朝鮮の虎 その2 加藤清正の虎退治 | 一松書院のブログ

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「朝鮮の虎 その1 山本唯三郎の虎狩」はこちらへ

 

このところ「朝鮮の虎」に引っかかっている。いま書いている原稿のために調べている佐藤次郎は、1926年に金門で刺されたという「虎」づくし。それに加え、SNSで触発された京城の朝鮮ホテルで肉の試食会をやった山本唯三郎の話とか、京城中学を出た中島敦の小説「狩」の話とか。。。。

私が小中高と学校に通ったのは1950年代から60年代後半にかけて。つまり戦前の軍国主義教育が是正されたはずの時期に学校教育を受けた。この時期には、加藤清正の虎退治の話は教科書に載ってなかったし、「豊臣秀吉が朝鮮を攻めた」ことくらいは教えられたが、虎の話は出てこなかった。正義が悪を叩きのめすという「征伐」と呼ばれていた歴史事象が、そりゃないだろうということで「朝鮮出兵」という言葉に置き換えられて教えられた。
にも関わらず、「虎退治」と言えば「加藤清正」というがの連想ゲームのように私にものり移っている。祖父母や両親から聞いたのであろうか。なんでそんな連想が定着したのか、自分でもわからない。

ともかく、「加藤清正の虎退治」は「戦前の常識」の一つであり、それは敗戦後の日本でもかなりのあいだ「常識」として語り継がれ生き残ったのであろう。

 

「加藤清正の虎退治」について調べてみると、小田省吾が1926年元旦の『朝鮮新聞』に「加藤清正の虎狩に関する歴史的考察」という寄稿記事を書いている。

『朝鮮新聞』1926年1月1日

 

小田省吾は、1908年に統監府のもとで大韓帝国の教育制度改革に関与し、併合後は朝鮮総督府で朝鮮史の編纂にあたり、1924年に京城帝国大学が設立されると朝鮮史の教授となった人物である。1934年12月には京城帝大医学部考古会で「朝鮮役と加藤清正」という講演をしていて、上記寄稿と同内容のことを語っている。

韓国中央図書館電子データ
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小田省吾は、加藤清正が豊臣秀吉に虎の皮を献上したのは事実としながらも、加藤清正が虎を捕獲したとする資料は未見としている。その上で、加藤清正の虎狩の話は、湯浅元禎(号:常山)の『常山紀談』に書かれた「清正虎を狩れし事」が最初で、湯浅元禎がそれまでの伝承を文字化したものではないかと推測している。言い換えれば、あんまりあてにならんということ。
『常山紀談』は1879年に内外兵事新聞局から分冊で出版されているが、1987年に鶴声社から1冊本にまとめて再度出版されている。結構売れたのだろう。

湯浅元禎『常山紀談』巻之7−10
内外兵事新聞局(1879年)
国会図書館デジタルコレクション(85コマ目)

湯浅常山『常山紀談』
鶴声社(1887)
国会図書館デジタルコレクション(193コマ目)

 

鶴声社本がでる前年、1986年には岡田玉山の『絵本太閤記』が出版され、これに「加藤清正討殺虎(虎をうち殺す)」という話が掲載されている。話の骨格は『常山紀談』と同じだが、虎を追って山狩りをする場面や虎を撃ち殺す場面の描写に脚色が加えられている。

国会図書館デジタルコレクション(20コマ目)

そして、その6年後の1892年に尋常小学校の修身教育の手引書として編纂された『修身入門』(博文館)に、「勇者は恐れず 加藤清正虎を殺す話」という話が「談例」として掲載されている。おまけに、『常山紀談』や『絵本太閤記』では加藤清正が鉄砲で仕留めたことになっているのが、「槍をふるふて」と槍で虎を突き殺したとの脚色が加えられている。
その「備考欄」には、

清正、外国を討ち国威を輝かし虎を突き殺して武勇を顕はし朝鮮人をして畏れしめたるを以て之を説話し児童をして剛勇の気質を煥発せしめんとす。宜しく勅語の「義勇公に奉じ」に基きて教授すべし。

とある。

国会図書館デジタルコレクション(54コマ目)

つまり、加藤清正の虎退治という話は、日本の膨張・侵略政策を正当化し、朝鮮の人を萎縮させたことが「勇敢で立派な行い」であって、それが「教育勅語」の精神に合致しているのだと幼い子供達に教え、「剛勇の気質を煥発」させるための「ネタ」として作られていったものであるということだ。

「歴史」ではなく「修身」として教えられていたものだったのである。
 

遠藤公男『韓国の虎はなぜ消えたか』講談社(1986年)には、慶州大徳山の虎の話が朝鮮総督府の編纂した教科書に載っていたと聞き込んだことが、韓国での虎探しの旅の発端として書かれている。この本の最後で、遠藤公男は韓国の中央図書館でこの教科書を発見している。

1925年に長谷川町(現在小公洞ロッテホテル駐車場)に建てられた朝鮮総督府図書館の蔵書は、日本による植民地支配の終焉とともに韓国の中央図書館に引き継がれた。その後図書館の土地はロッテに売却され、遠藤公男が資料を探していた1980年代当時は南山に移っていた。さらに1988年に盤浦洞に本館を新築して、現在はここにある。総督府時代の蔵書なども含めデジタル化を進めており、これらを一般に公開している。
というわけで、遠藤公男が見つけた教科書も我々は居ながらにして閲覧することができる。

この教科書とは、朝鮮総督府が編纂した『普通学校 国語読本 巻六』(1923)で「赤十字総裁の皇族が慶州に来る直前に現われた大徳山の虎を三宅巡査が撃ち殺した」という話として虎のことが載っている。普通学校は朝鮮人児童を対象にした学校で、内地人の通う小学校とは異なる初等教育機関であった。
こちらは、「国語」として日本人が虎をやっつけたという話が取り上げられている。

(普通學校)國語讀本 / 朝鮮總督府 編.第6 
京城: 朝鮮總督府, 大正12[1923] 

韓国中央図書館電子データ

 

さらに、この教科書を探していたら、こんなのも見つけた。18世紀半ば頃の釜山草梁の倭館で対馬の館守などが虎と戦ったという話である。

(新編)高等國語讀本 / 朝鮮總督府 編.卷4

京城: 朝鮮總督府, 大正13[1924] 33課

韓国中央図書館電子データ

この『高等国語読本』というのは、朝鮮人生徒向けの中等教育機関である高等普通学校で使われたものであろう。

こうやってみてみると、朝鮮の虎は、単に「虎退治」とか「虎狩」の話として語られていたのではなく、日本による朝鮮植民地支配における仕掛けの一つとして「虎をやっつける日本人」というのが大いに利用されていたことが浮き彫りになってくるのである。