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3、長男の治療経過
これまでの過程はこちら
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前回はこちら
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※2016年6月~2017年3月までの両眼の局所治療中(眼動注など)の話です。
●束の間の「普通の日々」
胎内で両眼性網膜芽細胞腫の遺伝がわかり、生後10日目から治療を始めた長男。
両眼の腫瘍を小さくするための全身化学療法(抗がん剤)2クールを終え、退院したのは2016年5月なかば、生後1ヶ月半になっていました。
当時住んでいた関西に戻ることも考えましたが、2週間後には局所治療のため、再入院が決まっていたので、低月齢の子を新幹線で行ったり来たりさせるのも、ということで、次の局所治療までは関東の実家で過ごすことに決めました。
次の入院まで実家で過ごした2週間、長男を産んでからやっと、普通の日々というか、普通の赤ちゃんらしい生活でした。
歌を歌うとニコニコするようになったり、メリーを見て手足をバタバタさせたり。初めて一緒に入浴したり。夫が一泊で会いに来て、近所の公園に散歩に行ったり。
頰の乳児湿疹がひどかったので、出産した産院併設の小児科に薬をもらいに行った時のこと。
生後直後、医療センターへの紹介状を書いてくれた先生が、診察の後、1ヶ月検診を国立がんセンターで受けた記録をみて、「入院してたの?」という話に。
退院した2日後から治療をしていると伝えると、「えっ…そんな早くから?」と絶句していました。
早期発見早期治療が最大の対策と言われている網膜芽細胞腫。
しかも長男の場合は、病名も遺伝発症も予め伝えて、「だから眼科受診予約を急いでほしい」と何回も言ったのに、新生児を診る小児科医の認識も、その程度なのか、と落胆しました。
専門病院ではない普通の小児科などで、長男の病名を聞いて、「それじゃあ摘出じゃなくて両眼温存で治療できているんだ。昔はすぐ摘出だったのにね」と、即座に反応が返ってきたのは一人だけ。生後6ヶ月の頃受診した、食物アレルギー専門のクリニックの先生だけでした。
専門分野ではなくて、その人の知識や興味、向学心によるのかもなぁ、と、思った記憶があります。
患者と親の会である「すくすく」が、病名の母子手帳への記載や、産婦人科などへのポスター掲示など、啓発活動を続けています。
腫瘍はフラッシュ撮影で光ることがあります。病名さえ知っていれば、早期対処は可能です。
これまで出会ったたくさんの患児のご両親が、目の変化に気付きながら見過ごしたこと、眼科で様子見と診断を受け、そのまま治療が始まるまで時間が経ったことに自責の念を抱かれています。
まずほ、小児科医と眼科医が、最低限の知識を持って欲しいなぁと願うばかりです。
●生後2ヶ月目、左右レーザー1回目。
2016年6月頭。最初の局所治療入院。
正直、当時は何が何だかわかっていない部分多く、あまり記憶が定かではありません。
(これまで気持ち悪いくらい詳しかったのは、ただ単に記録を細かくつけていたから(笑))
1年間(中を見せられないほど超適当に)続いた育児日記です。
これに雑に記録しているだけなので、今後、ブログの進行は早くなる、か、と。
入院したのは生後64日目でした。
実家から車で送ってもらいましたが、2泊3日という日にちがすごく短く思えました。
通常、入院日にはまず1階のカウンターで手続きが必要ですが、当然、全ての病棟の手続きが集中するため、10時前後には座れないほど混み合います。
お子さんが小さい場合で、大人が2人以上付き添っている場合には、1人が子どもと先に病棟の階の談話室(子ども用のプレイルームあり)に行っていてもいいと思います。
前回の記事の通り、レーザーでの入院は、前日に眼科の眼底検査、採血、麻酔科の問診です。
この時は初めてのはずですが、もはや、この1年半で相当回こなしているので記憶が曖昧です。
翌日の手術の順番は2番目だったようです。記録では11時頃になっています。
当時、夜中も含め1日8回ほど母乳+ミルクを飲んでいた長男。
手術前はミルクは固形物と見なされて6時間前までで絶食扱いですが、母乳は4時間前、白湯(お茶)は2時間前まで飲めました。
夜中1時に母乳のみを飲ませて、6時間前の朝5時に起こしてミルクを120ml、さらに4時間前の朝7時に母乳を飲ませるという作戦で行きました。
2時間前に白湯(というか、看護師さんのアドバイスでポカリをお湯で3倍くらいに薄めたもの)を哺乳瓶であげてみましたが、「ぉえぇぇ」っと言う顔で吐き出したので、止めました(笑)
局所治療では、低月齢でも術前点滴はなく、手術室に入って眠らせてからの点滴になります。
ミルクだけだと、手術まで6時間空くのは低月齢の子には辛いし、夏場は脱水も心配です。場合によっては事前点滴をするかもしれませんが、少しでも母乳で時間を稼げるお母さんなら、取りあえずあげておくことをおすすめします。
●辛い宣告
休みを取り、朝一で新幹線に飛び乗り1泊2日でやってきた夫と一緒に、手術室へ長男を送り出し、そわそわ待つこと1時間と少しくらいだったでしょうか。
手術が終わったとPHSで連絡を受け、夫と二人で回復室へ。
長男が手術室から帰ってくる前に、主治医のS先生が説明をしてくれます。
生後直後、非常勤の先生に検査をしてもらってからは、きちんと鎮静をかけて隅々まで診察をしてもらうのはこれが初めてでした。
