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3、長男の治療経過
これまでの過程はこちら
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前回はこちら
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※2017年8月〜2018年2月までの、左目再発治療の頃の話です。
これが、過去ブログが追いつく最後のブログです!!
2017年9月から10月にかけて、いろいろ変化の頃でした。
ブログを始めたのもこの頃。
人生を変える出会いもこの頃w
アクションあってのリアクション、と、いろいろ動き出すきっかけをくれた時期でもありました。
●保育園決定
2017年9月下旬。
保育園の認定通知が届きました。
予想通り10月開園の新しい私立認可園でした。
待機児童の申請は半年で期限が切れるので、第一希望の園として認定前に面談にも行っていました。
長男の様子を見てもらい、これまでの治療、再発の治療のために毎月1週間ほど休むこと、(当時は)右目が見えにくく左目は見えていそうなこと、などなど。
園長先生と副園長先生、看護師さんが丁寧に話を聞き、「ご縁があれば是非うちにいらしてください」と言っていただきました。
転園した今年の1月にも年賀状が届いたり、アットホームな園だったなぁ。
●ブログとラインとソウルメイト笑
この時期にブログを始めたきっかけは、2つの理由がありました。
1つ目は、眼球温存のための陽子線治療を終え、もしかしたら今後同じ治療を受ける人が出てくるのではないかということ。
陽子線のブログは脳腫瘍など他の小児がんばかりで、アメリカのように眼球固定ができなくても、照射範囲の調整などで対応できると判断され、第2、第3の患者が出てきた場合、その人たちの参考になるのでは、と感じたことでした。
2つ目は、今後、二人目を考えるときに、着床前診断の適応ができないか、真剣に考え始めていたこと。
遺伝カウンセリングをしていた主治医は
「医者がいくら言っても無駄。
社会や同じ遺伝性疾患の患者たちに広く知ってもらい、患者を交えた議論を増やすことが一番の近道」
と口癖のように言っており、
まずは、ブログで発信しながら自分の考えをまとめてみよう、と思ったこと。
そんな思いから、これまでの経験や気持ちをアウトプットしようと一念発起しました。
そして。
当時(今も)、国がんでRBの治療をしている子供達に付き添う親たちの間で、グループラインによる情報交換が行われていました。
元々は入院で知り合った親たちの顔の見えるつながりから始まり、私も長男の最初の入院時(生後8日目)に、招待してもらっていました。
片眼性も両眼性も、散発性も親子間で遺伝した子も、北から南まで、だんだん口コミで広がり、今も大きなネットワークになっています。
そのグループラインでも、陽子線のこと、着床前診断を考えていることを報告させてもらいました。
そして、その次の日の朝。
同じグループラインに入っていて、
後にソウルメイトとなる友人から、
「私も着床前診断を考えており、遺伝カウンセリングを受けています」
という、衝撃のラインが届きました(笑)
2017年9月21日の話です。
衝撃的すぎて今でも忘れられません。
私だけじゃなかった!
一人で頑張ってるんじゃなかった。
同じことを考える人はいたんだ。
やっぱり!やっぱり!
本当に、スマホを握る手が震えるほど嬉しかったんです。
あの時、ブログやラインでアウトプットしようと思わなかったら、知り合うのにもっと時間がかかっていたと思います。
これまでも何回か相思相愛ぶりを暴露していますが(笑)
本当に、冗談ではなく運命を変える出会いでした。
そこから、怒涛のラインのやりとりを続け、
10月上旬、上京した彼女と初対面。
当時はまだ、うちの長男も彼女の次男くんも、治療の真っ最中でした。
ああ、時間の流れを感じる。
●喘息と救急病院
そんな10月上旬、慣らし保育が本格的な保育に移行しつつ、10日後に入院を控えていた週末。
長男が風邪をひき、咳が悪化。
今思うと、季節の変わり目、朝晩の喘鳴、典型的小児喘息の症状でしたが、
当時はっきりした診断もついておらず、医師会の休日診療に連れて行くと、
「今はゼーゼーもしてないので、特に何もできません」
と、医師会の持ち回りらしき若い女医さん。
「あの、昨夜眠れないほど酷くて、夜悪化したらどうしたらいいんでしょう?」
と尋ねると、
「ここは夜まで開いてないので知りません」
との返事。
あーーーーーーーー、はいはい。
色々思うところはあれど、ここで言っても無駄、と、諦めました。
その女医さん、生後2ヶ月で発熱したと赤ちゃんを抱えて駆け込んできたアジア系夫婦には、
「生後半年まで普通熱が出ません。出るのは大きな病気の可能性があるのでここでは見られません。大きな病院へどうぞ」と、
待合室で診察もせずに追い払っていました。
途方にくれた夫婦に、入り口で大きな病院とはどこか尋ねられた受付のおばさんは、
「ここは紹介とかできないので、どこか大学病院とかじゃないですか」と一言のみ。
出口で大学病院とはどこにあるか尋ねられた私。
とりあえずタクシーで向かえそうな近くの大学病院名を教えてあげました。
多分女医さんは間違ったことは言ってないんですが。
色々残念な気持ちになりつつ、長男の様子を見守りましたが、
やはり、19時過ぎから喘鳴と咳がひどくなり、
今度は21時の診療時間終了直前に、地域の内科や小児科が持ち回りでやっている休日当番の内科に駆け込みました。
そこのおじいちゃん医師は
こりゃかわいそうに、と、大人用の大きな器具で吸入をしてくれて、
夜中は心配だよねー、ひどくなるようなら、迷わず救急外来に行くんだよ、と一言。
あー、病院ってなんだろう、と
ひとまず喘鳴が落ち着いた長男に安堵しつつ帰りました。
その夜はぐったりながら結局抱っこで寝かせてしのいだものの、
翌日曜は日中もやはり喘鳴が収まらず、長男も苦しそう。
今度は迷わず近くの大学病院の救急外来に電話して受診しました。
すぐに測ったSpO2は96、
「苦しかったねー」と、即吸入。
点滴も提案されましたが、救急でステロイド系の吸入のおかげで驚くほど改善したので、
服薬のデカドロン(ステロイド系気管支拡張薬)で様子を見ることに。
受診した際は息をするたびに胸が凹むいわゆる喘息の呼吸でしたが、
帰りは歩くのでは?というほど元気に。
その夜も服薬のおかげでぐっすり眠れて、一安心でした。
●手術スキップ
その次の週の2017年10月18日。
左眼動注8回目、硝子体注射2回目、さらにMRI撮影のため入院。
したんですが。
昼間は至って元気。
術前診察では、
右目は相変わらず異常なし。
端の方に播種のようなものがあるが、前回から動いてないので様子見で大丈夫。
視神経も綺麗に見える。
左目はかなりクリアになってきた。
よく効いている。
でもやはり手術予定は動注と硝子体注射で、というものでした。
効いている、との言葉にホッとしたのもつかの間。
19時の夜の検温で37.5度。
あれー、高いねー?くらいで様子を見るうちに、
みるみる鼻水が出だし、
22時には38.9度まで上昇。
深夜には、39.5度まで行き、解熱剤の座薬を入れてやっと寝られました。
どうなるかなーと恐れていましたが、
翌朝、採血の結果、
白血球値(細菌が体内に入ると活発になり増える)とCRP(体内の炎症反応)が高く、
手術とMRIは見送りになりました。
悔しかった。
せっかく効いてたのに、ここで動注で駄目押しできてたら、12月の9回目はやらずに済んで、
左目の視力は守れたんじゃないかなぁと、
今でも、たらればを考えてしまいます。
3週間後の再手術の予定を入れて、その日中に退院になりました。