これまでの支那事変の解釈 | 人魚姫の泡言葉

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 これまで支那事変は、中国共産党が、蒋介石の国民党と日本を戦わせたという構図が語られてきました。
中国共産党をたびかさなる掃討戦で追い詰めていた蒋介石を、昭和11年12月西安事件で監禁して「抗日統一戦線」路線へと舵をきらせ、国民党と日本とを戦わせて双方の疲弊をはかったというものです。第二次上海事変勃発後には第二次国共合作が成立し、中国k共産党の狙いどおり、日本と国民党とは泥沼の戦いにはまり込みます。戦後、毛沢東は、国民軍を疲弊させた日本軍への感謝の気持ちを訪中した日本の政治家たちに述べています。
 しかし、風見の日記が物語るのは、日本側にも革命のために支那事変を利用する意図が、よりによって政府中枢にあったということです。当然、両者が通じていた可能性も浮上します。いや、通じていたにちがいありません。近衛や風見の周辺には中国共産党とふとく通じていた尾崎秀美らがいました。さらに風見と尾崎ととても強い絆結ばれていました。支那事変は中国共産党がしくんだ「国共合作」の成果だけではなく、「日本政府中枢と中国共産党の合作」の成果でもあったのです。