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3、長男の治療経過

これまでの過程はこちら

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 30.MRI結果と陽子線14~17日目


の続きです。


↑ではなく、前回のブログを「病み期?」と心配してくれた友人に懺悔しましたが、

脳貧血でこけて以降、自粛していた酒(っていっても缶チューハイ1本)が多少入っておりました。

「子供が宇宙飛行士になれないとかで泣くってなんなん?」と思ったそこのあなた、

それで正解ですw

 

●18回目、食っちゃ寝生活

 

2017年6月19日、土曜外泊日曜夜戻りのち、18回目の週スタート。

またもや眼底検査ありの月曜日でした。


先週、眼底検査で鎮静追加の後に覚醒しまくって陽子線が散々だったため、この日は先に陽子線を照射。

鼻部分を削ってくれた効果か、先週の苦戦が嘘のようにスムーズに照射終わり。

その後の眼底検査、は、さすがに覚醒したのでケタラールを追加しましたが、肝心の陽子線が終わっていて気持ち的にはかなり楽。

進言してくれたS先生に感謝でした。



この日は待合室に出てきた眼科の先生が説明もしてくれて、

「左は変化なし、照射している右は、腫瘍部分に流れ込む血管が細くなってきている(腫瘍の勢いが弱まっている)ように見える」とのことで、こちらもひとまずホッとしました。


15時半ごろ遅めの持ち込み昼食の後は、ケタラールのせいかフラフラぐずぐず。

それでもちゃっかり病院食の夕飯も完食で寝ました。



あと7回照射の間にさらに太ったらどうしようと、食べさせる量をコントロールするか悩みましたが、

主治医のN先生も陽子線チームも、「絶対しなくていい」の一点張り。

N先生曰く「どんな治療も食べられる子は回復も早いし副作用(陽子線の場合は照射部の赤みや荒れ)も軽く済む。食べるのは100パーセントいいこと」と太鼓判。


親としてはそれで照射がもたつくのも申し訳なかったので、せめてリハビリ(カロリー消費)に注力しようと思い直しました。



 

●19回目、点滴抜ける

 

6月20日、19回目。
朝、点滴ルートが閉塞でエラーになり、看護師さんを呼ぶと、
「ぬ、け、かけてるーー!」と、看護師さんが他の看護師さんたちに応援を要請。
固定テープの下の針が今にも抜けそうで、
ちょっと動いたら抜けます、でもまだ入ってます、状態のようでした。

あっという間にわらわら看護師さんが集まり、長男の体や腕を固定する人2人、テープを剥がしながら針を維持する人2人、といった大騒ぎ。

これまで同じくらいの歳の子が「朝抜けてたー」というのを何度も見ていたので、むしろよく抜けないなと思っていたのですが、
針との格闘が続くこと、なんと30分以上。

むしろもう抜いて入れ直してもらっても、と途中で言ってみましたが、
「戻せたらまた痛い思いしなくて済むから」と、後半にはO先生も現れてなんとか戻せないか奮闘してくださいました。

ま、結局、抜けちゃったんだけど(笑)

忙しい中こんなに人と時間を割いてくれて、と、病棟の暖かさに申し訳ないやらありがたいやら。

というわけで、午前中は図らずと点滴なしで過ごせた長男。廊下を歩く歩く。
その後、照射前に点滴の入れ直しで大泣きしてこともあり、この日は追加なしでぐっすり照射。

なんと最短8分で照射が終わりました!


13時45分から照射で、14時には病棟への帰り道。
いつも、病棟の看護師さんはストレッチャーを運んだあと一度病棟に戻るので、あっという間に呼び戻されて驚いていました。


生後4ヶ月半で歯が生えた長男、この日歯磨きの時にふと数えてみると、入院前は前歯上下4本ずつ、と、奥歯だけだったのが、上下前歯の両脇にさらに小さく4本が顔を出していました。
(しかもこの週末にもう一本生えてくる)

入院前はなかった。
治療してるのに、本当に、成長って早いなぁと。
1歳1ヶ月でもまだヨチヨチ歩きなのに、歯が生えるのは特に早かった。



0歳の頃、長男の疾患も知っている知り合いの方が、
「あっという間に大きくなるなー、人生で一番細胞分裂してる時やからなー」
と、言ってくれたことがありました。
もちろんいい意味で。

