東日本大震災から今日で12年。
家族や住む家、働く場所を亡くした方々にとっては区切りなんてないでしょうが、干支が一回りする年月を経たのですね。
被災された方々が元通りの生活を取り戻してこそ、復興したと言えると思います。
誰もがが生活に何一つ不足なく幸せに暮らしていけるよう、政府や自治体はもちろん、一人一人が最善とは何かを考え努力して行かねばな・・・
と考えつつも思い出すのは、12年前のだらけた己の姿なのでした。
12年前の今日、今まさにこのブログを書いている時間、私は家でテレビを見ていました。
その日、夫は関西に日帰り出張でいつもより早く家を出ていて、私も普通に出勤するはずでしたが、なぜか体がだるく、喫緊の業務もなかったので会社を休みました。つーかサボりました。
ひとりダラダラお昼ご飯を食べた後、ソファに座りつつケーブルテレビの映画鑑賞。
見ていた作品はこちら。
ちょうどラスト近く
「これはもしかして・・・あのパターンのオチ?」
と思いながら観ていたとき、ズドンというかグラッというか、一瞬の衝撃を感じた後、グラグラッ!と、今まで感じたことのない大きい揺れが。
台所の流しの下の、お鍋とかしまっておく引き出しがシャーっと飛び出し、食器棚が横にユッサユサ揺れていました。これは地震、しかも今まで起きたことのないような大きな地震だ・・・!
揺れがおさまった後は実家に様子を見に行き母の無事を確認、父や姉たちは勤務先から電話があり無事だと確認が取れ。夫は電話が繋がらないけど関西だからまあ無事だろう、とメールを送り、夫実家も電話が繋がらないけど場所的にまあ無事だろう・・・などなどやり取りを終えた後は自宅に戻り、それから一晩中テレビで地震の報道を見ていました。一晩中テレビを見ていたのは911・アメリカ同時多発テロ以来でした。夫と連絡が取れたのは夜。新幹線が運航取り止めになったため一泊して次の日の朝帰ってきました。
すぐ避難できるように服着たまま寝ようと思ったな、あの頃はガラケーだったなぁ・・・直後に銀行が早い時間に閉まったり、節電で街全体が暗かった、もう東京は駄目だとか言って実家帰る人までいたなぁ、あの時は今みたいな花粉の症状はなかった・・・などなど、思い出すことはたくさんありますが、この出来事を教訓にできてるか、と言われると疑問です。緊急用の水などは用意するようにしてるけど、いざ、あの時のような地震が東京で起こったらどうなるのか、全く想像できないので。
@写真AC ryujinmaple
結局あの時見ていた映画はその後見る機会がありません。
ラストのオチはネタバレを記載してるサイトで「やっぱりな」と確認しました。
ダイアナの高校時代が、演じていた女優さんの演技が素晴らしく印象に残ってましたが、映画自体はあんまり評価が高くないみたいですね。
この作品以降もアメリカでの乱射事件は後をたたず、これまた世の中って良くなってないんだなぁ。
人生の価値というのは長さでは測れないとは思うのですが、不本意に、あまりにも突然に奪われた命にはどう向き合うのか。困難をどう生きるのか。
人類にとっては何もかもが道半ばなんだなぁ、とつくづく思います。
