西條八十 『僕の帽子』 感想について 喪失感を謳ってると言うがそうであろうか | 人魚姫の泡言葉

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ぼくの帽子



母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?

ええ、夏、碓氷(うすい)から霧積(きりづみ)へゆくみちで、

谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。


母さん、あれは好きな帽子でしたよ、

僕はあのときずいぶんくやしかった、

だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。

母さん、あのとき、向こうから若い薬売りが来ましたっけね、

紺の脚絆(きゃはん)に手甲(てこう)をした。

そして拾はうとして、ずいぶん骨折ってくれましたっけね。

けれど、とうとう駄目だった、

なにしろ深い谷で、それに草が

背たけぐらい伸びていたんですもの。


母さん、ほんとにあの帽子どうなったでせう?

そのとき傍らに咲いていた車百合の花は

もうとうに枯れちゃったでせうね、そして、

秋には、灰色の霧があの丘をこめ、

あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ。

母さん、そして、きっと今頃は、今夜あたりは、

あの谷間に、静かに雪がつもっているでせう、

昔、つやつや光った、あの伊太利麦(イタリーむぎ)の帽子と、

その裏に僕が書いた

Y.S という頭文字を

埋めるように、静かに、寂しく。


たまたま、西條八十の『帽子』詩のタイトルがそうだと思っていた。本当は『僕の帽子』なそうな。

ググるとヤフー知恵袋が出てきて

質問者が:
母さん、僕のあの帽子、どうしたんでしょうねえ?
西條八十氏はこの作品で何を言いたかったのでしょうか?
この詩のテーマを教えて下さい。
もしかして、母親が亡くなっていて、墓前か遺影の前で
亡き母に語りかけているのでしょうか?

「僕が書いたY・S という頭文字」というのは
「八十/Y ・ 西條/S」ですよね?

ベストアンサーに選ばれた人の回答
テーマは「喪失感」です。
何を失ったのか?
帽子です。表面的には。

どういう状況で母に語りかけているのかは、読み手の自由です。
この詩を発表した時に、西條八十の母が健在だったかどうか調べるのは、必要かも知れません。
私のイメージでは、
幼い頃に母から買ってもらった帽子。
とても喜ぶ僕を見て、自分のことのように嬉しそうな母。
それは突然、帽子が飛ばされることで悲しみに変わる。
記憶の奥底にしまい込まれる思い出の喪失。

いつの間にか母の背たけを追い越し、今は小さくなった母の背を見つめる。
自分も子供の親となり、子供の悲しみは、親の悲しみということがわかるから、帽子のことを口に出せないでいる。
この微妙な距離感が、濃密な親子間の喪失。
ひょっとしたら、この時言えなかったことを今、墓前で語りかけているのかも知れません。

これがまあ無難な回答でしょうが、私は全然別なことを考えてました。
この帽子はまるで谷底で息づいているようではありませんか。
長い年月たった食器とか服は、魂が宿って妖怪になると言われています。
玄関の、はかなくなった靴をなかなか捨てられないのは、これといっしょだ。
帽子も谷底で生活している、と妄想してしまいました。

何を失ったのか?
失ったものへの思いが綴られてあるので喪失感と思ったのであろうが、私は読んでいて作者の優しい思いやりが伝わってきた。そう時は過ぎてないように思われる。もう、とうに車百合は枯れたんだろうとあるので。
常日頃から母との縁は良好であったろう。親しみを込めて「母さん」と枕言葉。思ってることをいかんなく話せたんだろう。
帽子はとても気にいっていた。帽子は山の深くの渓谷できりぎりすの宿になったりして冬の今日の日には僕の帽子に雪が積もってるかも。
自分が書いたイニシャルY・Sを埋めるように静かに寂しく。
深々とした深い谷に雪が降る、自分が書いた文字は雪に埋もれていく、寂しく、ここで寂しくを使っているので喪失感、失った何か、となるのかなぁ。
最後に寂しく、で結んだのは情景が目に浮かぶ。帽子が谷底で雪に埋もれていく様は寂しく映るものだ。
気にいってた取り戻せないあの帽子だけど、虫たちの宿にもなったりして冬は雪が積もり一人ぼっちになってるんだろう。と帽子に思いを馳せてる。