でもその頃治療への不安が大きかった私には、
「細胞分裂=がん細胞の活性化」が連想されて、意に反してゾッとしました。

子供の成長ほど喜ばしいことはないはずなのに、声をかけてくれた方にも長男にも申し訳なくて、強烈に自己嫌悪に陥ったことをよく覚えています。

なので、陽子線治療中なのに太って(笑)歯が生えて立派に育っているたくましさが、この時は嬉しくて、
そう思えたことも嬉しかったので余計に印象に残っています。



●20回目、油断、のち、深夜の密会

 
6月21日、20回目の水曜日。
眼底検査を除けば、先週金曜から3連勝、さらに、火曜は最短記録を更新し、すこし油断していました。

国がんでは、局所治療の時であれば子連れで院内のコンビニに行くくらいは見逃してもらえていましたが、筑波は外泊以外は子供は病棟を全く出られません。

ただ、リハビリ室へは許可が出れば行けました。
この日の午前中、点滴のルートをさばきながら、リハビリの先生がリハビリ室に連れ出してくれて、ボールやおもちゃで散々遊んだり、ながーい廊下を歩行器(通称UFO笑)で歩き回ったり。


 これは前日点滴から解放された時の写真(笑)


たくさん動いたし、いけるだろーとやや楽観的に臨んだ陽子線。
すんなり寝てくれたので楽勝かと思いきや、直前で覚醒→ケタラール追加でした。


それはまだ良かったのですが。


病棟へ戻る帰り道。
突然むせて痰が絡み、SpO2がすーーーっと、下がる下がる
この日、麻酔追加後に付いていたのはH先生。

しかも前回は眼底検査を終えて眼科から陽子線にハシゴする途中だったので、道すがらにたまたま小児科がありましたが、
この日は病棟までの連絡通路の途中。

ひたすら急ぎ足で帰るしかなく、怖かったです。
病棟について、なんとか落ち着いたものの、やはり最後まで気を抜けないなと反省しました。


ちょうど落ち着いた頃、義母が病棟にお見舞いに来てくれました。
旅行のお土産や起きた後の遊び相手をして帰って行ったのですが。

かわいい孫の事、心配に決まっているのに、問いただすでもなく、かわいそうがることもなく、
「元気そうだね、あなたも気をつけてね」と気遣ってくれるその距離感がありがたかったです。


この日、麻酔追加のせいか、早めに寝た長男。
やったーご飯買えるー!とコンビニに急ぎました。

筑波の院内コンビニは21時まででした。
それまでに寝かしつけられたらコンビニご飯。
無理だったら宿泊していた部屋にストックしているご飯(昼に多めに買っていたり、サトウのご飯やインスタント麺など)が夕食、という感じ。

コンビニで物色中、隣のベッドの女の子のお母さんと遭遇。
彼女も別棟に宿泊していたので、一緒にごはんを食べました。

同部屋の他の子たちの親は、家から通っていたり外のウィークリーマンションなどから通っていたため、
病室以外で誰かと一緒にご飯を食べるのは初めてでした。

母子で治療に来ていたその女の子はアレルギーがあり、
家が遠方なので外泊もできず、陽子線後に食べさせる食事や、親の食事の確保が大変そうでした。

前の週の外泊の時に、自分の買出しついでに、その子が食べられそうなパンやバナナやおやつ、お母さんの保存食などを代わりに調達していたこともあり、
さらに、この時に、同い年だということも判明し、一気に意気投合。

ご飯を食べた後も、お互いの子どもの病気、これまでの治療、周りの友人へのカミングアウト、親族との距離、あとは夫との馴れ初めや愚痴、病棟の医師や看護師さんの噂話まで(笑)

