時系列がごちゃごちゃのため、順を追って読まれる方は
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3、長男の治療経過
これまでの過程はこちら
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を参照してください。
の続きです。
●元主治医の元へ
摘出か放射線か。
表向きは決まっていても、私の中で何も結論が出ず、
ダークサイドで暗黒時代を過ごしていた2017年4月7日。
半ば衝動的に長男を連れて元主治医が開いているクリニックに行きました。
硝子体注射などの、この疾患の治療法を拡大した国内、海外における権威の一人であり、
私自身の元主治医、手術の執刀医でもあります。
幼い子供相手の眼底検査で
「右、右上、上、もっと上見て!」
と仏頂面で診察を行う怖い先生でした。
高校くらいになると、その不器用さが可愛く思えてきたりして(笑)
10年ちょっと前、白内障手術の相談で当時勤務していた病院に行って大学病院を紹介して頂いた以来でしたが、
何度か手紙のやり取りはあり、出産したこと、遺伝したことは伝えていました。
先生からも、寄稿した学会誌をいただいたり、国内の治療と海外の治療の差についての思いを書簡で頂いたりしていました。
突然の訪問に、先生は驚いたようでしたが、
昔ながらのタオルぐるぐる巻きに固定してしっかり見る眼底検査で、長男を診察してくれました。
たぶん新生児の確定診断以来の長男、大泣き。
昔は乳幼児はみんなこの方法で、まだ古い国がんの診察室に、ちびっこたちの泣き声が響き渡っていました。
私も少し大きくなってから(年長か小学校低学年くらい?)やらされた記憶があります。
今の主治医の眼底検査のテクニックは、ほんと多くの子供達の負担を減らしてるなぁと。
診察後、元主治医が教えてくれたことは、
「まだ右目の腫瘍は残ってる」ということと、
「硝子体注射ができない位置とS先生(現主治医)が言っているのであれば、他に方法は浮かばない」という趣旨の話。
RBの専門医として現場を離れて10年以上経つ先生です。
最新の治療を把握出来ていないこともあると思います。
今振り返ると、答えが分かっていることを尋ねに行ったようなもので、
先生には申し訳なかったなぁと思います。
●決められない
週末を挟んだ翌週、4月10日。
国がんへ外来診察へ。
前週の元主治医の診察で、結果は半分分かっていたものの、
やはり、診断は「あまり効いていません」という結果でした。
全く効いていないともいえない。腫瘍が著しく増大しているわけではないが、
視神経に腫瘍が被ってきている以上、このまま漫然と動注は危険。
どうしますか、と、問われました。
私は最初、返事が出来なかったと思います。
摘出が最適な判断であるということは分かっている。
けれど、正直まだ決められない。
そういう返答をしたと思います。
「放射線はできる。でも、決して勧めない。視神経浸潤の可能性が0ではない以上、最善は本来、一刻も早く摘出すること。
放射線は効くかもしれないが、一種の賭けだ。眼がどうこうという話ではなく、命を賭ける、ということです」
このとき言われたのか、3月の手術後に言われたのか判然としませんが、
主治医は何度かそういったと思います。
摘出手術の入院予定は4月末に入っていました。
記憶は曖昧ですが、
「もし放射線をやるならそれまでに連絡をください」
「現状では、ただちに危険とは思えない。視神経に腫瘍が被った=浸潤ではない」
「ただ、絶対にという確証は1つもない。経験と可能性でという話。先延ばしにできる状態ではない」
ということをなどを言われたと思います。
長男を夫に預け、外来の会計を待つ間。
診察中はこらえていた涙が次々に出てきました。
妊娠前から、生まれる前から、生まれてから、
今の日本でできうるすべてのことをして立ち向かってきたつもりなのに、
どうして全て最悪の方に進んでしまうんだろう。
遺伝していると分かってて産んだ。それが間違っていたとは思わない。
でも、覚悟は甘かった。
悔しくて、苦しくて、
命に比べたら、たかが目一つ、と思うかもしれません。
現に、この疾患で「片眼摘出」は、挨拶代わりというくらい普通のことです。
それこそ生まれる前から分かっていたけれど、それでも諦められない。
命の賭け、とまで言われても、
義眼での生活を自分が一番分かっていても、
それでも決断できない。
私は温存にこだわるあまり、親としては致命的におかしいんだろうな、と、
泣きながらどこかで冷静に考えていました。
そのとき、すっと隣に座った女性の方がいました。
俯いていたので顔も見えず、会計待ちで座っただけだと思いましたが、
「大丈夫よ」
と、突然、私の背中を優しく撫でてくれました。
「みーんな頑張ってるわね、みんなちゃんと頑張ってる」
と、何度も繰り返しながら、
泣きじゃくる私の背をひたすら撫でてくれました。
長男はそばにいなかったため、
なぜ私が泣いているのかはおそらく知らなかったと思います。
きちんとお礼を言えず、ただ何度も頭を下げるだけしかできませんでした。
今でも、その優しさを思い出すとありがたくて涙がでます。
少なくないがん患者が寛解できるほど医学が進歩している一方、
明日、1カ月後、1年後に命が尽きるかもしれない、そんな状況の方もたくさんいるはず。
泣いても何も変わらない。自暴自棄になっている場合ではない。
右眼をあきらめるのか、命の賭けといわれても、温存の道を選ぶのか、
主治医が決めることではない。
私は、この先、長男と生きるためにしっかり治療を選ばなくては。
さんざん泣いたこと、見知らぬ方に励ましていただいたことで、
すこし、そうやって気を持ち直すことができました。