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3、長男の治療経過

これまでの過程はこちら

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を参照してください。

 

3、1歳0カ月:摘出か、放射線か①

3、1歳0カ月:摘出か、放射線か②

 

の続きです。



●第三の道は

 


折に触れ、私が治療の参考にしていた小児がんのガイドラインがあります。


小児血液・がん学会がリリースしている治療ガイドライン。

https://www.jspho.jp/journal/guideline.html


疾患別に記載があり、日本人のデータとして不足している分は欧米のデータや、比較的新しい論文からの出典も多く、分かりやすい。


特に放射線治療の可能性を示唆されてからは、何度も何度も、再発率の記載や、他の選択肢がないかを読み直しました。


当時は古いバージョンのもので、記載もデータ量も上記のものより不足しています。



そのなかで見つけたのは、放射線(X線)より照射部位を狭める治療法として、

「海外ではIMRT(強度変調放射線治療)や陽子線治療が実施されているが、

眼球を固定して行う必要があり、国内では実施困難である」という記載。


こちらの記事の、○放射線治療の流れもご参照ください)






2017年4月13日、外来から3日後。




同じ年に生まれた友人の子供達2人と、動物園へ。

桜がまだ残っており、お天気もポカポカ。

写真を撮ったり、子供用の遊具で遊ばせたり。



このまま、何もせずに半月過ごせば、摘出手術か。

そうなったら、義眼が落ち着くまではこの子たちとも会えないなぁ。

と他人事のように考えながら、園内を散策。




その途中で、やはり、どうしても一度尋ねてみようと思い、

午後、友人たちから離れ、主治医に電話をかけました。



本来国がんの電話はなかなか主治医に繋がらず、


運良く繋がっても大抵診察中で、要件は最短最小限しか話せません。



思い切って

「IMRTや陽子線治療が行える可能性はないのでしょうか」

と尋ねると、


「IMRTはそもそも放射線を上回る優位点はない。

陽子線をやっているのは韓国とアメリカで、国内で実施は不可能です」

との返答でした。



何百、何千人と患者を抱える中で

この頃は本当に主治医に迷惑をかけていたと思います。





●夫の一言



ここから数日間、

「やはり、放射線をして温存してあげたい」

という思いと、

「ほとんどの医者が選ぶであろう摘出で正解なんだ」

という思いが、行ったり来たり。



一番辛い時期でした。

摘出が正しいんだ、と自分を納得させる作業を延々と繰り返していたように思います。



その度に、

手術室に送り出す事を思っては泣き、

GWにはもう、この子の片眼は無いんだと考えては泣き、

ちゃんと元気に生まれてきてくれたのに、まだ1歳なのに、こんなに可愛いのに、原因は全て私のせいだ、

と自分を責めて泣く。



自宅にいるときは、長男と遊んでいても、昼寝する姿を見ても、料理をしていても、ほぼ泣き通しでした。

夜も、寝顔を見ては泣けてきて、眠れる気配は全くなく、

数日間はリビングで膝を抱えて、NHKの自然百景的な映像を朝方まで眺めていました。



15日には、眠った長男を早めに帰宅した夫に任せて、

「ちょっと歩いてくる」と、外へ。



「ちゃ、ちゃんと帰ってくるよね?」と本気でビビる夫(笑)