心の準備はしていたつもりでしたが、思った以上に辛い宣告になりました。
まず、右目。
腫瘍は視力を司る黄斑部に被っている。VECで当初より小さくはなっているが、そもそも黄斑の組織自体が腫瘍のためにきちんと形成されているか微妙なところで、今後も視力はほとんど望めないだろう。
真っ暗とか、何も見えない、とは違うようです。簡単に説明するなら、握り拳を目の前に持ってきた状態でものを見ている、という感じでしょうか。黄斑の周りが全く視覚を有していないという訳ではないので、目の周辺部では、明かりや形が分かっているかもしれない。ということでした。
そして左目。
こちらは、黄斑からは辛うじて腫瘍はそれている。近い場所ではあるが、機能はしていると思う、ということでした。
ただ、生後すぐのMRIにはほとんど映っていなかった、左目の視神経近くに腫瘍が1つある。
視神経の近くなので、今後の過程次第では、とても嫌な場所で、引き続き治療が必要。
VECだけで治療が終わるとは思っていませんでしたが、腫瘍のサイズは両目とも2mm、3mmの世界でした。
とても嫌な言い方をすれば、早期に治療をはじめた分、突発性で生後しばらく経ってから発見されて治療を始めた他の患者さんと比べると、「そんなに小さいの?」と言われるほどのサイズです。
それが、よりによって黄斑にできている。
それだけでもう、この子は両目でものを見ることは出来ないのか、と激しい落胆でした。
しかも、見えているとされる左目も、全く安心できない状態。
できうる限り最も早い治療を行ったにもかかわらず、腫瘍は増えている。
しかも、一番できてほしくない視神経の近くに。
子どもを作る前にも、妊娠中も、生まれてからも
何回も「覚悟」してきた。
それでも、私たちの認識はやはり甘かったのかと痛感しました。
「早期発見が早期治療、眼球と視力の温存につながる」という言葉は
確かに統計的には事実なんだろうと思います。
でも、
羊水検査をして遺伝を調べて、
生後数日から抗がん剤を使って、
できることは全てやっても、
一番守ってあげたかった視力を守れない。
その衝撃は、両目に腫瘍があります、と言われた時以上のものでした。
誰のせいか、と聞かれたら、周りや夫がどうフォローしてくれても、
それは私のせいなんです。
私が罹患したことは突発だったにしても、遺伝するのは避けられない事実。
じゃあ産まなければよかったのか。自分の過失ではなく、「運悪く」疾患にかかった患者は、
健康に子を産むことすら選べないのか。
こんなに苦労してきた、頑張ってきたのに、出来ることは全て先回りしてきたのに、そこら中で、何も考えず、苦労せず、健康な体で健やかな赤ちゃんを授かっている人は山ほどいるのに。
なぜ自分なのか。なぜこの子なのか。
冷静になれば、そんなこと今考えてどうにかなることではないと、割り切っていることですが、
このときは、「結局こうなるのか」とやり場のない怒りさえ感じました。
次回はまた1カ月後、やはりレーザーだけでは、ということで、併用して眼動注を行うことになりました。
ひとまず、説明を聞き終えて、夫と長男のもとへ。
全身麻酔から覚めて戻ってきた長男の機嫌は最悪で、点滴と血圧計、心電図がつながれた状態で、全身で泣いていました。
これも正直、今ではもう慣れましたが、当時はまだ57cm、5kgほどの長男。
診察結果と相まって、やはり涙がこぼれました。
1時間後、病棟に戻って、泣く長男をなだめながら授乳が許可される時間まで待ち、授乳後に沐浴。
(通常、手術日は入浴できないのですが、レーザー手術だけだったので入ったのか、記入間違いか、すでに記憶がありません・・・)
その後、落ち着いた長男を母に見てもらって、夫と夕食を取りに病棟を離れました。
長男の前では、泣かずにおこうと思っていましたが、やはり、夫と二人になった途端、号泣してしまいました。
患者本人の私ですら、これだけショックだった事実です。
早期治療が両目視力の温存につながると純粋に信じて治療に相対してきた夫も、この宣告はかなり辛かったのだと思います。
「どうして俺が代わってやれないんだろう」と泣いていました。
ちなみに、手術後の説明で右目の状態を聞いて、「それは弱視ですか?」とついうっかりふわっとした質問した夫。主治医の先生は、正しいこと、確実なこと以外は絶対に言わない公平な方なので、「その仰る弱視の定義はなんですか?」とやや切れ気味にきり返されてびびっていました。
左がある程度見えていたら弱視ではないだろうし、右目の視力も低月齢では判定できないので、先生の性格上、「そういう中途半端な質問には答えられない」、ということだと私は分かるのですが。それを全部説明するほどおしゃべりな先生でもないんです。そして突っ込んで質問を重ねるタイプではなく、黙り込む夫。愛すべき無口同士のやりとり。
私と2人になった時も、「点字とか勉強しなきゃ」とかつぶやき、私に泣きながら「は?」とキレられて再びしょぼーん(笑)
本人に悪気はないのですが、どうも認識が飛躍しすぎているようで。
ひとしきり泣いて、泣いてもどうにもならない、という事実にまた泣いて、
それでも、長男はそろそろお腹を空かせて待っているし、
そうやって少しずつ浮上して、諦めて、負の感情は切り捨てて、
病棟に戻りました。
いろいろな病気で戦っている子ども達を見守るたくさんのお母さんお父さんたちも、
こうやって、少しずつ諦めて、受け入れて、向かい合って、強くなるんだろうな、
と、そう思っていました。
手術当日朝、ミルクをしこたま飲まされて撃沈している長男です。

