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3、長男の治療経過

これまでの過程はこちら

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前回はこちら

3、~生後7日目まで:眼底検査ー

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※2016年3月~5月、生後7日~生後45日目までの全身化学療法(抗がん剤)治療中の話です。

 

 

 

●入院・治療方針決定

 

●生後8日目

がんセンターの外来を受診。主治医の先生は不在で、非常勤の先生が眼底検査をしてくれました。おそらく普段は眼底検査は立ち会えないと思うのですが(小さいお子さんはベッドでバスタオルでぐるぐる巻きにして見ることもあるためあまり親には見せない)、同席させてくれました。

 

小さな小さな体を一応バスタオルでくるみ、開眼器を使って目を開け、眼底検査をしてくれました。幸い長男はほとんど泣かず、いい子で検査をしてくれました。(眠かっただけという説も)

 

小児医療センターの紹介状は画像添付もなく、かなりいい加減なもののようでした。画像ないの?といわれましたが、あのピンボケの写真を添付するのはしのびなかったのかもしれない。

 

改めてきちんと説明を聞いたところでは、

 

・やはり左も右も黄斑にかかっているように見える、左が約3mm、右が約2mm。

・視神経部分に浸潤などはなく異常なし。

 

という見解でした。

 

そのまま小児科病棟に入院し、点滴と採血。処置室から聞こえる泣き声がやはり辛かったです。

末梢点滴(ルート)を取って、そのままMRIへ。

夕方、小児腫瘍科での主治医(全身化学療法は小児科が担当になり、眼科はノータッチです)となるK先生が、MRIの結果を教えてくれました。

 

・両眼の腫瘍はMRIにうっすら写るかという程度。

・脳内(三側性網膜芽細胞腫)腫瘍はなし。

・眼球以外の浸潤もなく、おそらくリンパ、髄液転移の可能性は低い。

・週明けから全身化学療法(抗がん剤)治療をする。

・現状では眼球温存率は80%。

 

という説明でした。

三側性網膜芽細胞腫については、

網膜芽細胞腫の基本情報①

のガイドラインのリンクを参考にしてください。

 

網膜芽細胞腫は、眼球外へ腫瘍の浸潤がなければ、転移可能性の低い病気です。

ただ、まれに転移とは別に脳に腫瘍を生じる場合があり、それを「三側性網膜芽細胞腫」と呼びます。この症例では残念ながら生存率はかなり低く、通常の網膜芽細胞腫の場合と大きく分けて考える必要があるそうです。

私は個人的には三側性の患者さんやその家族を知りません。

 

●全身化学療法(VEC療法)

片眼性、両眼性問わず、網膜芽細胞腫で眼球温存治療を行う場合、まず点滴で抗がん剤を投与する全身化学療法を行う患者が多いです。他の小児がんや大人のがんと同じ治療法ですが、がんの種類によって抗がん剤の種類の組み合わせは様々です。

 

網膜芽細胞腫の初期治療の場合は、「VEC療法」と呼ばれる抗がん剤治療が一般的といえると思います。

 

V:ビンクリスチン

E:エトポシド

C:カルボプラチン

 

という3種類の抗がん剤を1セットとし、定期的に投与するというものです。

月齢がある程度進み、腫瘍のサイズも大きい場合は、最大6クールやるという患者さんが多いように思います。

長男の場合は新生児のため、2日間投与+3週間空けるを1クールとし、2~3クールで様子見になる、と言われました。

 

翌日は他の検査を一通り、といわれ、末梢点滴は一応入れたままで入院初日を終えました。

夕方、遺伝子外来でお世話になった同級生の看護師さんが顔を出してくれたのを覚えています。

 

 

●「親子間遺伝」のお母さんとの出会いと、今後、患者として出来ること

 

今でこそ、「他のお子さんは」とか偉そうに書いていますが、長男出産当時、私は同じ疾患の治療経験を持つ患者に会ったことがありませんでした。

厳密に言えば、私の母は、私の治療当時同じ病院にいた子どものお母さんと連絡を取っていましたが、私本人は「ふーん」という程度。

患者会である「すくすく」も存在を知ってはいましたが、自分が入ろうとは思っていませんでした。(長男妊娠後入りました)

 

どこかで、「治療はもう終わっている」「特に日常生活に問題なく生活できている」という自負もあったし、「患者会」や「同じ病気の子ども達」といわれてもピンとこない。ある意味幸せな生活だったからだと思います。

 

網膜芽細胞腫は、他の小児がん疾患に比べ、生命予後も良く、原発巣である目の腫瘍は5歳前後でぐっと再発率が下がるため、物心がつく前に治療が終わることが多いです。その後、二次がんの発症がなければ、「よく分からないけど小さい頃病気したらしい」という程度で大人になる患者もおり、患者本人の横のつながりというよりは、治療中に付き添いをする母親達のつながりの方が強固といえます。

 

発足から20年余の患者会も、「子どもが治療をしている/した家族の会」であり、患者本人よりは、診断された子を持つ親への支援や、経過観察後の生活のフォローアップなどを活動の中心としています。

次世代への親子間遺伝やその情報などは入手が難しく、私も、サバイバーは多いはずなのに、自分以外でどの程度そういった親子間遺伝に悩む患者がいるのか、情報が得られず歯がゆい思いをしていました。

 

 

長男が入院した日、4人部屋にいた他3人すべてが、同じ網膜芽細胞腫で治療中の子達でした。

そして、入院した日に話しかけてきてくれたお母さんのうちの1人も、本人が網膜芽細胞種の患者であり、子どもに遺伝して治療中、という私と同じ立場のお母さんでした。

 

後で入院常連になって、親子間遺伝の患者さんには複数人会っていますが、割合で言えば当然少なく、頻繁に遭遇するというほどの頻度ではありません。最初の入院で会えたのは本当に偶然だったと思います。

 

正直、入院したころのメンタルは結構ぼろぼろでした。出産直後のホルモンも影響していたかもしれません。

夫も仕事で自宅に戻っており、自分がしっかりしなくてはという思いと、出産直後の不安定な体調、初めての慣れない子育て、発症の告知と慌ただしい入院、新生児に治療をしなければならないという罪悪感。

やはり気持ちがついて行けず、ちょっとしたことで苛ついたり悲しくなったりバランスが崩れそうでした。

 

そんなときに、元患者という同じ立場で子どもの治療をするお母さんや、現在進行形で治療を続ける子ども達のお母さんに「そっか、一緒に頑張ろうね。大丈夫だよ、良くなるよ」と明るく励ましてもらえたことは、本当に大きな心の支えになりました。

 

治療体制の一極集中が、遠方に住む患者さんにとって負担になることは事実ですが、こうやって同じ治療に励む子や親に会い、情報交換や愚痴を言い合えるということは、稀少な疾患を持つ患者やその家族の何よりの力になります。患者会がやっていることの意味を改めて感じました。

同時に、治療の発展と共に患者会が育ってきた近い将来、当時治療を受けていた子ども達が適齢期を迎えます。私と同じ出産や遺伝について悩むことがあるかもしれない。その時に患者同士の水平支援や情報交換が必要になると思います。

長男の治療が落ち着いたら、その点で私が出来ることがあるのではないか、とぼんやり考えています。