「世を儚んで身を投げるほどの度胸があるならこんなに悩まないわ」と答えて、

夜の街をひたすら歩きました。



家からずんずんずんずん、あてもなく歩いて、

たまたま出た大通りのファミレスで適当な食事を食べ、

またずんずんずんずん、何も考えずにまっすぐ歩き続け。

帰りたくなくて深夜営業のカフェでケーキを食べ、閉店まで紅茶を飲み続けました。


それでも、何も答えは出なかった。



私はやはり摘出をどうしても許容できないけれど、

命賭けといわれた放射線を夫に提案することは、

長男の命より眼球1つの方が大切だと宣言することと同じで、

それもできなかった。


もう、絶対嫌だけど、死ぬまでそれを引きずって、

放射線を選ばなかった事を後悔し続けながら、それでも摘出を選ぶしかないんだ。

そんな、無気力状態でした。






17日。


夫が突然、

「放射線やってみようか」

と、ポツリと私に言いました。


「俺にはわからないけど、片眼の生活は辛かったんでしょ。

ずーっと考え続けても諦められないくらい辛かったんでしょ。

それならさ、とりあえず話だけでも聞いてみようよ。効くかもしれないんだし」




間違った選択、諦めるべき選択だと思っていました。


でも、私は卑怯なので、

心のどこかで夫がそう言ってくれるのを待っていた気もします。


うまく行くかもしれない。

でも、私が固執した事で、将来の最悪の結末を選んでしまったのかもしれない。


治療から1年が過ぎた今も、

一時期の、ある種の強迫観念を伴うほどのものではないけれど、その不安は続いています。





●放射線科と小児科




19日、夫と共に再度国がんへ。

主治医に放射線の説明を聞きたいと伝えました。



止められるかと思いましたが、そういうことはなく、

淡々と、照射する場合の手順などについて説明してくれました。



事実上、全国の過半数の症例を見ているこの主治医は、

これまで、どんな思いで、

何百という、最愛の子供の疾患を前に絶望している親に、

確定診断を伝え、摘出を勧めてきたんだろう

と、時々、考えることがあります。



親の悲しみや怒りを受け止め

、「どうにかならないのか」と懇願されても、

医師として、感情に流されず、生きる可能性を最優先に、冷静に判断しなければならない。

最終的に決断するのは親でも、医師の言葉はその決断に絶大な影響力を及ぼします。



国内唯一の専門医といって差し支えないけれど、万能ではありません。

治療の選択肢は増えたけれど、根治の術はいまだに確立していない。

新しい患者は次々やってきて、ほかに受け皿となる機関はほとんどない。

そして、親の悲嘆は、医師や看護師や患者会か受け止めてくれますが、

医師の苦渋は、吐き出すところはなかなかないのだと思います。



欧米では、患者会が主体となって基金を募り、

病院で治療に必要とされる機器を寄付するような活動が一般化しているといいます。

助けられた私たち患者が、医師、医療機関にできることはなんなのだろう。

そんなことも考えます。




主治医の説明の後、放射線科へ。

放射線照射の場合の説明を受けました。


照射方法(顔の側面、こめかみから照射する)、

骨の成長阻害や、照射部位からの骨肉腫などの二次ガンの可能性、

水晶体への照射により生じる白内障の可能性

頭部の型を取って頭を固定するマスクを作り、照射は鎮静をかけて行うこと。

全てある程度想定していた話でした。



説明の同意書にサインして、

一度眼科に戻った時。


「小児科の先生から説明があるから待っていてください」

と言われました。


放射線照射の場合は、小児科病棟に入院になるため、連絡が行ったんだと思います。

外来診察の日ではないのに、

新生児の頃、長男の抗がん剤治療の時の主治医だったK先生がやってきました。




局所治療になってから、主治医ではなくなったものの、

入院病棟は小児科だったので、

朝の回診や、プレイルームで、度々長男の頭を撫で、

毎月「大っきくなったねー」と抱っこして遊んでくれた先生です。



診察室に入るとすぐに、単刀直入に、

「放射線をやりたいということだけど、やめておいたほうがいい」

と、言われました。



「放射線をやると二次ガンの確率が上がる。その確率は…」

と続けます。



多分私は、少し頭に血が上っていて、

「先生が仰った確率は、どの統計に基づく数字ですか?その資料や論文があるのであれば見せてください」

と返したと思います。

(あぁ、今振り返るとほんと失礼すぎて自分で穴掘って埋まりたい)



先生は怒るわけでもなく、データベースから英語で書かれた論文の1ページをコピーして渡してくれました。

私が縋るように読んでいたガイドラインの、出典元の論文の一節だと思います。



その論文に基づいた数字はガイドライン読んで分かっているつもりです。

という趣旨の話を伝えると、先生は少し困ったような顔で

「いつから考えていたの?」

と聞かれました。


「3月17日の手術後から、今までずっとです」

と即答。

(しかも多分半泣きで睨んでた。埋まりたい)




もしかしたら、摘出を勧められたショックで即座に放射線を選んだ、と思われていたのかもしれません。



K先生はしばらく考えこむように黙り込んだ後、


「そういうことなら、例えば、陽子線を受けてみるつもりはある?」


と、一言。



「え?」

と、今度面食らったのは私たちの方でした。