途切れることなく話が続いて。
気づいたら2時でした_(┐「ε:)_ズコー



その女の子は、脳腫瘍の治療中でした。
RBの治療ではまず見ることがない、病棟に比較的慣れていると思っていた私でも息を呑むほどの大きな開頭手術の傷。

そして、彼女に限らず、脳腫瘍の治療できている子の親たちは、陽子線照射と後遺症を天秤にかけながら治療の選択をしていました。

RBが可能ならこめかみから照射するのは、脳への照射を避けるために他なりません。
脳腫瘍の治療では、照射部位や範囲によって後遺症の度合いも変わってきます。


病気が発覚してからほとんど自宅に帰ることなく、陽子線も遠方からなので、ちょこちょこ来ては手助けしてくれる身内もいない。

冷静に考えて、
摘出さえすれば転移はほぼ防げる、それでもたまたま引越し後で近隣で温存照射ができて、
親や夫がバックアップしてくれる私の環境と比べて、なんてシビアなんだろうと、
話を聞きながら、胸が苦しくなりました。


辛さや大変さを比較したいのではなく。
短期入院でRB患者が多かった国がんでは会えなかった人たちに会えたことで、
お互いの環境は違っても、患部や程度は違っても、普通と違うことの生きにくさに悩んだり、普通の社会の中での摩擦に疲れたり、
話していて通じ合えることや共感できることがあるんだなということが、
すごく貴重な経験として、私の中に残っています。


病気に限らず、違う立場でも理解し合えるなんてよく考えたら当たり前のことなんですが。


病気を抱えると無意識に抱いてしまう劣等感、上や下と比較してしまう自分の醜さ、
病気があるからこそのプライド、反対に病気があることでの自己肯定感の低さ。

そういうざわざわした感情が、お互い話をすることで中和されていくというか、プラスのエネルギーに変わるというか。
私は、そうやって彼女に救われた気がしていて、
束の間の出会いでしたが、彼女もそうであったらいいなと思っています。


今思うと、広い意味でのピアサボートなんだと思います。

今も、彼女とは時々ラインをしていて、お子さんも再発なく生活しています。
距離はありますが、いつか会いたいね、と、再会楽しみにしています。


●21回目、怪しい雲行き

 
6月22日、21回目。
この日も、よく運動させて臨みましたが、あえなく鎮静追加。
眼底検査も考慮したら何だかんだ、この週は4日中3日は「黒星」なんだな、とちょっと落ちこむ。

やっと陽子線生活に慣れ、終わりも見えてきた一方、溜まった疲れと体力の有り余る長男の相手で、エネルギーを削られながら過ごしていました。
(夜更かししたせいで寝不足という説も)

この日の日記は入院中の平日で一番短い(笑)

 

●22回目、訃報



期待せずに臨んだ6月23日。

期待をしないとあっさり行くもので、なんとか白星で5週目を終えました。


麻酔追加なしだとさっさと覚醒し、あっという間にご飯を平らげ点滴も抜け、自由の身に。

金曜だけやたらスムーズなのは点滴抜けるの知ってるからかなと思わずにいられないくらい(笑)


残りはついに1週間となりました。照射はあと3回。

最後のMRIは、退院後に国がんで撮ることになりました。

顔見知りが増えたのと、再入院が面倒とで、筑波で撮ればいいのに、という思いと、

今後も診てもらうのは国がんなので、その方が安心できるなーという思いと半分半分。



金曜午後の小児病棟は、翌日の陽子線が土日でないため。少しのんびりした雰囲気になります。

そんなプレイルームのテレビで、他のお母さんたちと眺めていたのは、小林麻央さんの訃報。


小児がんとは違うけれど、ガンが身近に常にある生活を送っている私たちにとって、なんとも言い難いニュースでした。


ガンは治る時代、小児がんも7割は救える時代と言われていても、治すためには治療が必要で、後遺症も再発の不安もある。

そして、何割だろうと1パーセントだろうと亡くなる人は亡くなります。


生涯でガンにかかる人、そうでない人の間には、結果論ですがやはり大きな差があるなぁと感じます。



そして、花金のこの日、再びお隣のベッドのお母さんとご飯を食べました。

今度は、なんと、外食しに近所の松屋に!!贅沢!!(笑)



笑ったり愚痴ったり、宿泊室に戻っても、なんだかんだで再び2時まで。


途中、深夜までの勤務を終えたS先生が通りかかり、暗がりで話し込む我々にギョッとして、

「どうせ噂話でもしてるんでしょー」と一言。


してました(笑)


今振り返っても、楽しい深夜のおしゃべりでした。




18回目は、眼底検査後ぐずぐずで撮り忘れたので、午前の保育の様子を。