庭や職場の電話は、市内通話が一律料金だったからだ。
ただ、韓国の公衆電話については日本と時期を同じくして1970年に3分制になっていた。
そして1981年には、公衆電話は10ウォンから20ウォンに値上げされた。一気に2倍である。まぁ10ウォンコインを一つから二つにするという値上げなので、2倍も仕方がないといえばそうなのだろうが。とはいっても、当時の韓国の公衆電話は台数も少なく、電話機もちゃちだった。
1000人あたりの公衆電話台数
| 日本 | 韓国 | |
| 1980 | 7.5 | 1.5 |
| 1985 | 7.5 | 2.9 |
| 1990 | 6.7 | 5.5 |
(韓国の社会指標2000などによる)
その後、1983年には、100ウォンコインも使える新型の公衆電話が出て、市内・市外通話に対応するようになった。
ところが、この電話機はお釣りが出ない。100ウォン入れて20ウォン分市内電話かけて受話器をフックに戻すと100ウォンコインをそのまま電話機が飲み込んでしまう。つまり80ウォンが無駄になる。しかし、この公衆電話機には「재발신(再発信)」というボタンがあって、受話器をフックに戻さずに「再発信」のボタンを押すと、残った80ウォン分の通話ができる。
それがだんだんと広まった結果、まだ通話できる場合は受話器をフックに戻さず電話機の上にのせて置くという習慣が広まった。上に置かれた受話器を取って「再発信」を押せば次の人がタダで電話がかけられる。これも、「チョナ チョム スプシダァ!」精神の発露。まさに「民衆の知恵」である。
1986年にはカード式の公衆電話が導入された。しかし、カード式は故障が多いうえ設置してある場所が限定されていてカードを使おうにも使えない。逆に、空港にはカード式公衆電話しかないのでカードがないと電話がかけられない。まだ、コンビニなどない時代なので、テレホンカードを入手するのにえらく苦労した。日本のテレカが黒い磁気部分を下にして入れるのに、韓国のはこれが上面にくる。そのため、よく日本人が間違えて入れて、カードが吐き出せなくなって電話をぶっ壊していた(^^)。
一方、市内電話は同一料金だった家庭電話は、1988年12月に時分制になって3分で25ウォンになった。とはいっても、日本と比べると格段に安かった。タクシー、バス、地下鉄などの公共交通機関の安さはよく言われていたが、日本に帰ってから改めて実感したのはこの電話通信料金の安さだった。
日本でポケベルは1995年がピークだったが、『韓国の社会指標』によると、
と、韓国では日本よりやや遅れて1997年がピッピ(삐삐)のピークになっている。日本では。この時期にポケベルからピッチ(PHS)への移行があったからである。
韓国の移動電話の始まりは、1983年に売り出された自動車電話である。無線呼出受信機(ポケベル:ピッピ삐삐)も同時期に使えるようになったが、どちらも料金の高さから契約者数は伸びなかった。自動車電話は特権階級のものということで、それらしいアンテナを車につけておくと交通違反で捕まらない、見逃してもらえるという噂で、私が日本に一時帰国するときに「ダミーのアンテナを買ってきてくれ」という依頼を受けたことがある。実際にアンテナ効果が確認できたわけではない。しかし、1974年の文世光事件のときに、文世光が最上級のホテルタクシーで国立劇場に乗り付けたら会場に入れたという話を聞いたとき、ダミーでもアンテナさえ立っていたら…という話が理解できるような気がした。
ポケベルは、ムソンホチュルギ(無線呼出機)」というのだが、ピッピ(삐삐)という呼び方が早くから定着していた。自動車電話よりは速いペースで普及したが、一般の人が使うようになるのは1990年代に入ってからのこと。1980年代後半には、韓国在住の豊かな日本人社会でも、企業の駐在員やプレス関係者、大使館でも総括公使などが持っているという程度であった。
ピッピから携帯電話へと流れが一気に傾くのが1998年である。ピッピの契約数が下降に転じて、携帯電話の契約数が急激に伸びていく。
ただ、1998年12月に封切られた映画「美術館横の動物園(미술관 옆 동물원)」では、ピッピも携帯電話も出てこなくて、固定電話と留守録が主役になっている。
2001年9月11日。その翌日に日本に帰国するというので、私は夕方からの宴会で飲みすぎて泥酔して11時すぎには宿舎の部屋で眠っていた。ところが夜中に同行していた学生たちに叩き起こされた。テレビをつけるとKBSやMBCがニューヨークから世界貿易センタービルの惨状を生中継していた。翌9月12日早朝、金浦空港に行ってアシアナ航空の便が飛ぶことを確認したものの、日本に連絡が取れないまま帰国することになった。このことがあってから、それ以降の海外渡航では多少高くても携帯電話のレンタルをすることにした。
2000年代に入ってから、韓国社会は急速に携帯電話がないと暮らせない社会に移行していった。2001年3月に封切られた映画「ラスト・プレゼント(선물)」。ここでは、いかにも詐欺師の使いそうな小道具として携帯電話が出てくる。この着信音は懐かしい。
とはいえ、まだ中高生はピッピと公衆電話を使っていた。2002年に封切られた映画「オアシス」ではこんな場面がある。
2003年1月封切りの映画「マドレーヌ」では、ヘンドゥポンを使いこなせていない大学生が登場する。
これ以降、急速に携帯電話が普及していった。さらに、通話という機能だけではなく、ネットの申請とか色々な手続きで携帯電話の番号が求められるようになった。ネットで何かしようとすると住民登録番号を求められる。それが次第に携帯電話番号に変わってきた。国外に住む外国人はどちらも手が出せない。また、当時高額紙幣がない韓国では「자기앞수표」という10万とか50万とかの小切手が使われていた。
ちなみに、50000ウォン札が出たのは2009年。それまでは紙幣は10000ウォン札が最高額紙幣だった。旅行者として韓国に滞在する場合も、色々な事情でこの小切手で決済することになる。で、これを使おうとすると携帯電話番号を裏書きするように求められる。ところが、こっちは旅行者だから携帯電話はない。あってもレンタルだし…。そんな経験をしながら、「ああ、韓国社会は携帯電話が単なる通信機器ではないのだ!」と思った。
そして、2007年にiPhoneが発売され、2010年にはサムソンのGALAXY Sが発売されて、スマホ時代に突入していくのである。
日本の首都圏では、「携帯電話の通話はお控えいただき…」というアナウンスが流れるようになって久しい。その一方で、仁川空港や金浦空港に着いて市内に向かう電車に乗ると、「おー、なんでぇ、、、あらっそぉ、、、くんでぇ、、、」と普通に電話をしている。
このギャップ、面白いなぁと思う。そんなことも考えながら、古い韓国の携帯電話機が出てきたのをきっかけに、日本と韓国の電話のことを書き残しておこうと思った次第。













